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第6話
マンションの下に停めてあった伊吹 の車に二人で乗り込む。永遠は伊吹の誘導で助手席に座らされた。永遠が乗り込む時、伊吹は女性をエスコートするかのように先に扉を開けて永遠を待った。頭をぶつけてしまわないように手を置いてカバーする仕草はなんとも様になっている。昨日今日の付け焼刃でない事はすぐに分かる。これが社長としてのスキルなのか、それとも過去の女性遍歴からなのか。
永遠は深く考える事はしなかったが、「女性遍歴の方だろう」と思った。
焦るでもなく優雅に、それでいて颯爽とした歩き方で運転席に来た伊吹は、何も言わずにすぐに車を走らせた。
「あの、ちなみにどこに向かってるんですか?」
電話でも聞かされていなかったし、迎えに来てからもその事についてはお互い話さなかった。
「俺の家」
「…え?家?」
「その方が都合が良いから。」
「都合?」
「詳しい話は着いてからする。ただ、これは君にとっても都合がいいと思う。もし本社に来て何かのきっかけで君がモデルと誰かに知れたら、その情報が漏れてもおかしくない。うちの会社は社員がたくさんいるのでね。もちろんうちの社員に機密を漏らすような人間はいないと思っているが、万全を期すに越したことはない。最悪、漏らした人間の特定やその処遇については如何様 にも出来るが、情報が漏れてしまっては後の祭りだからね。」
伊吹の言っている事は正しい。結局は蘭子にだって被害が及ぶという事だから、永遠もそれに納得して頷く。
永遠のマンションから伊吹の家までは車で20分程で永遠が思っていたよりも近かった。
これなら今後は電車でも容易に来られそうだ。
ただ、これだけ近くても永遠はこの地域の土地勘はなく、建ち並ぶ家をつい繁々と眺めてしまう。この一帯は高級住宅街で生活水準が永遠とは全く合わない。こういう地域のショッピングモールも平均価格が高く、見た事もない食材が並んでいたりする。そんな場所に用事がある事がないので、買い物ですら立ち寄った事がなかった。
逆に、伊吹がこの地域に居を構えるのは自然なことだと言える。
車を家の地下に駐車し、そこから直接家の中へ入っていく。正門にもしっかりとした玄関はあったが、わざわざそこを使う気は無いようだ。
入るとすぐに階段が続いていて、伊吹の後について階段を上がるとまた扉があって、その先はすぐにリビングだった。
「ソファーに座って待っててくれ。今資料を持ってくる。」
伊吹はそう言って、入ってきた方とは真逆にある扉の先に一度姿を消した。
永遠は言われた通りにソファーに腰を下ろすと、自分の部屋の3倍はありそうなリビングを見渡す。
インテリアデザイナーとして見ると、リビングの雰囲気に統一感がある事にセンスの良さを感じた。絵画や骨董品、何をモチーフにしたのか分からない造形の置物ですら、悪目立ちせずに馴染んでいる。部屋の大きさに合わせたソファーも、形が半円型なことで何人用かあいまいにしてあり、大きすぎるという圧迫感がない。よく見れば部屋の形も角がなく曲線を描いている。俯瞰して見た時には円形に見えるのだろう。珍しいが、空間としてはやわらかい雰囲気がある。伊吹から感じる雰囲気とは真逆のようだが、永遠はこの部屋のデザインが凄く気に入った。
「待たせたね。」
伊吹はリビングに戻ってくると、永遠に束になった資料を手渡した。永遠がそれに目を落とすと、合わせたように伊吹がそこに書かれた内容を説明する。
「君にやってほしい事が書いてある。まずはうちの製品を使用した上で広告用の写真を撮ってほしい。それを街に貼る宣伝ポスターに起用し、カタログにも使用させてもらう。」
「街…ですか…」
「加工はしたくないから、それをしないで君とは分からないような構図で撮影する。」
「この『製品を使用した上で』って言うのは?」
「新たに発売になる化粧水を使ってもらいたい。神部さんの雑誌にも特集を組んでもらう予定の物だ。ただ、これには正しい使い方がある。適当に使っていてはちゃんとした効果は発揮されないから、君にはこのやり方も覚えてもらいたい。やり方は後で教えるとして、いずれは色々な商品の専属モデルをしてもらいたいと思っている。君の代わりになれるような人物が見つかるまではね。」
そう言って伊吹には似つかわしくない愛想のよい笑顔を見せる。
永遠の代わりになれるような人物が見つかるまでは、というが、その顔から探す気がないのが明白だ。
だが、いずれ伊吹が永遠に対して興味を失えばモデルをやめられるだろうし、世間だっていつまでも同じ人がモデルでは飽きてくるだろう。
どうしたっていつかは終わりが来るような気がして永遠はその条件を飲んだ。
それに永遠とは分からないようにもしてくれるようだから、損や被害もそんなにないだろうと思う。
自分の会社がまだまだこれからなのだから、ここで小遣い稼ぎでもしておこうと永遠は納得した。
「それから報酬についてだが、通常うちの商品は月で1銘柄1000万円は売り上げる。それを基準にして君が宣伝した事でこの基準を上回った分の半分とするのはどうだろう?」
「それは俺にとっては良い話でしょうけど、いいんですか?」
「それだけの報酬を払ってもうちには損はないと俺は見込んでいる」
伊吹はずいぶんと自信満々に言ってのけるが、永遠自身は自分にそれだけの価値が本当にあるのかと疑問が湧く。
結果があっての報酬ではあるが、その売り上げが永遠のおかげかどうかは結局定かではないのだ。購入者に調査でもしない限りその判定が難しい。
社長の伊吹がそれでいいというのだから会社としては問題がないのだろうが、永遠には少し心苦しい気持ちもある。
「本当に俺にそれだけの価値があるんでしょうか。」
「価値がなければ売り上げが上がらないし、そうなれば君に報酬はいかない。報酬が入ればそれは君の価値そのものだ。」
「……」
永遠が伊吹の言葉に複雑な表情を見せた。
「納得できない?いや、違うか。自分の価値を金に換算されるのが嫌か。」
「そういうわけじゃないけど、報酬が俺の価値だと言われると、俺には見た目だけの価値しかないと言われている気がするし、それに、ちょっとプレッシャーもある。」
「それしか価値がないなんて言ってないだろう。これはあくまでうちの商品に対してついた価値だ。それに俺は君がどんな人間かまだ知らない。他にも君の価値や魅力はあるだろうが、今俺が知っているのはあの時見た君の美しさだけだからな。」
美しいというあまりに率直な物言いに永遠はぎょっとして目を見開いた。
「あ……あれは、作られたものだから…」
「君は普段、何を見て綺麗だと思う?」
「え、あー…星とか、かな。絵とか、写真を見ても綺麗だと思う事はありますけど…」
「そう、私もそういう感覚はある。君は満開に咲く花の写真を見て綺麗だと思うだろう?例えばその写真が加工されたものだったとしても、君は写真を見て綺麗だと思うものじゃないのか?そのものが持つ本質の美しさがそこにあって、そしてそれをよりよく見せるために加工するんだ。昨日あの場所で見た君は化粧をしていたり女性の服装をさせられていたが、それらは君の本来の美しさを生かすために作られたもので、美しさの全てが作られたものではない。それに、美しいものをさらに美しく見せる技術は加工というのではなく演出と言うんだよ。」
自分の身形 について、そこまで熱く語られてしまうと恥ずかしさで永遠は口を開く事も出来ない。そう言われるほど自分の造形が美しいだなんて思った事は無い。もともと自分にも他人にも美醜について関心があるタイプではないが、それでも一般論としての美しさに理解はある。だったとしても自分の事を美しいだなんて考えた事もなかった。
「随分と高く評価してくれるんですね。」
「間違えたことは言っていないからね。」
永遠はいよいよ苦笑を浮かべ「その期待に応えられたらいいんですけど…」と呟いた。
「では報酬についても問題はない?」
「はい。まずはそれで。」
「この先問題が出た時には、その時に契約事項を変えていくとしよう。」
「かまいません。」
「ではこちらの契約書にサインしてくれ。」
永遠は差し出された契約書を一通り読み、内容に問題がない事を確認してサインをした。
「さて…では早速君に宣伝してもらいたい商品と、その扱い方を説明しよう。」
伊吹がまたリビングを出ていくと、片手にボトルを2本とフェイスタオルを持って戻ってきた。
「そこのクッションを取ってくれ」
ソファーの背もたれに立てかけてあったクッションを伊吹に渡すと、それと引き換えにフェイスタオルを差し出された。受け取ったフェイスタオルはほんのりと温かかった。
伊吹は永遠の横に腰かけると永遠の方へと向き、自分の膝の上にクッションを置いた。2本のボトルのふたを開け、クッションに頭をつけて寝るように永遠に指示をした。
クッションがあるとはいえ、男に膝枕をされるのは初めてだった。永遠はぎこちない動きを見せながらも、クッションに頭を乗せた。
「タオルを顔に置いて。」
言われるがままにフェイスタオルで顔を覆うと、心地よい温もりに包まれた。そのまま眠れてしまいそうな気持ちよさだったが、少し時間を置いてから伊吹にはぎ取られた。
潤いを得た肌に外気がふれて冷たさと共に心細さを感じる。
「寝るなよ。やり方を覚えていて欲しいんだから。」
「ん…」
永遠の眠そうな返事に伊吹は息だけで笑った。
「今度からは顔を洗ってからやってほしい。朝はお湯で洗い流すだけで、夜はうちの商品の洗顔を使って洗って。お湯の温度はいずれも肌と同じ温度だ。冷たくても熱くてもダメだ。」
「…はい」
「その後すぐに化粧水。コットンに3滴くらい落として触れる程度の優しさで顎から上に向かって撫でる。力を入れすぎると肌を傷つけるだけだから、皮膚を押し上げたりしないように。」
説明を受けながら伊吹に頬を撫でられると、手のぬくもりでまた意識が微睡み出す。
「普段手入れはどのくらいしてる?」
「いや…特別な事は何も…」
「それでこの肌質なのか。世の女性たちが知ったら泣くな。」
顔の上から笑い声がして、永遠は静かに目を開いて見上げた。伊吹の黒い前髪が重力に負けて垂れている。艶やかな黒髪が伊吹の動きに合わせて揺れ、額を撫でている。
よく見れば堀が深く、くっきりとした眉が目力をさらに強くしている。鼻筋も通り、唇は薄く口角は自然と少し上がっている。それがどうしてか、伊吹の内なる自信を表しているようにも見えた
自分の顔に触れる温かくて大きな手。自分のものよりも分厚いそれが男の手だと主張しているが、それが嫌だというよりも包まれるような安心感を感じていた。
無意識にじっと見つめていた永遠の視線に伊吹は気づき「なんだ?」と笑う。
「いや…俺たちほとんど初対面ですけど、なんでこんな事してるのかなって思って」
「仕事とはいえ、俺も会って二度目の男の顔に触れた事はこれまでの人生で経験がないな。」
「俺は誰とでも何度目でも経験はないです」
「神部さんとは?仲が良いみたいじゃないか。」
「仲が良くてもこんなことはしませんよ。」
「そう?」
「皇 さんはあるんですか?」
「伊吹でいい。まぁ、なくはない。」
「…へぇ、どういう状況?」
「過去に付き合った女に同じ事をした事はある。でも初対面ではないな。大体女の方がうちの製品を使ってみたいと強請るから、プレゼントするついでに使い方を教えてあげるんだ。うちのを使うならちゃんと効果があるように使ってもらいたいし、それでまたうちの商品の宣伝をしてくれたらありがたいからな。」
それには永遠も納得した。女性遍歴は多いだろうと思っていたし、美容関係の社長をしている伊吹にはそういう事を強請る女性がいてもおかしい話ではない。
「通りで手馴れてるわけだ。」
「それでも君ほど綺麗な人間を相手にした事はないがね。」
「…そうやって今までも言ってきたんでしょう?過去の女性はそれで喜んだかも知れませんけど、俺は喜びませんよ。」
「手馴れてるのは否定しないがね、俺は正直者だから女の為だけに言葉を選んだりはしない。綺麗だと言ったことがあるのも、そう思ったのも君が初めてだよ。」
まるで口説き文句のようなセリフを吐く伊吹の事が永遠には理解が出来ない。口説きたいわけではないだろうが、そう何度も綺麗だという理由はなんだろうか。少しでも気を悪くさせないようにとでも思っているのか。
モデルにしたいというくらいだから、永遠の事を本当に綺麗だと思っているのだろうけど、そんなに何度も褒める必要もない気がする。
変な男だ。
永遠はそう思いながら、顔を撫でられる温もりに再び目を閉じた。
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