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第12話
永遠に見送られて会社へと向かった伊吹だが、車で向かう道中で溢れる笑みを止められない。
姑息と思われても仕方がない事をしている。強引に仕事を取り付けて、無理な提案をして家に来るように仕向けた。伊吹は一応、逃げ道は残したつもりだったが、永遠はそうは思っていなかったかも知れない。現に仕事を引き受けてほしいと言った日は、夜も眠れなかったようだった。
可哀想な事をした。
そう思う心はあれど、正直に言えばそれよりも永遠が引き受けてくれた事が嬉しい。そして同じ家に住んでいるという事実が、伊吹をたまらなく高揚させた。
一目惚れ、とは30も半ばを過ぎて恥ずかしい話ではある。
それも20代の頃には一般的に美人と呼ばれるような女性と散々遊んで過ごしたのに。
そんな人間が今更一目惚れとは、自分のどこにそんな初々しさがあったのか、我が事ながら不思議に思っている。
それでもそうなる事は必然だったと惚れた今だから思う。
カメラの前で何をするでもなく、遠くを見つめるように少し見上げた永遠の横顔が、心を奪われるほどに美しかった。
心の底から綺麗な女性だと思った。
女神や天使なんて言葉はいくら女の為にと思っても嘘くさ過ぎて口に出来た事はない。今までは心の中でも思った事がないのだから、嘘くさいと思われても仕方がない。
現実、嘘なのだから。
それでもあの時見た彼の姿は、まさにそれだった。
天使というよりは女神の方がしっくりと来るが、その清廉潔白で人間離れした造形。透き通るような肌は、彼の体を通して後ろの景色が透けて見えるのではないか思うほどの透明感だ。
もちろんそんな事はありえない。
ありえないけど本当に見えてしまうのではないか。
そう思えた。
だからどうしても手に入れたかった。
この手で触れて、確かめたかった。
その存在と、自分の中に芽生えた今までに感じた事のない感情がなんなのかを。
図らずも永遠と二言三言の会話が出来たが、そんなものでは到底足りない。
それに、その時に知った永遠の性別には驚きこそすれ、落胆する事もなかった。
女性ならよかったのに、と思ってもおかしくはないのに。
伊吹は同性愛者ではないし、バイセクシャルでもない。
偏見はないがそれと同性を愛せるかは別問題だ。
その点で言うと伊吹は愛せない方に特化しているタイプでもあった。
本当に、男に恋をして、愛し、触れて、抱きしめる。
意思を持ってそれらをやるとなると、到底自分ではその気は起きないし、偏見はないが自分がそうしようとする姿には嫌悪を抱く。
自分に関係がなければ、男が男を愛しても、女が女を愛しても気にならない。
そういう思考と感情で生きていながら、伊吹は永遠に恋をした。
それを出会いはじめから露骨に表に出す事はなかったが。
ただ、何もしなければこの先二度会わないだろうとは思うので、チャンスをみすみす見逃したりもしない。その点でも伊吹は大人だった。
そういうチャンスが何度も訪れるわけではない事は、これまでの経験で嫌という程学んできたのだ。
だから蘭子が永遠の友人だった事には大いに感謝した。
それを教えてくれたスタッフの子にも、だ。
もしあの時、蘭子を通さずに伊吹が自ら永遠に仕事の話を持ちかけていたら、100%逃げられたに違いない。
伊吹に後ろ盾は何一つないし、脅しのネタになるようなものもない。ただの真っ向勝負となると永遠は相当難しいタイプだ。
蘭子の存在がなければ今よりももっと卑劣な手を使わなければいけなかったかも知れないが、その場合、卑劣な行いの関係修復に手間取って恋愛云々の話ではないだろう。
そうならなかった事に感謝するしかない。
もしその手段しかなかったのだとしたら、そうしてでも伊吹は永遠が欲しかったのだから。
永遠に触れた感触を指が記憶している。
滑らかで柔らかく、それでいて涼やかな。
長く震えるまつ毛に、優しく静かな吐息。
零れ落ちる言葉は限りなく中性的で、温かい。
言葉の表情はあまり激しさを持ち合わせてはいないが、顔の表情はそれよりも少しだけ雄弁だった。
時に幼く、時に相応で、時に大人らしく。
いかなる時も、美しく。
そう神に定められたかのように、その美しさは揺るがない。
造形美、とはあの事を言うのだと、簡単に腑に落ちる。
むしろそれ以外に何があろうか。
変質的であることは伊吹も気付いている。
これほどまでに人に魅力を感じた事も、囚われた事もない。
この先もし永遠が伊吹とどうにもならず、別の誰かとどうにかなるのだとしたら。
伊吹はその現実を受け止める方法がわからない。
過去の数々の経験は役にも立ちそうにない。
これほどまでに変質的で前代未聞の沸き立つ感情を伊吹は知らなかった。
だからもし、それに名前を付けるのだとしたら…
それはやっぱり「恋」なのだろうと思った。
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