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第13話
伊吹を見送ってから永遠も会社に行く準備を始めた。
キッチンに行くと伊吹が用意してくれたサンドイッチがランチボックスに入れておいてあり、コーンスープは保温性のあるタンブラーに入っていた。
会社や外で食べれるように気遣ってくれたのだと思い申し訳なさと感動を覚える。サンドイッチをひとつだけ食べて、残りはスープと一緒に持って家を出る。
会社は永遠の家と伊吹の家の丁度真ん中辺りにある。小さな商業ビルの中にあるが、内装は自費ならどう変えても良いとオーナーが言ってくれたので、自分でデザインしてモダン風な事務所に作り変えた。いつかは設計も自分で考えた戸建ての店舗を構えるのが夢だ。それでも今は今でとても満足している。
ビルに足を踏み入れようかという時に後ろから声を掛けられ肩を揺らす。
「おはようございます。永遠さん」
振り返るとそこには小柄な女性が立っていた。髪は長く、ハーフアップにしていて前髪ごと後ろで束ねている。化粧は濃くないが元々の顔の作りがはっきりとしていて、一度見れば覚えてもらえそうな印象的な顔立ちだ。小柄ではあるが線が細いのでスーツ姿がよく似合う。
右手にはタンブラーを持っていて、左手には新聞を抱えていた。
「佐江さん、おはよう」
能崎 佐江 。
彼女は永遠の会社に働くもう一人のインテリアデザイナーだ。
永遠は独立するにあたって自分の他にもう一人、インテリアデザイナーを引き入れた。
永遠自身にしか作れないデザインを依頼人に提供するのは当然の事だし、依頼人も永遠の作るものに何か惹かれるものを感じて依頼してくれるのだろうと思うが、一方で自分のデザインだけでは作品そのものがどことなく傾倒していくだろうとも思っていた。
そんな時、自分とは違う感性を持つデザイナーがいてくれたら、自分には足りない発想が生まれるのじゃないかと思った。
以前は先輩が起業した会社に勤めていたが、その会社には永遠の他にも何人もインテリアデザイナーや建築士がおり、先輩や同僚たちが作るものに影響を受けたり触発される事が多々あった。自分なら使わない素材を使用して依頼者を感動させているところを見ると、自分もそうなれるようになりたいと思った。
そういう環境から離れる事は自分への挑戦でもあり良い事だと思っているが、それと同時に自分だけの世界では依頼者の要望をかなえる事は難しいように思った。
だからと言って何人も雇う事は出来なかったので、永遠にとって信頼できて、作品も似通っていない能崎佐江を口説いた。
佐江はフリーのインテリアデザイナーだったが、フリーである事の限界を感じていた時に永遠に声を掛けられた。
企業に就職しようかと思っていた佐江ではあったが、フリーでやって来たのにはそれなりに理由があり、自分の思うままにデザインをしたいという思いが強かった。それが、一企業に入ってしまうと、時には自分の意思にないデザインをしなければならない事がある。クライアントも大手企業だったりすると、要望に対してこちらはあまり口を挟めない。デザイナーとしてそれはないと思うデザインを強いられていても、断りきれずに納得の出来ない仕事をする場合もある。反論すればクライアントは契約を切るかも知れないし、そうなればどの道仕事を失ってしまう。フリーならば出来ない事は出来ないと簡単に言える。他に背負うべきものがないのは楽だ。だが、中々生活は楽にはならない。
どちらのリスクを負うべきかと考えていた佐江には、永遠からの誘いは願ってもなかった。
「自分の思うままに描いてくれていい。むしろその方がいい。」と、永遠は佐江に言った。何度も「本当にいいのか?もっと違うデザインにと言われて自分には描きたくないものだったら断ってもいいのか?」と確認したが、永遠はそれで構わないという。
結局は、永遠には永遠の、佐江には佐江の作るものが会社の魅力であって、それ以外のデザインにして欲しいなら、別に永遠や佐江じゃなくてもいいのだろう、という事なのだ。
永遠はそれをはっきりと誇示するタイプだったので、佐江はそこに好感を持った。
もっと大きな企業で働けば、収入の安定はより守られるだろうが、それよりも永遠の会社で働く事の方が余程魅力に溢れていた。
互いの報酬は一度会社の収益となり、そこから給料として支払われる。店に訪ねて来た顧客の場合は互いに同額の給料配分となり、それぞれが以前から繋がっていた顧客からの依頼の場合は、同額の報酬の他に特別手当が顧客と繋がっていた方に支払われる。
つまり、佐江がフリーの時代から贔屓にしていた顧客からの依頼があれば、佐江には給料の他に手当が付くと言う事だ。
これまでの努力と信頼を全て会社に持っていかれるとなると、多少の不満も生まれるだろうが、その点の配慮をされた事も、佐江には好感があった。
最悪、佐江の持ち客の依頼に佐江が全て対応した時は、永遠には分配はなくてもいいとまで言うので、それはさすがに雇ってもらうものとして、甘やかされすぎだと思い、断った。
佐江の気が変わったらいつでも対応するという永遠のフットワークの軽さは、ある意味個人事業だからこそ出来る事だ。
大きな企業に勤めなくても、フリーでいるよりはずっといい。
しかも蓮見 永遠という男は、インテリアデザイナーの仲間内ではそこそこ有名だった。
外見の美しさから始まるが、それから作品に注目が行くと、その外見とは打って変わった力強さや、時に重厚感のある男らしいものを描き、そのギャップがまた人の目を引いた。
もちろん繊細な作りでもあるそれらに見ほれて、一緒に仕事がしてみたいという業界人は多かった。
佐江もまたその内の一人であり、永遠から声が掛かった時には、正直無条件でも降伏していたと思う。
業界では有名な永遠が、フリーだった自分を知っているという事自体が、とても嬉しかった。
そんな事実を永遠に伝えた事はなかったが。
「一応私もビジネスの為にここに来てますから。」
「そういう意味じゃないんだけどな。その新聞今朝のやつ?」
「そうです。」
「読み終わったら見せて。」
「もういいですよ。電車で見てたので。」
佐江が折り畳まれた新聞を永遠に差し出した。
永遠は苦笑を浮かべながら受け取り、「周りに見られなかった?」と聞くと、首を傾げて「邪魔にならないようにしてましたから。」と言った。
永遠はそういう意味ではなく、小柄で綺麗な女性がコーヒーを片手に新聞を読んでいる、という構図に不思議がられてはいなかったか、という意味で聞いたのだが、先程から永遠のその意思は全然伝わりそうになかった。
「あ、そういえば頼んでたサンプルが今日届くみたいですよ。」
「本当?思ってたより早いな。」
「西山さんに頼んだんですよね?だったら早いですよ。」
「なんで?」
「だって西山さん、永遠さんのことお気に入りだし。」
永遠は首をひねる。
そんな素振りがあっただろうか、と。
西山 乃菜香 は永遠の会社と長期契約をしてくれた建築材料を作っている会社の社員だ。永遠とやり取りをするのは主に乃菜香で、たまにサンプルを直接届けに来たりするので何度も顔を合わせている。
いつもにこにことしてハツラツで、見た目もボーイッシュな女性だった。
永遠の事をどういう意味で気に入ってるのか分からないが、誰かと差が付くほどに何かしらの好意を持たれていると感じた事はなかった。
「分かってないのは本人だけって言いますよね…」
佐江がそう呟いてため息をついた。
「そんな事ないでしょ。好かれてるなって思う事ってあるの?嫌われてるなら分かるけど、好かれてるなんて烏滸 がましくない?」
「烏滸がましくないです。永遠さんはもう少し周りに愛されてる自覚を持った方がいいですよ。私も好きですし。」
「ありがとう。俺も佐江さんは好きだよ。」
「いつか蘭子さんのポジションに収まりたいと思ってるくらいです。」
その告白に永遠は少し驚いた。
佐江と蘭子は顔見知りではある。たまに蘭子が会社に来る事があったからだ。だが、さほど多いわけではなかったのに、永遠の中で蘭子の存在が他よりも大きいと、佐江は気付いていた。
同じ会社で働くものとして、パートナーのようになりたいと思うのは当然かも知れない。
「…やだなぁ。俺は佐江さんには対等な立場でいて欲しいよ。確かに蘭子は俺にとって家族みたいな、姉みたいな存在ではあるけど、対等ではないから。力の勢力で言ったら圧倒的に蘭子の方が上だもん。あの人に何か言われたり頼まれたりしたら断れないんだから。」
「でも、嫌ではないでしょう?」
「頼まれて嫌な事はないよ。蘭子の為ならなんだってね。だけど、頼まれた内容が嫌な事はあるよ。なんでもござれってわけじゃあないんだなぁ。」
「そういうのを私が頼んだら断るじゃないですか。」
「そりゃそうだよ。佐江さんは俺と対等だと思ってるもん。良い事は良いけど、嫌な事は嫌って言えるの、俺は嬉しいんだけどな。蘭子は俺の私生活を支えてくれるけど、佐江さんは俺の仕事を支えてくれる良きパートナー、って感じかな。」
それは自己都合で会社に姿を見せない日が続いても、佐江がいるから問題ないと任せられるほどに永遠は佐江を信頼している。
佐江にとっては迷惑かも知れないが、佐江は雇われている立場でも、永遠のダメなところには必ず指摘をする。ただのイエスマンが欲しくて雇ったわけではないのだから、永遠は佐江の言葉をいつも頼もしいと感じていた。
「はぁーあ、永遠さんって本当に人間垂らしですよね。」
「なにそれ。」
「男も女も見境なく誑 かすって意味です。」
「やだ。そんなのやだ。」
「やだとか子供みたいな事言わないで下さいよ。ほら、会社着きましたよ。永遠さんがいなかった間に届いた書類が溜まってますからね!」
「見ても良いって言ったでしょ。」
「見ません!面倒くさいだけでしょう!」
「そうなんだよねぇ」
「そこ、正直にいうところじゃないですよ。」
「嘘つくのは良くないじゃない。」
「嘘も方便って知らないんですか?」
「残念ながら知ってるけども…嘘も方便ね。気を付けます。」
「嘘をつきたくないなら、ちゃんと会社に来ればいいんですよ。」
「だってー…あ、デザイン描き終わったの、後で見てくれる?」
「私の話聞いてます?」
「聞いてる聞いてる。」
対等な関係で、良きパートナー。
永遠が言った言葉が、佐江の心に残っている。
自分も永遠とそうなりたいと望んだ関係を、永遠は築いていると言った。
こんなに嬉しい事はない。の、だが。
たまに出る永遠の我儘については、やはり蘭子の様に有無を言わさぬ立場にありたいと細やかながら思う。
小さな商業ビルの3階に、永遠の会社がある。
ガラスの扉には「インテリアデザイン事務所」とラベルが貼られ、その下には「with you...」とある。「あなたと一緒に…」と、そう名付けたのは永遠ではなく、佐江だった。
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