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第14話

事務所内に入ってからは、一旦それぞれのデスクについて個々の仕事に取り掛かる。それが一通り終わってから、永遠の描いたデザインを佐江に見てもらう。と同時に、佐江も見てもらいたいものがあるという事だったので、お互いにチェックし、相談し合う事にした。 ここ数日は事務所に来ていなかったので、佐江が言ったように、郵便物が机の上にいくつか積み重なっている。それを処理する事がまず第一の仕事だ。持って来たコーンスープを飲みながら、届いた書類に目を通していると、佐江が「珍しいですね」と声を掛けて来た。 「ん?何が?」 「そういうのを持ってくるのがです。家から持って来たんですよね?自分で作って来たんですか?」 佐江は永遠が飲んでいたコーンスープを示唆していた。永遠にズボラな一面がある事は、共に仕事をしていく上で佐江も察しがついている。 仕事で手を抜く事はないが、むしろそのせいで私生活が異常に無頓着なので、佐江は日頃からちゃんとご飯は食べるようにと言ってきた。それでも改善される素振りは一向に無く、開業してからわずか半年程度で2度ほど病院にお世話になっている。栄養失調で倒れ、救急車で運ばれたのが1回と、今にも倒れそうだったのを見かねて佐江が病院に連れて行ったのが1回だ。 その度に佐江にはひどく怒られたし、以来、前にも増してご飯を食べているのか、寝ているのかを確認される。ちゃんとしている時もあれば、やはり手を抜く時もあって、その時に聞かれてもちゃんとご飯も食べているし、寝てもいると答えるが、信用されてるからいまいちと言ったところだ。 そんな過去があれば、永遠が自らスープらしきものを持って来て啜っているなど、あり得ない光景と思っているだろう。 「俺が作ると思うの?」 「思わないから聞いてるんです。」 「あぁ、そう。」 「で、自分で作ったんですか?」 「んーん、作ってくれた。」 「蘭子さんですか?」 「違う人」 「…へぇ、本当に珍しい。」 蘭子が永遠に何かを作ってくる事もほとんどないが、それこそ倒れた時には気に掛けて差し入れを入れてくれた事はあった。 佐江もその恩恵には与っていた。 その数少ない蘭子ですらないのなら、佐江には相手が誰かなどと検討の付けようがない。 「あ、あー、佐江さんには知っててもらおうかな…」 「何をです?」 「俺今ちょっと別の家に住んでるんだよね。」 永遠は努めて何でもない風を装ったが、佐江の反応は至って微妙なものだ。その先どちらに転ぶかで、それはそれは母親のように叱られるか、良かったですねとあまり興味がなさそうに言われるかのどちらかだ。が、今は限りなく叱られる方に近い。 「引っ越したって事ですか?」 「ううん、俺の家はそのままだけど、ちょっと事情があってある人と一緒に住まなきゃならなくて。」 「ある人って、男ですか。」 「男だね」 「事情って…」 「いや、仕事には支障がでないようになってるから、佐江さんに迷惑がかかる事はないと思う。でも何かあった時に知らないと不便かなと思って。」 「蘭子さんはその事を知ってるんですか?その人の事も。」 「知ってる知ってる。蘭子から紹介されたくらいだから。」 「…なら、問題ないですよね?」 「ない、と、思う。」 ここで歯切れよく言えないところが永遠の弱いところだ。嘘ではないのだけど、はっきりと言い切れるほど伊吹の事を知らないのが問題だ。 そんな相手と一緒に住む事を承諾したと分かれば、佐江は間違いなく怒る。 「蘭子さんが知っているっていう点では信頼がありますけど、その返事には納得できないですね。本当に大丈夫なんですか?」 「仕事は大丈夫だよ。絶対に、迷惑はかけないから。」 「そうじゃなくて…はぁ、私、本当に蘭子さんの気苦労が手に取るように分かりますよ…」 心配の原因がなんなのか、永遠には佐江の気持ちが伝わらずに項垂れた。 それなりに一緒にいれば永遠のガードの緩さは誰もが気付くだろう。 約半年の間に、仕事の依頼で会った人から何度か言い寄られていた事がある。 その時は佐江が傍にいて、やんわりと邪魔をしたのだ。 それでもあからさまに誘う者もいたのだが、永遠はそれをただの遊びの誘い程度にしか考えていない。どこの世界に遊びで男が男の尻を触るのか。それも長い付き合いがある相手でもないというのに。 それなのにどうして当人にそれだけの自覚がないのか。今までどうやって生きてきたのか、佐江には不思議でしょうがない。 蘭子がいたおかげもあるだろうが、彼女も常に永遠の傍に居れたわけではないだろう。それなのに、まるで自分には魔の手が忍び寄る事はないと信じているところが、佐江に頭を抱えさせた。 それでも住む場所について、佐江がとやかく言える立場でもなく、仕事には支障を来さないと言うのなら、とりあえずは見守るしかないのかと、そこに落ち着く。 それがいずれ後悔に繋がらない事だけを祈るしかない。 「事情があって、その人が誰で、なんで一緒に住まなきゃならないのか言えないのかもしれないですけど、本当に気を付けてくださいよ。仕事の事だけじゃなく、永遠さん自身の事を言ってるんですからね。」 「分かってる。蘭子と同じ事言うね。」 「そりゃあ言うでしょうね!」 佐江には珍しく声を荒げた。 言わずにはおられるか!という気持ちなのだ。 「で、それを作ってくれたのはその一緒に住む事になった人ってわけですか。」 「そうそう。料理全般は全部やってくれるんだ。俺が一人でいるよりは余程良い生活をさせてもらえると思う。料理美味いし。」 「へぇ…まぁでも、条件として良くなきゃ永遠さんも一緒に住んだりしないですよね。」 「そうだね。利害が一致したというのかな。」 「利害の害の方がなんなのか気になりますけど、それは聞かない事にします。でも何かあったらすぐ言ってくださいよ。深夜でも構わないですから。」 「ありがとう。」 心配してもらえるという事は永遠には素直に嬉しい事だ。 一緒に仕事をする上で、仕事の衝突だけならまだしも、性格が合わないとなると仕事云々ではなくなってしまう場合がある。 そういう意味で永遠と佐江の性格は相性が良かった。 蘭子に少し似ているからなのか、佐江に多少怒られても不快ではない。 単純に怒られると怖いという思いはあるが、でも、それが愛情からくるものだとは知っている。 永遠は佐江を会社に引き込んで本当に良かったと思った。 二人はまた黙々と仕事をこなしていたが、昼前に唐突に来客があった。ガラスの扉が開いて、女性が「すいません」と顔を覗かせた。 永遠が近寄り「ご依頼ですか?」と聞くと、おどおどと挙動不審になりながら「はい…」というので、その女性を応接室へと招き入れた。 お茶を用意する間に佐江が永遠に寄ってきて、「大丈夫ですか?なんかちょっと挙動不審じゃないですか?」と小声で囁いた。 「うーん、なんかちょっとね。でも事情があるのかも知れないし、少し話を聞いてみる。」 「私も行きましょうか?」 「いや、いいよ。あんな感じだし、何人もいると萎縮しちゃいそうでしょ。」 「…うー、そうですね…じゃあ私はこっちで一応気に掛けておきますね。」 「うん、よろしく。」 冷たいお茶を持って応接室に戻ると、女性は案内された時のまま、ソファーに座って俯き加減で微動だにしていなかった。目の前の長テーブルにお茶を差し出すと、ようやく息を始めたように、ほんの少しだけ顔を上げた。 目は虚気味だが、外見は凄く綺麗な女性だった。身につけている服やアクセサリーはブランドもので、それが浮いているわけではなく、女性そのものの品格には合っている、と思うのだが。 「あの、うちにはどういったご用件で…」 「…家を…建てたいんです…」 「家を…ですか。それはすでにある建物の改装とかではなく、完全に新築をという事ですか?」 「はい…」 「すいません、うちはインテリアデザインを専門にしてまして、デザイン自体は可能なんですが、建物の骨組みなどの根本的な設計図は外注になってしまうんです。なのでその外注先に確認を取ってからでないとご依頼を受けられないんですが、大丈夫ですか?」 「…それは、今すぐ分からないんですか…?」 「電話で確認が取れるので、お待ち頂ければ今確認は取れますが…」 「じゃあ…お願いします…」 「では…少々お待ち下さい。」 永遠は一度応接室から出て、デスクに置いてあった携帯を取った。外注先は永遠が以前勤めていた、先輩が経営する建築事務所だが、本当にかけるべきか、躊躇してしまう。 「永遠さん、お客様はなんだって…?」 「新築を建てたいって。だから矢野先輩に電話して確認しようかと思ってるんだけど…」 「やっぱりちょっとおかしい?」 「うん、まぁ…」 今までの経験上、どう見てもあの女性が家を建てたがっているとは思えない。家を建てる時や改装する時は、それなりの覚悟を持って来る人が多い。多額のローンを背負う事にもなるし、この先ずっとそこに住み続けるという意思がある。もちろん一括で支払う人もいるが、儲けている芸能人や資産家でもない限りそんなのは稀だ。 それらのリスクに覚悟を持って来る人は、否応にして輝きがある。これからの人生を前向きに生きていく決心があるのだ。 だが、あの女性にはそれが一切ない。新築を建てる程の覚悟と前向きさどころではなく、明日をも生きる気があるのか疑わしい程だ。 建て始めてからやっぱりやめると言われても困るし、そうなれば女性の方もタダでやめられるわけでもない。 先輩に電話で空きがあるか確認するだけはしてみるが、この依頼を受けるかどうかはもう一度見定めた方がいい。 そう判断して永遠は矢野に電話をかけた。 電話の結果は、一人空きがあるとの事だったので、とりあえず確定したらまた連絡するとだけ伝えた。 「矢野さん、大丈夫だって?」 「うん。あとは彼女次第だけど…ちょっともう少し話を聞いてみる。」 「はい…」 永遠が再び応接室に戻ると、女性は永遠の顔を見つめて「どうでしたか…?」と聞いて来た。その顔にも、やはり覇気は感じられない。 「空きはあるそうなので、ご相談にのることは可能です。ですが、お受けする前に確認させて頂きたいのですが、どうして新築を建てたいと思われたんですか?」 いきなり踏み入った質問だとは思ったが、それで怒って帰られるのであれば、それでもいいと思った。今の気持ちのまま家を建てて、後で後悔されるよりはずっとマシだ。 永遠の問いに女性はうつろな目を向けて口をわずかに開いた。 だが、永遠には何も聞こえず、耳を傾けた時に微かにだがようやく聞こえてきた。 「…好きな人と…住みたいんです…」 「好きな人と、ですか。それは…相手の方も承諾しているという事ですか?」 「……いえ…でも、住みます。」 「あの…例えばですが、もし、その相手の方と話がうまく通らなかった場合、せっかく建てた家も無駄になってしまうのでは…」 「いいんです…その時は…」 どうせ生きていたってしょうがないですから。 女性はそう呟いた。 それほどまでの決心と言えばそうなのだが、これはどう見ても普通の状態とは言えず、この言葉を鵜呑みにして依頼を受ける事は出来ない。 「…新築ではないとダメなんですか?どこかのマンションを借りるとか、一緒に住むだけならそれでも良いと思うんですが…何か特別な理由があるんでしょうか。」 「その人…お金持ちなんですよね…」 「…はぁ」 「そういう人と一緒になるには、お金持ちじゃなきゃならないでしょう…?」 「必ずしもそうでなければならないとは…」 「そうね…でも、あの人はそうでなければ振り向いてくれないの…高級マンションの一室を借りたくらいではダメ…豪華な住宅でなければ意味がないのよ…」 「失礼ですが、予算はどのくらいとお考えですか?」 「…1億、とか…」 永遠はその金額に驚き目を見張った。 本当に豪邸を建てるつもりのようだが、正直この女性がそれだけの金額をローンにしたとしても、払っていけるのか疑わしい。 それに、いずれ払えなくなった時に、彼女なら命を絶ってしまいそうで怖い。 一緒に住みたいという相手の人にも、この話をしていないというのだから、これは今話を進めてしまうのはやっぱり危険だ。 「あの、申し上げにくいのですが、お客様のご依頼は当社ではお受け出来ません。」 「え…どうしてですか…!お金ならちゃんと払います…!」 「支払いの面についても確かにそうですが、それ以前にお客様が望んでいるものが家を建てた事で手に入るとは思えません。…相手の方がどんな方なのかは分かりませんが、一度しっかりとお話をしてみてはいかがですか?それでまた、家を建てたいと思うのなら、相手の方と一緒にお越しください。…私たちは今だけではなく、あなたの未来も支える家を作りたいんです。」 永遠の説得が女性の心に響いたとは思えない。 それは女性の表情からも見て取れる。何も変わらず、何を見ているかも分からず、うつろな目はまた床を見つめてしまった。 「…分かりました…また、来ます…」 「帰れますか?タクシー呼びましょうか?」 「いえ…大丈夫です…ありがとうございます…」 女性は最後に頭を軽く下げてから、静かな足取りで帰って行った。 その姿を永遠と佐江が扉の前まで見送っていたのだが、二人ともなんとも言えない微妙な気持ちになっていた。 永遠は額を掻きながらデスクに戻ると、佐江も習って自分のデスクに戻ったが、やはり今の女性の事が気になる様で、すぐに「結局なんだったんですか?」と聞いてきた。 「好きな人と住むために家を建てたいって言ってた。」 「へぇ…でもその言い方だと、夫婦、っていうわけではないんですよね。」 「多分ね。まだ相手の人にその話をしてないって言ってたから。」 「そんな事あります?家を建てるってそんな簡単な事じゃないでしょう。」 「だけど、あの人にとってはそれをしてまで一緒に居たいって事なんじゃないの。さすがにそれを後押しは出来ないけど、思いの強さは凄いなと思う。」 「私、直樹がそんな事したら逆に別れちゃいますけどね。」 直樹とは佐江が現在交際中の彼氏だ。 付き合って3年程経つみたいだが、結婚という言葉は出ていないらしい。 永遠は一度だけ、直樹が会社に顔を出しに来ていた時に会った事があるが、佐江にベタ惚れなのはその一度だけで十分分かった。結婚を意識しているとしたら、佐江ではなく直樹の方だろう。それもまだ、佐江の雰囲気では叶いそうにないが。 「直樹くんと付き合う時に、自分とは釣り合わないとか思ったりしなかったの?」 「ないですね。別に直樹のスペックで良いところもないと思うし。」 「…じゃあ、なんで付き合ってるの…」 魅力がないと言っているようなものなのに、それで何故3年も付き合っているのか、それもまた不思議な話だ。永遠の問いに佐江はしばらく唸ってから、「直樹が私を好きだからですかね。」と答えた。 高飛車だとか、調子に乗っているとか、そういう風に取られそうな理由ではあるが、佐江にはそういうマイナスの要素は感じられなくて、それが佐江らしいとしか言いようがない。佐江も直樹の事が好きでなければ3年という月日を寄り添えない。 言い方は佐江らしいけど、本来の意味は、直樹が佐江を好きでいてくれるから、という事なのだろう。 相手が自分を好きなのだと、分かるだけでいいのだ。 その安心感があれば、例え自分が相手と不釣り合いに見えようとも、関係ないのかもしれない。 あの女性は、きっとその安心感が欲しいだけなのだ。 だけどそれが、簡単に叶うものではないという事は、永遠にもなんとなく理解する事が出来た。

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