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3.
朝食を作る手を止めた。
倉間を起こしに行く足を止めた。
自分の部屋の扉の前で、
何度も手と足を止めては
その場に座り込んだ。
暫くして倉間の部屋から足音がした。
その足音は洗面所へ向かい、
また部屋に戻り、
そして家から出て行った。
パタン、と家の扉が閉まり
鍵をかける音がして
涙腺が千切れた音がした。
倉間は俺が起こさなくても
何も変わらず、いつものように
日常を生きる。
たったそれだけの事なのに
胸が軋むように痛かった。
その場に座り込んで子供のように泣く。
目も開けられない程の涙が
溢れては、落ちて
乾いたと思えば、溢れて。
なんで泣いているのかさえ分からなくなった頃
自分の喉から笑い声がこみ上げた。
俺はやっぱり、ダッセェまま。
もう誰も俺を馬鹿になどしないのに
まだ怯えて、
部屋にピンクのものなんか置いてなくて
可愛いものを見る事を避けて。
誤魔化して、それでいて友人の幸せさえ
願う事も出来ず
こうして、悲劇のヒロインぶって
部屋で泣いている。
こうしていれば誰か助けに来てくれる
こうやって泣いていれば
誰か気付いてくれる
そんな期待を隠して泣いている。
「もう、やめたい」
カラカラになった声でそう呟くと
笑うように窓が風に揺らされ
カタカタと鳴った。
やめれるもんならやめてみろよ、と
世界中に指差され笑われてる気分になった。
その日は結局、部屋の扉の前から
動けなくてはじめて大学をサボった。
多村から何度も着信やメールが
あったけれど全て無視している。
昨日あんな態度を取った挙句に
今日休んだとなれば心配するだろう。
けれどその優しさに今触れたら
余計に自分を憎みそうで、怖くて。
全てを遮断するように
膝を立てて顔を伏せて、目を閉じた。
泣いて疲れたのか
脳味噌がパンクしたのか
すぐに微睡みは俺を襲う。
睡眠から目を覚まさせたのは
パタン、と家の扉が閉まる音だった。
部屋はもう暗くて
随分長い間寝ていたのだと分かる。
座って寝ていたからか
腰やら足やらが痛くてすぐには立てない。
倉間の足音がリビングから聞こえる。
俺は存在を消すように
ぼーっとその音を聞いていた。
扉一枚隔てただけですぐそこにいるのに
本当に遠く感じる。
俺も多村みたいになれたらな、と思う。
自分を貫き通し、
強く前に進み、一歩を踏み出せる人に。
今の俺じゃ到底無理だろう。
だけどもし、今この扉を開けて
倉間に「おかえり」と一言言えたら。
その一歩を踏み出せたら
もしかしたら俺は、なりたい人間に
なれるだろうか、と自問自答をしていると
コンコン、と扉をノックされた。
「…街田」
「えっ、はいっ」
久方ぶりに聞いた倉間の声に
肩が跳ねる。
顔中に血が集まるように
熱くなるのが分かった。
さっきまでノスタルジックに浸ってたくせに
声をかけられただけで、
世界中が色付くような気がした。
「今日、具合悪りぃのか。」
「へっ…!?あ、いや…」
「多村がお前と連絡取れないって騒いでた。
せめて一言くらい返してやって。」
「あ…ああ、ごめん…」
色付いた世界は「嘘だよ」と言って
白と黒に戻っていった。
何度も想像した倉間との会話。
念願叶ってした会話は、
多村がキッカケだった。
言葉に詰まってそれ以上は返せず
黙り込んだ俺に呆れたのか、
倉間の足音は部屋へと帰っていった。
暗い部屋の中で光るスマホのランプ。
チカチカと眩しいそれが
目障りで、俺はまた目を閉じる。
先程寝たからか、微睡みは来ず
ただ時間が過ぎるのを待つ。
暫くして場違いな音が腹から聞こえた。
どんだけ憂鬱でも腹は減るのだと思うと
少し笑えてもくる。
時計を見れば深夜の2時。
痺れる足に鞭を打って
財布だけを握り締めて
家から出た。
ファミレスにでも行こうかな、
なんて思っているのに
足は自然と、
多村と知り合ったゲイバーへと辿り着いた。
カラン、と音を立ててバーに入ると
そこに多村らしき人物はいなくて
ほっとした。
適当にバーカウンターに座って
ジントニックを頼む。
アルコールが空腹に染みていつもより
美味しく感じた。
多分俺は浮いているのだろう。
ずっと泣いていたから目は腫れてるだろうし、
服装もラフ過ぎるし、
髪もセットしてないし。
出逢いの場には場違い。
あんなに怖かった周囲の冷たい目が
不思議と怖くない。
とにかく人の話し声がする場所で
ぼんやりとしていたかった。
「失恋でもしたの?」
二杯目のジントニックに口をつけた瞬間、
隣から声がして顔を上げる。
黒髪で糸目の男が立っていた。
「え…?」
「目、真っ赤だし。ずっと黙って
お酒飲んでるから気になっちゃって」
「…えっと…すいません場違いですよね
これ飲んだら帰るんで…」
糸目の男は俺の隣に座り、
ウイスキーを頼む。
「話聞いてもいい?」
「…俺の、ですか?」
「うん。」
「…くっだらないし、ダセェですよ」
「いいよ。これもなんかの縁だしさ。」
そう言った男が、ポン、と
俺の頭を撫でた。
それからはもう酔った勢いなのか
誰かにずっと吐き出したかったからなのか
倉間への想いと、
多村への気持ち。
自分の弱さ、醜さ、汚さを吐き出すように
一方的に言葉を吐いた。
そうしてるうちにまた涙は溢れ
嗚咽も溢れるのに
男は黙って、優しく相槌を打つ。
溶けるんじゃないか、ってくらい
泣いている俺の背をさすった
その男の体温が温かくて
余計、泣けてしまった。
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