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4.
男は名前を「シロ」と言った。
歳は俺より5つ上の社会人らしい。
全身黒づくめなのにシロって、と
笑ったら「やっと笑った」と言って
糸目が目を開く。
シロさんの目は、やっぱり濡れた黒だった。
「もう大丈夫?」
「…すいません、聞いてもらって。
でも、スッキリしました。」
「…これから街田くんはどうするの?」
その質問にギクリと肩を震わせる。
どうするのか、どうすべきなのか
どうしたいのか。
何も分からないから。
「その倉間くん、って子は諦めるつもり?」
「えっと…」
「じゃあ友人くんに俺も彼が好きだって
打ち明ける?」
シロさんはジッと俺を見つめる。
責められているようにも感じて
身を縮めるとシロさんは笑った
「責めてる訳じゃないよ。
だけど現状のままじゃきっと街田くんが
ダメになっちゃうと思うから。
街田くんはどうなりたいんだろう、と思ってさ。」
「…俺、変わりたいんです。」
「変わりたい?」
それだけが確かな気持ちだった。
ただ、変わりたい。
そうすれば答えが出る気がして。
今の俺じゃ倉間に気持ちを伝える事も
諦める事も出来ないだろう。
多村に打ち明ける事もきっと出来ない。
だから変わりたかった。
臆病な自分を変えたい。
それだけが、俺の確かな答えだ。
「ホントは俺、可愛い物が好きで…
でも男だし、顔も普通に男だし…
気持ち悪いって目で見られるのが怖くて
ずっと隠してきたんです
…でも、そんなの気にせず多村みたいに
自分を貫き通せたら、って思うんです。」
「そっかぁ…。うん、じゃあ
明日にでもここにおいで。」
シロさんに手渡されたのは
よく雑誌でも見かける美容室の名前が
入った名刺だった。
名前の欄には「佐久間士郎」と書かれている。
「えっ…?こ、これは…?」
「俺の名刺。詳しくは来たら分かるよ」
そう言ってシロさんはまたね、と
バーを出て行った。
暫く呆気に取られていたが
俺もそろそろ帰らなければ、と
お会計を頼んだのだが
「先程のお客様からお代は頂戴しております」
とマスターに言われた。
それにまた、唖然とする。
奢ってもらった、という事だろうか。
ならば余計にお礼をしに
行かなければならない。
…明日大学が終わったら行ってみよう。
そう思いながら名刺を財布に押し込んで
帰路につく。
その日はなかなか眠れず
翌朝遅刻をして大学へと向かった。
「街田!」
「あ…多村。おはよ」
「おはようじゃねぇ!お前どんだけ
心配したと思って…!」
「あはは、ごめん少し具合悪くてさ。
でももう平気だから。」
多村は怒ったように、それでいて
俺が逃げないように
腕を掴んでいる。
離してくれ、と思うが口に出来ない。
こんなとこでも臆病者を発揮する自分が
本当に嫌だ。
「…やっぱなんかあったんだろ」
「なんもないよ」
「嘘こけ。目の下すっげぇクマだし
目も腫れてるし充血してる。
なんもない奴の顔じゃねーよ、お前。」
多村は前に言ってくれた。
俺とお前の間に隠し事は無しだろ、と。
それは嬉しかった。
そんな風に言ってくれる友人なんて
今までいなかったから。
けれど俺は違うんだ。
隠し事ばっかしてる。
不器用な癖に、隠して隠して
それでいて隠せているか不安で怖くて
勝手に自己嫌悪してみたり。
けれど隠さなきゃいけない。
俺を守る為だけの、自己中な隠し事を
続けなきゃいけないんだ。
それ以外自分を守る術が分からないから。
「…本当になんでもないよ」
「…無理に話せとは言わないよ。
でもさ、そんな顔して大丈夫なんて
強がる必要ねぇじゃん。」
寂しそうに多村が眉を下げた。
それが酷く心苦しくて
思わず顔を背けた。
「多村、もういい加減にしとけ」
前方から聞こえた声は、倉間のものだった。
眉を潜め、俺の腕を掴む
多村の腕を掴んでそう言ったのだ。
「倉間…。っ、でも!」
「コイツが話したくねぇなら
しょうがないだろ。お節介も程々にしろ」
「…っ!…ごめん…。」
多村はそう言われ、俺の腕を離した。
「遅れると教授がうるせぇからもう行くぞ」
倉間がそう言って、多村の腕を引いて
歩き出す。
多村はずっと悲しげな表情のまま。
倉間は一度も俺を見なかった。
ズキズキと頭痛がする。
二日酔いかな、なんて
馬鹿らしい言い訳をしてみたが
頭痛よりも胸の方が遥かに痛くて
誤魔化せなどしなかった。
痛む胸を押さえて、心から願う。
変わりたい、と。
見ているだけなのはもうやめたいんだ、と。
俺も一歩でも、進みたいんだ、と。
足は大学から出てすぐに、
名刺の裏に記載された地図を辿った。
外装からしてお洒落で
入るのに戸惑うレベルの美容室。
ここが多分、シロさんの勤務先だ。
シロさんに名刺を貰う前の俺なら
絶対にここに入れないだろう。
けれど今の俺は、躊躇なく美容室の扉を押した。
「あ、来てくれたんだね。街田くん」
「シロさん…あの」
「ほらほら、ここに座って」
昨日は有難う御座いました、と
言う前に席に座らされる。
結構有名な美容室だと思ったが
客は俺以外いない。
それどころか店員さんもシロさん以外
いないように見える。
平日は暇なのだろうか。
「街田くんが来てくれると思って
待ってた甲斐があったよ」
「え…待ってた、んですか…!?」
「今日はウチの店、定休日なんだけどね
街田くんが来るかもと思って待ってた」
定休日、と聞いて心臓がひやり、とする。
「ごめんなさい!俺名刺ちゃんと
見てなくて…!定休日とは知らず…!」
「あはは、昨日俺が誘ったんだから
気にしなくていーの。」
「いやでも…!」
「俺ここの店長だから多少やりたい放題
やっても怒られないし」
ひぇ、と変な声が出た。
シロさんはにっこりと微笑んで
「変わりたいんでしょ?」と
鏡に映る俺に問う。
俺はそれにゆっくりと、深く頷いた。
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