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5.
鏡に映る自分はまるで別人の様だった
「自分じゃないみたい…」
「いや、これが君だよ。」
いつも適当な理容室で切っていた
野暮ったい髪の毛は短く、
綺麗になっていて
一度も染めた事などない黒髪は
ピンク混じりの淡い茶色になっていた。
雑誌を見て見よう見まねで
下手くそだったセットもシロさんに
丁寧にセットしてもらって、
本当に別人が鏡に映っている感覚に陥る。
「街田くんは切れ長な目をしてるけど
色白だし、雰囲気全体が柔らかいから
やっぱりこういう少し遊ばせた
髪色似合うね。」
「そ、そうですかね…?」
「うん。とっても似合ってる。」
少し派手だが奇抜過ぎない
その髪色は確かに、
浮いてはいなくて納得する。
シロさんは凄腕の美容師なのだ、と。
「美容師、ってのはさ。
外見を変える仕事だし、街田くんが
変わりたい、って言った時
俺の出番だ、って思っちゃって。」
「…シロさん…」
「でもね。外見を変える事は
容易いけど、その人の根っこを
変えるのは美容師には出来ないんだ。
…でも俺は、外見が変わったら
世界観も変わると思ってる。
自信が付けば、あとは本人が一歩進めば
簡単に変われるんだよ。」
シロさんの濡れた黒い目が
俺を見つめて、
そしてふっと優しく笑った。
「悪い方に転び変わるか、
良い方に転び変わるかは街田くん次第だけど。
…好きなものが似合わない、なんて
ないんだよ街田くん。
好きなものを恥じないで前を見てごらん。
その証拠にこのピンク、すごい似合ってる。」
シロさんから紡がれる言葉は
まるで魔法のように俺の空っぽな
脳味噌に溶け込んでいった。
鏡に映っている自分は
まだ目元が腫れていてカッコ悪いけれど
どこかスッキリしていて
不思議と、力が湧くようだった。
「どう足掻いても街田くんは
街田くんにしかなれないんだからさ。」
「…俺は、俺にしかなれない…?」
「そう。多村くん、って子にはなれない。
街田くんは臆病者のままかもしれない。
だけど、そんな街田くんで勝負しなきゃ。
君は君なんだから、さ。」
そう言って俺の肩を叩いた
シロさんは、ニッ、と悪戯に笑った。
「シロさん、本当に有難う御座います。」
「いえいえ。俺こういうの大好きだから」
「…俺、頑張ってみます。
無様でも、ちゃんと俺として、勝負
してみたいから。」
「うん。…いい顔付きになったね。」
「でも、どうして出会ったばっかの
俺にここまでしてくれるんですか?」
尋ねるとシロさんは一瞬驚いて、
でもすぐに目に弧を描いた。
「言ったでしょ?俺はこういうの
大好きだから、って。」
「…えっと…?」
「俺が変えた子が大きく羽ばたいて
キラキラするのを見るのが好きなだけだよ」
「…変な人」
クスクスと笑うとシロさんも
声を上げて笑ってくれた。
もう一度お礼を言って、
俺は帰路につく。
羽ばたく、とシロさんは言っていた。
大袈裟なようにも聞こえたけど
俺の足取りは凄く軽くて
本当に羽ばたけそうなくらいだ。
途中、小さなショップで
クマのキーホルダーを買った。
あの日俺が手放し誤魔化したものを
また手にして、まだ少し怖かったけれど
これが好きなものを好きだって言える
最初の一歩だ、と思えば
キラキラと眩しく見えた。
これをまた身に付ける俺を倉間は
なんて思うだろうか。
ダセェ、と思うのかな。
それはやっぱり、怖いなぁ。
でももしかしたら少し変わった俺を見て倉間が
話し掛けてきてくれるかもしれない
「いやいや、違う。俺から
話し掛けなきゃダメなんだって。」
声を掛けられるのを待ってたら
今までと同じだ。
俺はシロさんがくれた自信を背負って
一歩進むって決めたんだ。
帰ったら倉間に
「夕御飯一緒に食べよう」と
言ってみよう。
まずはそこから、はじめてみよう。
俺は俺にしかなれない。
誰を羨んだって妬んだって
俺は、俺。
だからこんな俺で勝負する。
その為にはちゃんと、前を向きたい。
後ろばかり振り向き視線を気にしてた俺は
ちょっとだけお休みだ。
今からは少しずつでも、前を向いて
なりたい俺に、なろう。
家の前につき、何度も深呼吸をする。
大丈夫。ちゃんと言える。
断られたってメゲない。絶対に。
大丈夫。よし、行こう。
拳を強く握り締めて、
強く頷き、自分にエールを贈った。
玄関に入るとすぐに違和感に気付いた。
リビングに明かりはついていなくて
倉間の部屋の方から微かに話し声がする。
電話でもしているのだろうか。
取り敢えず、挨拶をしよう。
部屋の扉をノックして
「ただいま」くらいは言おう。
それから夕飯に誘おう。
そう段取りを決めて静かに家に入る。
倉間の部屋の前でノックしようと
右手を挙げた時
その声はハッキリと聞こえた。
「ちょっ…倉間っ、待てって…!」
「待てねぇ。」
「おまっ…!
同居人が帰ってきたらどうすんだよバカ!」
その声は、多村のものだった。
ズキズキと頭痛がする。
キーン、と耳鳴りが俺の聴覚を奪った。
足は鉛のように動かなくて
背中に冷たい汗が伝う。
「…分かった。ここじゃなきゃいいんだろ。」
「は…!?いやちょっ…倉間!」
部屋の中から足音がする。
ガチャリ、とあいた部屋から
倉間と少し服がはだけた多村が出て来た。
その姿をにグラリ、と地面が歪んだ。
それでも俺は動けないまま、2人を見つめる。
「…な、んで街田が、ここに…?」
困惑し、驚いたように
多村が目を見開き俺を見る。
倉間は舌打ちを零して
早口で捲し立てるように言葉を吐く
「…コイツが俺の同居人。」
「は…?街田が…?」
「地元馴染みの幼馴染で親同士が仲良くて
大学進学でルームシェアしろっていうから。」
多村が顔を青ざめさせ、
俺の肩を揺する
「それは本当なのかよ、街田…!」
その問い掛けにさえ俺は返事が出来なかった。
何度も多村に名前を呼ばれ
揺すられるが声ひとつ上げられず
唇を噛み締めた。
そうでもしなければ泣き叫んでしまいそうで。
「街田…頼むから、なんか言えよ…!」
泣きそうな多村の声に俺は我にかえった。
「ご、めん」
絞り出すように出た言葉はそれだった。
多村の手を払って
靴も履かずに外へ飛び出す。
「おはよう」「ただいま」そんな
他愛の無い会話からはじめよう、と
心に決めていた。
そんなすぐには変われないけれど
ダサいままだけど
それでも今は好きなものを好きだって
ちゃんと言えるんだって
倉間に知ってもらえるようになろうと思っていた。
それから普通に会話して、
普通に隣を歩けるようになりたい、と
夢を見た。
そうやって変わろうとする俺に
少しでも自信がついて
俺として勝負出来るようになったら
多村に言おうと心に誓った。
俺は俺として勝負するから
多村も諦めないで、と
酒を飲み笑い合う空想を抱いていた。
走って、走って、転んで。
転んだ拍子に落ちたキーホルダーを
胸に掻き抱いた。
少しでも前を向きたかった。
少しでも近付いてみたかった。
少しでも、たった少しでもいいから
自分を好きだと思いたかった。
額をアスファルトに押し付けて、
喚き泣く。
あんなに怖かった周囲の視線など
気にせずただ、声をあげて泣いた。
「お前はあの日からずっと負け犬なんだよ」
と誰かが言った気がする。
変わりたいとこころの底から願い
少し前に進んだところで、
どうにもならない所まで世界は進んでいて。
それはまるで「お前が遅過ぎたんだ、」と
突き放すように。
俺はただただ、まるで負け犬の遠吠えのように
吠えて、咽び泣いた。
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