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6.

ぽつり、ぽつりと雨が降る。 それでも俺は動けないまま 蹲り、地を這うように背中を丸めた。 街行く人々の視線が刺さっている背中を もう伸ばす体力はなくて ただ、涙を落としこのまま 消えてしまいたい、と願った。 けれど自分に死ぬ勇気など 無いことを自分が一番知っている。 情け無い事に俺は生きる事に貪欲だ。 今だって消えたいと願うのに 誰かに認めて欲しい、と思っている。 「ほんと、アホみたい…」 力無く笑い、漸く立ち上がった頃には 人はもう疎らで 俺を冷ややかな目で見る人もいなかった。 フラフラと歩き、向かう場所はゲイバー。 カラン、と扉を開ければ 何人かが驚いたようにこちらを見ていた。 ずぶ濡れで、転んだ拍子で 擦り剥いた腕からは血も滲んでいる。 そりゃ何事だ、と思うだろう。 動けないまま突っ立っていると ゲイバーのマスターがタオルを貸してくれた。 カウンターへどうぞ、と優しい声が 俺の足を動かした。 タオルを頭に被り、カウンターに座る。 深く俯いて、飲み物も頼まずただ ぼんやりと床を見つめた。 多村には、 「幼馴染に恋をしている。多分嫌われてるけど 親に言われてルームシェアしてるんだ」と 話していた。 だからきっとあの時顔を青くしたのだろう。 俺の同居人が倉間、という事は もう言わずもがなバレてしまった。 俺が好きなのは倉間だ、という事に。 友人を裏切った気分だ。 どうしてもっと早く言わなかったんだ。 そうすればあんな顔させなくて済んだのに。 多村が自分で努力して掴んだ幸せを 俺は壊したんだ。 分かっているのに汚い心が叫ぶ 「なんでお前なんだ」 「なんで、そんな簡単に」と。 自分の心の声を聞きたくない。 けれどそれはダラダラと流れて 行き場も無く留まる。 「ねぇ、君」 知らない男に声を掛けられた。 胡散臭い笑顔を貼り付けて 「今夜どう?」と聞いてきた。 倉間以外、好きになった事がない俺は 自分がゲイなのかさえ分からない。 男しか好きになれない人間なのか、 それとも倉間が特別なのかさえも 俺は分かっていなかった。 気付けば男の誘いに頷いていた。 初めて入ったホテル、 初めて感じる肌の熱。 俺の上に乗っかり息を荒げる男に ただただ「気持ち悪い」と思った。 ジンジンと転んだ時の怪我が痛む 何処も彼処も笑えるほど痛い。 自分が汚れていく感覚に 焦りや戸惑いは無くて 揺らされる身体と、痛む全てに 涙が溢れた。 情事の後、すぐにトイレに駆け込んで 嘔吐する。 何も食べていないから、胃液だけだったが 胸はグルグルと音を鳴らし 何度も何度も、胃液を吐いた。 男はそんな俺が不気味だったのか さっさと出て行ってしまったようだ。 落ち着いた頃にはもう、明け方で 時間を知らせる電話に我に返った。 重い身体を引きずるようにして ホテルから出たが 外は未だ大雨だった。 もう一度雨に濡れ、道を歩く。 どれだけ1人になりたくとも、 ここは地元ではないし 俺はまだ学生で、子供で 帰る場所は1つしかない。 もう多村は帰っただろうか。 こんな雨だから、泊まったかな。 足を止めて、雨を仰ぐ。 汚れ切ってしまえば楽になれると 思っていたのに。 見知らぬ男に抱かれてまで 汚れてやろうと思ったのに。 虚しいだけだった。 ただただ己の弱さと醜さが 俺を蝕むだけだった。 変わりたいと願い浮き足立っていた 自分に教えてやりたい。 「お前は変われやしない」と。 シロさんに申し訳ない。 俺はキラキラと羽ばたけなかった。 きっと落胆するだろうなぁ。 雨で冷えていく身体と、脳味噌が 徐々に現実を押し付けてくる。 悲しくて、苦しくて、切なくて 痛くて、虚しくて、 どうしようもないのに 涙はもう出てこなかった。 虚しさや、痛みが俺に言う。 どうせならもう、誤魔化しきれ、と。 拳を強く握り、「そうするよ」と誓う。 今から俺は、 ただの倉間に嫌われている幼馴染になろう。 多村の幸せを祝うただの友人になろう。 悲しい事も苦しい事もない 2人を祝福するただの「同居人」になろう。 こんな自分は押し殺して、 誤魔化して生きていこう。 そうすれば俺も楽になれるはずだから。 そう誓うと同時になんだか少し、自分が 器用な人間に思えた。

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