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大人のデート未満

 また湊の元に太樹からの電話が掛かってきた。前と同じ月曜日の夜だった。  まだ飲みに行ってから三日しか経っていない。再会したばかりとは思えない。太樹には、まるで三年の空白期間などなかったかのようだ。  液晶に映る着信名を見つめて湊はためらう。酔っていたとはいえ、あんなキスをした事を思い出すと気まずい。  ……五回、六回……コールの数が増えていく。電話のこちら側で湊が迷っているのは承知の上だ、と言わんばかりに切れる気配はない。  十二回目のコールを数えて湊はようやく通話ボタンを押した。 「ねえ湊さん。今度の日曜、花見行かね?」  開口一番がそれだった。  ためらいも(ひるみ)もなく、自分に向かって一直線の軌道を描き、突き刺さる矢のような太樹の声。湊の戸惑いを分かっているくせに、まるでお構いなしだった。  だが太樹の傍若無人な態度も好意的に受け取る事は可能だ。 「桜は学校ので充分だし、人が多いから嫌だ」  つまり遠慮されないのだから遠慮しなければ良い。  当然、太樹は不服そうな声で抗議した。 「ねえ湊さん。俺、デートしようって誘ってんだよ?花見は口実。そんな真面目に断わんないでよ。それとも俺と会うの嫌?」  口実と言い切ってしまうのが太樹らしくて湊は少し笑った。 「いやじゃないよ」 「じゃ、あそこ行こ、御苑(ぎょえん)。だだっ広いから意外に人が少なく感じるよ」 「御苑?新宿の?」  場所を聞いて湊は明らかに嫌そうな声を出す。例え園内が空いていても、新宿自体が人だらけだ。 「そ。夕方までしかやってないし、今度は健全だろ」  だが太樹の中では決定事項のようで、気にした様子はない。おそらく湊が何を言っても行くつもりなんだろう。強引な太樹のペースに(はま)ってしまっている。  やっぱり拒絶できない。そんな太樹が不快ではないせいだ。  そもそも学生の頃からこんな調子だった。あの時はなんとか線引きが出来たが、今や境界線が湊自身にも曖昧だ。 「聞いてる?湊さん」 「ああ、うん」 「新宿駅で待ち合わせるのは湊さんに向いてないと思うから、こないだ来てもらった俺の店のある駅でいい?俺、仕事終わってからになるし」 「なに?その日、仕事なの?」 「うん。でも半休使うから。13時に駅で待ち合わせな」 「そこまでして行かなくても……」 「俺が行きたいの。桜、散っちゃうだろ」 「水上」 「あのさ湊さん?再会してからちゃんと言ってなかったけどさ、おれ湊さんが──好きなんだよ」  電話越しでも誤魔化しようのない真剣さで太樹が熱っぽく囁いた。 「う……ん。分かってる……」 「本当に分かってる?まあいいけど。……じゃあ、日曜日待ってるから。おやすみ」  太樹は答えを求めて来なかった。掛かってきた時と同様、唐突に電話は終わる。  太樹の言葉に貫かれ(はりつけ)られたように、暗くなった液晶を見つめたまま湊は動けなかった。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇  日曜日の朝、湊が目を覚ましてカーテンを開けると、外は大雨だった。  大粒の重たそうな雨粒がボトボトと降っている。風はそれほどないが、これで桜はかなり散ってしまうだろう。  天気予報を見てみるが今日は一日中、降水確率が100%だった。  この天候の中、太樹は今日の予定をどうするつもりなのか。  湊はサイドテーブルにあるスマホを確認した。太樹からのメールを受信している。 『湊さんおはよう。じゃないよねー。なんなのー!?これじゃ雨見じゃん。ごめんね。俺、天気の気持ちとか全然考えてなかった。今日はキャンセルでいいから』  (いきどお)ってるのかと思いきや妙にしおらしい。それも相当ショックなんだろう。所々おかしい。  湊はつい吹き出した。太樹が落ち込みまくっている姿が目に浮かんだからだ。  花見はキャンセル……それは、それでもいいかとは思う。ただ、会うこと自体を止めなくてもいいんじゃないのか。  湊はそこまで考えたが、自分を好きだと言って(はばか)らない相手を誘うような事を言ってしまうのは無責任にも思える。  けれど、湊だって太樹に会いたくない訳ではない。落ち込んでいるのが明白な太樹を喜ばせたい気持ちはある。  湊はメールの返信画面と長い時間にらみ合い、やがて考えるのに疲れ、目を閉じて送信ボタンを押す。 『じゃあウチ来る?』  返した内容はたったそれだけだ。送ってすぐ後悔めいた気持ちが湧き上がる。  やっぱりこれでは誘っているようだ。そんな覚悟など自分にはないというのに。  すぐさま太樹から返信が届く。 『いいの!?行く行く絶対行く!湊さんち覚えてるから仕事終わったら直行する!』  予想は出来たが、ここまで喜ばれてはいまさら前言撤回できるはずもない。  太樹の様子が目に浮かぶ。  おそらく8月31日の学生のような顔から、期末テストが終わった直後の学生ばりにマックスまでテンションが上がっているんだろう。  そう考え湊は、顔が緩んでくるのを抑え切れなかった。  昼の2時前に家のチャイムが鳴った。湊が迎えに出ると太樹が満面の笑みで立っていた。  流石に今日はベースを担いでいない。 「雨降るとかマジ頭になかったよー。でも湊さんとお家デートできんなら、こっちの方がラッキーだったかも」 「……俺も人混みの中、出掛けなくて済んだしな」  テーブルを挟んで向かいに座った太樹にコーヒーを差し出しながら湊は言った。 「また言ってる。湊さん、なんでそんな人混み嫌いなわけ?」  太樹が分からないという顔で湊を見る。  湊も同じような表情で言い返す。 「逆に人混みが好きな人間っているのかよ」 「え?俺だけど」  自分を指差す太樹に、まるで理解出来ない湊は不思議なものを見る目で首を傾げる。 「何が?どこがいいの?」 「人が多いってだけで楽しいでしょ。んーでも……例えばさぁ、周囲の人間が俺たち以外いきなりゾンビになったら、どうやって逃げようとか考えるじゃん?もし新宿駅に居たとして、あそこ何かよく分かんない扉いっぱいあんじゃん。その内の一つのカギが開いてんだよ何故か。そんで入ったら武器が置いてあったりすんの」 「ちょっと水上……」  妄想が過ぎて湊はついて行けない。  しかし構わず太樹は続ける。 「自宅だったら籠城(ろうじょう)するか、危険でもスーパーマーケットまで行くか……あ、スーパー行くのはお約束ね、そういう極限状態でどうやって湊さん守ろうか……とかあれこれ考えてワクワクする」 「……お前、学生の時より知性が下がってないか?しかもなんで俺まで巻き込んでんだよ」 「だって面白いじゃん」  だが、バカバカしい話を嬉しそうに語る太樹が本当に楽しそうなので湊も結局つられて笑う。太樹が高校生だった時のように。  ──気が付くと笑っていた太樹がテーブルに頬杖をついて黙って湊を見つめていた。  急に湊の耳に外の雨音が大きく聞こえてくる。  女子生徒がよく言う『天使が通った』にしては長すぎる沈黙に息苦しくなった。  湊は太樹の視線から逃げるように目を彷徨わせる。 「水上はホラーが好きなのか?」  しばらくそうして、ようやく思い付いた話題を口にしてみる。 「え?」 「ゾンビがどうとか言ったから」  太樹がああ、と言って笑う。 「ホラーってか、ゾンビが特別に好きなの」 「ゾンビ限定?」  湊はよく分からないという顔になる。ゾンビとホラーはジャンルが違うのだろうか。 「そう、ゾンビだけ。ホラーはどっちかって言ったら苦手。あのビックリさせられる感じがもう、叫んじゃうからダメ。でも、ロメロ監督のゾンビはすげえ好き。そうだ湊さん!この辺、近くにレンタル屋ある?」 「え?ああ、割と近くにあるよ」  太樹は急に立ち上がって湊を見下ろす。 「借りて来て一緒に観よ!説明するより観た方が早いから。俺のオススメのゾンビ!」  ウキウキとはしゃぎ出す太樹に湊が眩しそうに目を細める。 「──お前そういう所、本当に全然変わってないな」 「なんか言った?」  出かける準備をしている太樹には聞こえなかったようだ。 「なんでもないよ」  家を出て、当たり前のように相合い傘をしようとする太樹を湊が押し留める。  そもそも湊は車で行くつもりだったが太樹は歩きたいという。 「傘一つに男二人じゃ絶対ずぶ濡れだから!」 「くっつけば平気でしょ」 「そんな問題じゃないくらい降ってるだろ!良く見ろよ。大雨だろ、土砂降りだぞ!なんで車で行かないんだよ」 「そりゃ車でもいいけど──湊さんと並んで外、歩いてるって実感したいんだよ」 「なんで──」 「俺にも良く分かんね……高校生ん時の夢だったから、かな」  湊には思い付きもしない理由だった。告白よりも深い想いを突きつけられたようで、もうそれを否定はできない。 「……わかった。歩こう」 「──うん!」 「相合い傘はしないからな」  譲歩はするが、そこだけは湊としても譲れない。  太樹のお目当てはかなり古いものでDVDは貸出中ということもなく、あっさりと手に入る。帰りがけにスーパーで夕食用のパスタの材料を買って戻って来た。  全て近所で(まかな)ったので急いだ訳でもなく、時間は小一時間ほどしか掛からない。 湊がDVDをプレーヤーに入れた。太樹が座って待っているソファーの隣に戻ろうとした所に手を掴んで引き止められる。 「湊さんにお願いがあるんだけど」  太樹が湊を仰いで言う。 「何?」  それに太樹は答えずに、そのまま湊の手を強く引いた。バランスを崩した湊をそのまま抱き寄せて太樹の膝の間に座らせる。 「何するんだ急に。危ないだろ」  後ろから抱きしめられた体勢で湊が抵抗するが太樹は離さない。 「ねえ、このまま映画観よ?絶対、何にもしないから」 「無理だろ!集中できない、こんなの」 「俺のこと背もたれだと思ってればいいから」 「こんな固くて不安定な背もたれ嫌だよ、離せって」 「お願い。湊さんを近くに感じたいだけなんだって。ねえ、どうしても?絶対、ダメ?」  太樹は腕の力を緩めて湊の拘束を解くと、その背中に額をつけて呟くように言った。  しょんぼりとした太樹の声を聞いて湊は眉を寄せる。 ……どこでそんな甘え方覚えてきたんだよ。それとも、これも昔からだっただろうか。  気がつくと、こうやっていつも太樹は湊の内側にごく近いところまで、するりと滑り込んで来ていたようにも思う。 「仕方ない奴」  そして結局、甘やかしてしまう。 「いいの?やった。じゃ早く観よ観よ!」  途端に元気を取り戻した太樹が湊の首筋に頬をすりつけて催促する。 「ヘンな事したらすぐに退くからな」 「誓ってしねえから……それにしても湊さん。細いし小せえな」 「余計な事言うなら離れるぞ」 「分かった、黙ってるって」  そしてしばらくは静かに映画を鑑賞していたのだが。 「あ、ゾンビ出てきた。ね、湊さん」 「観てれば分かるよ。そこで、喋るなよ」  確かに太樹は言った通り、触るだの何だのはしていないがこうして時折、湊を後ろから抱き締めたまま、すぐ耳元で囁いた。  その度、吐息と声にくすぐられ湊は、やっぱり無理にでも止めさせておけば良かった、とそう思ったがもう遅い。がっちりホールドされて逃げられない。  そして太樹はまたすぐに喋り出す。 「この映画のゾンビはね、速く走ったり飛び跳ねたりしないのがいいんだよ。動きがすごい鈍いから遠いとか一匹だけならそんなに怖く感じないから」 「もう、くすぐったいんだって」 「湊さんが敏感すぎんだよ」  言っている間にも、迫り来るゾンビを易々と避けて主人公達は走り過ぎていた。 「……でも確かに、このゾンビのろいな」  湊でも数体だけなら走って逃げ切れそうだ。 「かわいいだろ」 「かわいくはない」  しばらくすると、数体だったゾンビが見る間に増殖し、あっという間に生きている人間の方がゾンビより少ない状況になっていた。ゾンビは町に溢れ、ふらふらと人間の肉を求め、ただ彷徨(さまよ)っている。 「でもさ、こうなるともう絶望的だよね。相変わらず動きは鈍いのに、この数に囲まれたら正攻法で勝てっこないじゃん」  画面では太樹の言う通り、じわじわとゾンビ勢に追い詰められた人間側がピンチに(おちい)っている。こうなると遅い動きが恐怖を感じる時間を長引かせる為のようで途端に怖い。 「うわ、腹喰い千切られた」 「グロいの嫌だったらこの辺、観なくていいよ」  太樹の手が湊の目を覆う。 「馬鹿、子供じゃないんだから」  湊はその手を退かそうと掴んだ。 「………でも夜パスタにしちゃったじゃん?ミートソースの。悪いこと言わないから今は観ない方がいいよ」  その言葉に嫌な光景を想像し、湊は大人しく従う。だが分かっていながら何故ミートソースを選んだのかと思うと内心腹立たしい。 「はい、もう大丈夫」  若干笑いを含んだ声で太樹の手のひらが外される。内蔵を連想させるパスタは確信犯だ。太樹はこの状況を思う存分、楽しんでいる。  その後『お約束』というスーパーマーケットに逃げ込んだ主人公達は、その場の危機は脱出するがゾンビが徘徊する世界へ変化したまま物語は終わった。  エンドクレジットの流れる中、太樹が言った。 「な、こんなの見たら人混みがゾンビに見えて楽しいだろ」 「俺は見えないよ」 「いや、人の多いとこ行ったら絶対これ思い出すって」  確かにそう何度も言われれば思い出しはするかもしれないが、それと人混みが楽しいのは話が別だ。  以前にテレビで見た事のあるゾンビは、もっと俊敏に動いていたし、ホラー要素が強かったが、このレトロな感じのする鈍いゾンビの動作はユーモラスでもあり、太樹のゾンビ好きがこういう部分を指しているなら多少は分かる気がした。ただ、湊の価値基準からは断じてかわいくはなかった。 「ねえ湊さん、腹減ったー」  太樹に言われて時間を見ると19時を回っている。 「分かった。じゃあ簡単に作っちゃうから、ちょっと待ってな」  湊が台所に立つと太樹も着いてくる。 「俺もなんかする事ない?」  する事いってもパスタを茹でて缶詰のソースを温め、サラダを盛るだけだ。 「別にない。いいよ、テレビでも見てて」 「じゃあここで湊さん見てる」 「こんな狭いとこに、お前みたいなデカイの居たら邪魔だよ。あっちいけ」  邪険にされながらも太樹は嬉しそうに湊を眺めている。それを見て湊も諦め、そのまま無視して支度を続けた。  夕食が終わり、いいと言うのに太樹が何もしなかったからと言って食器を洗って片付けると、そろそろ21時になろうという所だった。 「じゃあ俺、帰ろっかな。本当は帰りたくないけど」  いたずらっ子のような顔で太樹はそう言った。湊は返答に困る。  太樹はそんな湊に少し笑う。 「そうだ。帰り道だし、ついでにDVD俺が返してくるよ」 「え?じゃあ、俺も行くよ」 「まだ雨降ってるから、湊さんは家に居ろよ」 「だったら車、出すから」 「なに気、遣ってんだよ。ついでだって言ってんのに」 「でもお前、」  煮え切らない態度の湊を太樹は面白そうに見ていたが、ふと思い付いたように口にした。 「じゃあ、ご褒美ちょうだい」 「ご褒美?」 「キスしてよ」  湊は再び返答に困る。黙り込んでしまうと太樹の手が湊の頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でた。 「……冗談。そんな事、簡単にできねえよな。酔った勢いでもなきゃ」  口調はおどけているが太樹の表情が少しだけ寂しそうに陰る。  太樹がそんな表情を見せるとは思いもよらず、湊は胸が痛くなった。 「ごめん。ホントはさ……これ以上湊さんと密室にいて耐えられる自信ないんだ。だから一人で帰る」  続けて言われた言葉が追い打ちをかける。 「水上………」  なにを──どんな言葉を、掛けれてやれば良いというのだろう。  どんな言葉すら口にする権利さえ無いような気がして、湊はただ太樹を見つめる。 「駄目だって──そんな顔しないでよ──」  湊を囲うように壁に手を着き、太樹は苦しそうに息を吐いた。 「まだ答え、出ない?」 「俺………は──」  答えられずに湊は言い淀む。 「俺、もっと強引に迫った方が優しいのかな。湊さんにとっては」  太樹の手が湊の顎を掴んで持ち上げる。 「冗談……だろ」 「冗談にして欲しい?」  言葉の綾だったとしても湊の言葉は心無い。湊も十分理解しているはずだ。太樹の言葉や行動が冗談などではないことを。   「──ごめん」 「謝んなよ──あぁもう。湊さん、本っ当優柔不断!」  呆れ声を出し、壁に手を着いたままガックリと湊の前でうなだれる。 「じゃあさ、また遊びに来ていい?ま、ダメっていっても押し掛けるけど」  それからガバっと勢いよく顔を上げた太樹は、ことさら明るい口調で言う……無理をしているのは湊にも分かる。 「お前が、そうしたいんなら」  気を持たせる言い方が悪いとは分かっている。だが否定して、これ以上太樹を傷付けたくもない。──他になんと言えばいいのか。 「………ありがと……また連絡する。おやすみ」  大人びた目で湊を少しの間見つめると、そう言い残し太樹は帰って行った。

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