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お子様デート

 太樹は高校生の時、湊と一度だけデートしたことがある。  湊に言わせればデートというのは太樹が勝手にそう思っているだけだが。  高二の文化祭の日、軽音部の演奏を湊が観に来てくれたのに、太樹には話しかけるタイミングがなかった。  その年はクラスの出し物のカフェにも参加しなくてはならなくて、ライブ以外の時間は執事の格好をさせられ教室に居なくてはならなかったので。  交代制ではあったが自由時間はほとんど無かったと言っていい。  もちろん面倒だった。やりたくはなかった。しかしクラスの女子のあまりに執拗な要望によりやらざるを得なかった。  なにしろカフェ開催が決まった日から、太樹が「やる」と言うまで休み時間毎に女子が代わる代わるやって来る。そして呪詛のような勧誘を続けるのだった。 「水上君の執事姿が見たい。執事やって。やって下さい。一生の思い出にします。お願いします、お願いです!!!」  土下座までする子も居た。  そのようなことを日々続けられ、ノイローゼになりかけた太樹は最終的に頷くしかなかった。  ただ当日、途中で湊がフラリと現れて太樹の姿をしげしげと眺めると 「異常なくらい似合ってるな、お前」  と言って去って行ったのは褒め言葉と受け取り、素直に喜んだ。  そういう訳で高二の文化祭は太樹にとっては不完全燃焼に終わっていた。  そう思っていた所へ数日後、部活帰りに湊の帰宅と鉢合わせた。  これは天の与えたチャンスだと思った太樹は、すぐに一緒に居た速水(はやみ)大橋(おおはし)に別れを告げ、二人が唖然としているのも構わず湊の元に走った。 「センセー文化祭の打ち上げやろうよ!」  追いつく前に後ろから大きな声で呼びかける。 「なんのことだ?」  驚いた湊が振り返りながら訊いた。 「打ち上げ!今から。二人で」 「……できるわけないだろう」  湊はまた面倒なことを言い出したと言わんばかりの顔をした。 「何で?飯食いに行くだけだよ。顧問の安田(やすだ)先生だってたまに連れてってくれるよ?」 「その時は他の部員もいるだろ」 「そうだけど、いいじゃん!今二人しか居ないんだし。ねえ行こうって!」 「ダメだ」  太樹のワガママを振り切って湊はどんどん駐車場の方に歩いて行く。 「じゃあ先生の学校用のメアドにいっぱいラブレター送っちゃうよ。俺のお宝写メ付きで。見られたらマズいんじゃないの」 「……お前、脅迫する気かよ!?」  かなり呆れた表情で湊は太樹に向き直った。 「違うよー、本気のラブレターだよ。俺アタマ悪いから妄想と現実がごっちゃになるかも知れないけど。だから、ねぇ行こ?ね?」  太樹はここぞとばかりに湊の手を取ってぐいぐいと引っ張る。  湊はこめかみを押さえて目を(つぶ)る。 「……絶対に今日一回だけって約束するか?」 「する!約束する」  はぁぁーと湊は盛大に溜息をつき、あごで車を指す。 「じゃあ、はやく乗れ」  やったぁと太樹は助手席に座る。 「ちゃんと家に連絡入れろよ」 「分かった」  太樹は真面目に返事をしたが、多分両親とも今日も遅い。夕食は用意されている時もあるが大抵は太樹が買って帰る。  とくに言うことでもないので口にはしなかったけれど。 「どこでもいいんだろ?」 「うん。先生と行けるならなんでもいいよ」  にこにこと満面の笑みで太樹は答える。その笑顔のせいでつい湊も(ほだ)されがちになってしまうのだった。 「先生、今年のライブどうだった?」  太樹は当日聞けなかった感想を聞いた。 「ああ……」  湊は思い出すように少し考え吹き出した。 「今年もよく走り回ってたな」 「だから、それ演奏の感想じゃないじゃん!」  太樹が湊に向かって頬を膨らませる。 「まあ去年よりは上達したな、みんな」 「そう?そう思う?あのさ、俺たち今年の夏休みにライブハウスデビューしたんだよ」 「へえ、そうなのか」 「すごい緊張したけど、楽しかったー」 「良かったな」 「ねえ、先生も観に来てよ。次、()る時」  伺うように少し上目遣いになり太樹は言った。 「出来ない約束はしない主義だ」  だがにべもなくそう返される。 「もう、固すぎんだよセンセーは」 「お前が柔らかすぎるの」 「ピチピチの男子高生好きにできるチャンスだよ?」 「止めなさい。水上それはな、セクハラって言うんだぞ」  生真面目な言い方が妙に太樹のツボにはまって大ウケすると、湊は何を笑っているのか分からないという顔をする。  それがさらに可笑しくて、息ができないほど太樹は笑う。 「やばい、クリティカル。俺、今すごい沸点低くなってるから先生が何やっても面白い」 「人で笑うなよ。失礼な」  言いながら多少疲れを感じるが、太樹と居ると気分が明るくなるのを湊も確かに感じる。しかしこの年代の子供らは笑い袋で出来てるのかと疑いたくなる気持ちも同時に湧いていた。 「ねえ、結構遠くまで来たよね」 「まあ、どうせ行くなら近場じゃ羽伸ばせないし、美味いものの方が良いだろ。もうすぐ着くよ」 「わーい美味しいもの美味しいもの!すごい楽しみ」  着いたところはカレー専門店で有名な店だった。  店はちょっと変わった作りをしていて、南国風のロッジに周囲はヤシの木が植えてあり、入り口には松明が灯っている。 「……めっちゃお洒落なお店じゃん、つーか何気に海見えてるし……先生これ……」  車を降りた太樹は立ち尽くしている。 「どうした」 「これ……本気のデートん時のトコだよね」 「はあ、なに言ってんだお前は。ただのカレー屋」  呆れる湊の声は聞こえていなかった。なんといっても太樹は大人に、こんなところへ連れてきてもらったことがない。  舞い上がって頭がのぼせそうだった。  店内に入ってから右も左も分からない太樹を、湊が自然にエスコートする流れになる。向かい合って席に着く頃には、太樹の頭のなかでは完全にデートになっていた。  俺と先生は親子に見える歳じゃないから恋人同士に見えるかも……太樹の頭はもくもくとザラメを入れ過ぎた綿菓子製造機のように膨らむ妄想で一杯になっていく。 「好きなの食べていいぞ」  湊が太樹にメニューを渡す。 「え?おごりなの?」 「お前に出させたら牛丼屋しか行けないだろ」  そう言って苦笑する。 「……ねえ先生。俺、さっきからおかしいんだけど」  オーダーを済ませて水を含んでから太樹が口を開く。 「水上はいつもおかしいだろ」 「茶化すなよ。違うんだって、なんかいつもより、先生が十割増でカッコよく見える」 「重症だな」  頬杖を着いた湊が流し目で太樹を見る。 「もう、そういう仕草がヤバイって言ってんだよ」  湊はこの数時間で何度目か分からない溜息をつく。 「お前のために言ってやるけど、貴重な青春を無駄に過ごしてるんだぞ。分かってんのか?なにが楽しくて俺なんか追っかけ回すんだよ」 「俺は好きなことを好きなようにしか、やってないよ」  太樹はテーブルに身を乗り出して湊に詰め寄る。 「……それに自分には絶対に手の届かない存在の年上に恋する話って、めっちゃ青春だと思うんだけど。映画や純文学とかにもあるじゃん。違う?」 「ちょっと待て、聞いてて恥ずかしくなってきた」 「先生が先に聞いたんじゃん!」 「うん。悪かったもういいよ」  湊が閉口していると良いタイミングで料理が運ばれてくる。  食事を始めると太樹は「うめー」しか言わなくなった。  アルミ箔を噛むようなゾワゾワした気分になる言葉を、あれ以上語り続けられなくて湊にとっては有り難いことだった。  対象が自分でなければ、それも青春かと思えたのだろうか。  また歯の浮くセリフを言われてはたまらないので口にはしないが、本当に太樹は自分などのどこが良いのだろう。  甘い想像と妄想で恋に恋した乙女のような状態になっているのか。 ──かわいいもんだな。  美味しそうにむしゃむしゃカレーを平らげる太樹をみて純粋にそう感じる。  心の中までは強要できない。  湊が以前太樹に言った言葉だ。それは自分自身にも通用する。  太樹が可愛い。自分なんかが良いと言うなら心ゆくまで甘えさせてやりたい。  普段は態度に反映するのを怖れて、考える事すら自粛している感情を開放した。ここまできたら今日くらい特別でもいいかと思えたのだ。  そして太樹を見つめて、に気付き吹き出しそうになった。 ──太樹がいつもより可愛く見えたのだ。………十割増で。 「ホント美味しかった、センセーごちそうさまでしたー」 「はいはい」  店を出た所で太樹が直角に身体を曲げてペコリとお辞儀をする。 「先生の彼氏になったらこういう所にいっぱい連れてってもらえるの?いいなぁー彼氏になりてえ」  湊は顔全体でバカだなあという感情を(あらわ)にして太樹を見た。 「お前それ、付き合う理由が美味いもの食べれるからって意味にしかなってないけどいいの?」 「んな訳ないじゃん、俺はちゃんと先生が好……」 「あー、分かったからストップ。それ以上は大人になったらな」 「でたよ、大人の必殺技。コドモアツカイ」  見えない石ころを蹴りながら太樹は頬を膨らませてそっぽを向く。 「拗ねてないで早く車に乗れ」  湊は笑いながら少し乱暴に頭を撫でると、むくれる太樹の背を押して助手席へ促す。  車の窓から流れる夜景を眺めて太樹は少し寂しくなる。理由は分かっていた。帰り道、だからだ。  家に帰って明日学校に行ったら、またいつも通り。長時間二人きりになること自体が難しい。  太樹は体ごと湊の方を向き、靴を脱いでシートに丸くなる。 「おれ良いこと思いついたんだけど」  良いこと、と言う割には明るい声は出ない。拒否されることは分かっているからだ。 「ろくな予感がしませんね」  授業中みたいな声で湊は目もくれない。 「……子供が嫌ならさ、先生が俺を大人にしてくれればいいじゃん……」  ないものねだりで拗ねているこの状況はそれこそ本当に子供のようだ、太樹は自分でもそう思う。  ダメ元でも思いついたから口に出してみる。──どれもこれも子供の発想だ。 「バカか」  やっぱり一蹴されて終わりだ。 ……それでも何だかこの密閉された空間はやわらかく、ゆるくて甘い空気が漂っている気がする。 「センセー」  呼んでみたくて声にする。 「うん?」 ──ほら、いつもよりやさしい気がするのは思い違いじゃない。  言いたいな、と太樹は思う。何も結果が変わらなくても。  運転をする湊の横顔を見つめる。湊は視線に気付いているはずだ。 「センセ。久住先生──大好き」  湊の視線は正面を向いたままだ。表情も特に変わらない。………いつもだったら即座に(たしな)めるか呆れられる。  そして思いがけない言葉が返ってきた。 「知ってるよ、水上」  湊が認めなくても太樹には、どう考えてもこれはデートだった。  学生時代にたった一回だけ、先生と生徒として行ったデートだった。

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