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最後のライブ 最初のライブ
三年生になった太樹の最後の舞台となる文化祭の日。軽音部のライブを観に体育館に赴き、湊は目を瞠 った。
体育館は全校生徒が集まった時より人が多いんじゃないかと思うほどの超満員だった。三分の二を女子が占めている。
贔屓目 なしに見ても太樹の学年のメンバーはイケメン揃いなので他校にもかなりファンがいると聞いてはいたが、去年はこれほどではなかった。それに年齢層も高校生だけにも見えない。
周りを見渡してみると、ステージを正面に見据える壁に腕を組んで寄り掛かっている軽音部顧問の安田 の姿を見つけて湊は声をかける。
「安田先生?良いんですか、こんな遠くで観ていて」
安田は湊の姿を見ると、にやっと笑った。
「部員達には、今日はもう好き勝手やって来いって言ってます。ああ、全裸にだけはなるな、って言ってありますけどね。来年から舞台上がれなくなっちゃうから」
それを聞いて湊も思わず笑う。
「それにしても凄い人ですね。これみんな軽音部のお客さんでしょう?」
「本当に凄いですよね。これ大半が三年の水上や速水のいるバンドのファンの子達なんですよ。あいつら普段からライブハウスにちょこちょこ出てたんですが、結構な有名バンドだったらしいんですよ。この文化祭が引退ライブだって宣言してね、それを知って色んな所から人が来たみたいですね」
それでこの人数かと納得する。
太樹がライブをやっているのは知っていた。何度も観に来いと誘われたからだ。その度に迷ったが結局、湊が行くことはなかった。
それにしてもここまで人気があるとは思っていなかった。一度くらい行っても良かったな、と僅かに後悔する。
そしてステージが始まり、一年、二年と順番に演奏が進んで行く。最後にトリの三年生がステージに上ると大歓声が湧き起こった。
太樹達のバンドも去年までの三年生と同じく、それなりの箔 というか貫禄をもった演奏をするようになっていた。
実際にライブハウスでの経験も生かされているのだろう。ステージ慣れしているように見えた。
太樹は一年生の頃から既にベースを弾きこなしていて上手かったが、他のメンバーも三年続けた成果は門外漢の湊の目にもはっきりと分かった。
ラストライブという思いのせいか太樹達のテンションは去年まで以上に高く、まさにステージ上で暴れ回っているという表現がぴったりで最後までこれかと湊は苦笑しながら観ていたが、それも見納めかと思うとやはり少し心寂しい。
かなり派手に五曲を演奏して終了だった。
飛び跳ねたり手を振ったりしながら、メンバーの名前を呼ぶ観客の声に見送られ舞台袖に消えていく。
彼らが退けたか退けないかのうちにアンコールの声が掛かり、再びステージに呼び戻すための手拍子が鳴り続ける。
「アンコール、サンキューーっっ!」
舞台袖から太樹の声が響いた。応えるように一斉に歓声が体育館を揺るがす。
そして舞い戻ってきたメンバーは、全員制服姿だった。着崩しもせずネクタイまできちんと締めている。さっきまでは自分たちのバンド名のロゴが入ったTシャツだった。
「あいつら……」
安田が小癪 な真似を、とでも言いたげな声で呟いた。
「これが俺らのラスト。──ポリスの『見つめていたい』」
太樹がマイクに向かって静かに言うと何かを悟ったように会場から音が無くなり、シン……となった。
始まった曲は先程までとは打って変わって、心にじんわりと染み込んでくる曲調だった。
その場の皆が一同、曲に引き込まれるように聴き入っていた。湊も渋い選曲だなと思いながら、締め括りにはとてもふさわしいと感じた。
制服を着て落ち着いて演奏する太樹達の姿に一年生だった頃からの姿が重なり、うっかりすると涙が出そうにすらなった。
現に隣では安田がむせび泣いている。
演奏が終わり本当に全ての演目が終了する。今年の文化祭の体育館での催しはこの軽音部が最後だった。
三年生はもう袖には戻らずステージから降りてファンの子に囲まれている。最後に話をしているようだ。
湊からは見えなかったがきっと太樹もその中にいることだろう。
余韻を残したまま体育館を後にして、湊は校舎への渡り廊下を歩く。半分ほど行った所でいきなり後ろから走ってきた太樹に腕を取られた。
「センセーごめん、走って!」
「え?なに、なんだよ??」
訳も分からず手を引かれて湊は走る。そして校舎へと走り込むと文化祭では公開されていない棟の二階まで一気に駆け上がった。
「ちょっ……、っ水上……もう、無理……っ」
「──はあっ……ここまで来たら、もう、いっか」
そこで太樹はようやく足を止めた。湊は身体を折り両手を膝に着いてはぁはぁと息を切らせ、太樹は片膝を立ててその場に座り込んだ。
「なんなんだよ……お前……っ」
「あはは……ファンの子、撒かなきゃなんなかったからさー」
太樹は仰向いて肩で息をつきながら笑った。
「なんで、俺まで巻き込むんだよ」
ようやく呼吸の整った湊は太樹を睨む。
「だって先生と話したかったんだもん、仕方ないじゃん」
太樹は当然のことをしたように胸を張って答えた。
「仕方ないって……あれ最後の大事なステージだったんだろ」
あの中には太樹を観に来た女の子も少なからず、いやかなりの数、居たに違いない。
それを太樹はないがしろにしてまで湊を追いかけて来たのだ。相変わらずだと呆れ顔になる。
「だからじゃん。ね、最後までちゃんと観てくれた?」
座り込んだまま太樹は湊を見上げた。
「ちゃんと観たよ」
「アンコール、俺の選曲なんだ」
「へえ、良い曲だったよ」
湊はなんとなくそんな気がしていた。タイトルからの印象だろうか。
「あはは。先生歌詞の意味、知らないだろ」
何故か楽しそうに太樹は笑った。
洋楽のコピー曲なので当然歌詞は英語だった。初めて耳にした、生徒の歌う英語の歌詞をヒアリングできるほど湊は英語が堪能ではない。
「そこまでは知らないよ」
「だと思った。ねえ先生」
太樹は笑んだまま立ち上がり、湊と目を合わせる。
「もう俺と付き合っちゃおうよ」
「なんでそうなるんだよ」
「俺、文化祭終わったらもう一度告白しようと思ってたんだ。結局三年間ずっと先生のこと好きなの変わらないしさ、押せばいけるかなって。だって先生、俺のこと嫌いじゃないでしょ?」
湊は言葉を失くして太樹を見つめ返す。
真っ直ぐな瞳で太樹は湊から目を離さない。そんな風に自信に満ちた太樹を少し羨ましいと思う。
「俺がお前を好きか嫌いかは関係ないんだ。その話はもうしただろ」
「先生の考えてることも分かるけどさ、数学じゃないんだから公式も絶対の解も無いことじゃん。だからそんな怖がんないでよ。解が無いってことは、どんな回答でもそれが正解ってことだろ」
もうそれ以上聞きたくはなかった。一年生の頃より確かに成長している。そんな太樹に強く出られたら土台が足元からぐずぐずと崩れていきそうだった。
「俺はそんな風に割り切れないんだよ。条件は以前と変わらない」
「頑固だなー先生。……分かりましたぁ。ちゃんと課題終わってからにしまーす」
不真面目な返事をして太樹はそっぽを向いた。
……数学じゃないんだから、か。
確かにそうだと思う。
数学は正しい公式を使えば解が出る、証明が出来る。だから湊は数学を選んだのだ。
答えの無限にある問題だったら、一つの解を選び出す事などできる気がしない。
自分が国語の教師だったら正しい回答に導いてやれたのだろうか。そんな益体 もない想像をする。
「じゃあ俺そろそろ部室戻るよ」
「そうしてくれ」
疲れた表情で湊はひらひらと手を振って応える。
「先生」
「なんだ」
まだ何かあるのかと言外に含み太樹に目をやる。
「俺、何年経っても先生のこと好きだよ」
「……何でそんな事が分かるんだよ。ちゃんと恋愛したこともないくせに」
「そんなのしなくたって分かるよ。自分の気持ちなんだから」
いつもの根拠のない自信から来るものとはどことなく違う、真剣な表情ではっきりと太樹は言い切ると湊に背を向け走って行った。
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太樹からの連絡が無くなり一週間が過ぎた。全く何の音沙汰もない。
だがその前が三年間空いていた事を考えると些細すぎる日数だ。そう思おう、と湊は自分に言い聞かせた。
だがどうしても違和感を感じる。靴に砂が入った時みたいに心の中がザラザラする。
自分から連絡した方がいいのだろうか。
けれど連絡してどうなるのか、どうするつもりなのか。
太樹と再会してからの約一ヶ月間は、常に喉元にナイフの切っ先を突き付けられているような緊張感が続いていた。
今その矛先が一瞬それて、安堵している自分がいることも湊は否定しきれない。
──好きか嫌いか。
そんな単純な二択じゃない。
そんなもの、とっくに解は出ている。解は出ているのに正解じゃない。だからどうして良いか分からない。
この問題には当てはまる公式がない。自分には解く自信がない……。
そんな事を考えている間に更に一週間が過ぎ、中間テストや体育祭それから期末テストとなんだかんだで忙しく毎日は過ぎてゆき、結局気に掛けることはあったが何も出来ずにいた──。
連絡が来なくなってから三ヶ月。7月ももう下旬になっていた。
学校が夏休みに入り時間に余裕が出来てみると、急に湊は太樹の事が心配になった。
今まであえて連絡を取らないのだろうと一方的に考えていたが、もしかしたら事故や病気で連絡が取れない状況になっているのかもしれないと思い付いてしまったからだ。
万一そうだったらどれだけ湊は自己中心的な態度を取ったことになるか。
自分がとんでもなく非情な人間に思え、すぐにでも連絡をしなくてはいけないと思う。
けれど夏休みで授業はないとはいえ、教師の自分は学校に出勤中なのでせめて帰ってからゆっくり考えたい。
そして帰れば帰ったで今日は遅いから明日にしよう、そんな風にまた延ばし延ばしにしてしまい週末まで来てしまう。
そして土曜日、今日こそ本当に連絡をしようとスマホを取り出す。
電話帳から太樹の番号を表示するがどうしても通話が押せない。それならメールでと思い画面を開くがなんと打っていいか分からない。
どちらにしても、あまりにも放置しすぎて今更なにを言っても遅すぎる気がしてしまう。
スマホを机に伏せて置き、その上に両手を乗せてうつむく。
──どうして俺はもっと早く連絡しなかったんだ。
心配している。そんな簡単な事すら言えなくなるまで。
そのまま何分もそうしていたがやがて湊は顔を上げ、もう一度メールの画面を開く。
──何もなければそれでいいじゃないか。いま連絡しなければどんどん連絡しにくくなるだけだ。
まさに今そうなっているように。一分、一時間、一日毎に。
『連絡がないので心配している』
それだけ入力し、送信する。
全身の力が抜けて机に突っ伏す。たったこれだけのことで大仕事を成し遂げた後のようだ。背中から冷たい汗が吹き出している。
唐突に顔の横にあるスマホが振動して飛び起きた。
──嘘だろ。
液晶は太樹からの着信を表示していた。
一瞬だけためらって通話ボタンをスライドさせる。
「湊さん!?」
何故か太樹が電話の向こうで慌てている。
「水上?どうした……?」
「だって、俺、ごめん!」
突然謝られて湊には何のことだか分からない。
「なに、どうかしたのか」
「湊さんを心配させた」
今さっきのメールを見て掛けて来たことには違いないようだった。
こうして電話出来ているということは大事が起きた訳ではなかったのだろう。
「何かあった訳じゃないんだな」
「ないよ。連絡しなかったのは……ただの俺のワガママ」
「……なら良かった。安心したよ」
それが分かっただけで十分だった。
取り返しのつかない事になっていたらどうしようとまで思ったのだから。それ以外なら理由なんて何でもいい。
「なんで?湊さん怒ってねえの?」
「怒る?どうして、怒ってなんかないよ」
すると太樹は向こう側で声を上げて笑いだした。
「どうしてくれんの。俺まだ仕事中なのに、すっげえ湊さんに会いたい」
「我慢しろ」
「……やっぱり湊さんには敵わないよ」
それを聞いてそれはこっちの台詞だと湊は思う。
いつもいつも湊を振り回してあっけらかんとしているのは太樹の方だ。
「ねえ、明日の夜空いてる?」
日曜の夜だ。特にすることもなかった。
「予定はないよ」
「じゃあさ、ライブ演るから観に来てよ」
「いきなりだな」
まただ。やっぱり太樹に振り回される。
「場所の地図とか時間とか後でメールしとくから。やべ、もう戻んないと店長キレる。じゃあね」
そして唐突に通話は終わった。
三ヶ月、音信不通かと思えば明日ライブに来いだとか。
完全にいつもの太樹のペースじゃないか。湊は溜息をつきながら苦笑いする。
夜になってから太樹のメールが届いた。
ライブハウスの地図と受付で名前とバンド名を言えば入れるようにしておくという内容が添えられていた。そして出番は最後だから20時に着いていれば間に合うと書いてある。
場所は湊の苦手な人の多い新宿だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ライブハウスの防音になっている重たい扉を開くと、すぐさま足元から胴体を貫いて頭に響いてくる重低音に包まれた。
衝撃波のような音のインパクトに一瞬、湊は平衡 感覚を失った。周囲は暗く辺りがどうなっているのか良く分からない。
逆に正面は眩しく、スポットライトを浴びた女性ボーカルのバンドが演奏をしているのが見えた。
ステージ上に太樹はいない。出番はまだのようだった。
湊は20時少し前にこのライブハウスに到着していた。
目が慣れてきた湊は周りを見回してみる。薄暗い箱の中に人、酒、タバコそれから甘い匂いが充満した空間だった。
あまり広さはない。五十人も入ればキャパオーバーになりそうだった。
ステージに近い前列はかなり混んでいるが、後ろの方はなんとか人とぶつからなくても済む程度にはスペースが空いていた。
出演バンドも客も全員、内輪つながりの大したイベントじゃないから気楽に来ればいいという事だったが、ライブハウスに来る事自体が初めての湊は落ち着かない。なるべく人の空いている所を探して移動する。
いきなり背後から伸ばされた腕に肩を抱かれる。胸の前に来た手にはビールの缶が握られていた。こんなことをするのは太樹しかいない。
湊が冷静に巻きついてきた相手を見ると、やはり太樹の顔が至近距離にあった。何も言わずに湊を見つめ、そのままあごの下を手で支えると顔を仰向かせ強引なキスを仕掛けてきた。
テンションが上がっているのとアルコールが入っているせいもあるだろうが余りにも唐突だ。
こんなにも人の大勢いる前で突然のその行為に、避ける暇もなかった湊はさすがに憤然とする。
「やめろ!なにすんだよ」
すぐに顔を離して言ったが、これだけ大音量で曲が流れている中それは太樹の耳には届かない。届いていても関係ないのだろう。
怒ったことが伝わりはしただろうが、太樹は嬉しそうで口元を湊の耳に触れるほどに近づけると言った。
「来てくれてマジで嬉しい。すげえ会いたかった」
そんな太樹に毒気を抜かれて湊は怒るのもバカバカしくなる。
連絡が途絶えてから久しぶりに会うという一種の緊迫感も心構えも全く無駄にしてくれる。
太樹はいつも変わらず太樹だった。
演奏中の曲が終わると「楽屋行って準備してくる」と言って太樹は離れていった。
頬にキスをしていくという、ふてぶてしさを置き土産に。
ステージ上では女性ボーカルバンドのラスト曲の演奏が始まった。
その日のトリとなる太樹のバンドがステージに上がった。メンバーは全員男性の4ピースバンドだった。
よくあるボーカル、ギター、ベース、ドラム構成だ。
チューニングが済むと、MCを入れずにドラムのフィルインから一気にアップテンポな力強い曲が始まった。
学生の時はコピーバンドだったが、今は作詞作曲を自分たちでしているらしい。
ボーカルのかすれ具合が絶妙にハスキーな声とそれに絡み合うようなベースラインがセクシーさを醸し出している。
太樹はやや猫背気味でうつむき加減に弾いていた。手元を見つめているわけではなく、音に身を任せているように見えた。
ウエーブした栗色の髪が顔にかかり陰影を作る。芸術的な彫刻のようだ。
上下に大きく動きながら弦を押さえる右手の手首に浮かぶ筋や筋肉の動き、スラップを入れる左手の大胆な躍動感。
それに比べて身体全体の動き自体はむしろ少ない。音の中に身を投げ出したかのような自然体の姿はその対比が妙に官能的だった。
見たら惚れると自分で言うだけはある。
高校生の時に文化祭で見た時とはまるで違う。
やんちゃな子供そのもので、やたらめったら暴れ回り見る者をハラハラさせていたあの頃と、静かだが堂々とした色気をその身体に纏まとわせた今では比較にすらならない。
湊は気付かぬ内に瞬きさえ忘れて太樹を見つめていた。
全ての楽曲を演奏し終わりメンバーがステージからハケていく。
そこで拍手とアンコールの声が上がった。しばらくするとメンバーが戻ってきて、再び拍手が起こる中セッティングを始める。
イントロが流れて湊はハッとした。ポリスの『見つめていたい』だった。
太樹がリクエストしたに違いない。
バンドの技量はケタ違いに格上だが、一瞬で時間が最後の文化祭の日に巻き戻ったように感じられた。
何もかもが違っているが、瞳に映る太樹が制服姿の太樹とダブる。
あの頃から自分に向けられる太樹の想いはなにも変わっていない。
湊は流れる曲を耳にしながら、現在と過去の狭間に置いてきぼりにされたような気分がしてひどく不安になった。
違ったが、変わってない。──太樹も自分も。
太樹と湊の六年間は全く違う時間の過ぎ方だったはずなのに、会っていない期間も含めて重なり合っている。
湊の六年はどこを思い返しても太樹が居る。おそらく太樹もだ。
『何年経っても先生のこと好きだよ』
太樹の言葉が鮮明に聞こえてきた。
湊は胸が引攣 れるように痛くなった気がして思わず左胸を押さえた。
自分が今、いつの時間どこの場所に立っているのか分からない。
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