4 / 6

第3話 愛しい者

 国王の城に併設された竜舎では、竜の巣から上がったときの声を耳にして、国王に謁見を求める竜が後を絶たなかった。  だが愚かな国王は、情婦との営みを優先して、陽が暮れてからの謁見を許さなかった。フサリア暗殺の(めい)を受けた大隊長が命からがら戻り、寝所に押し入ってこの国の危機を伝えるまでは。 「国王様! 竜たちが押し寄せて参りますぞ。今すぐ戦の支度を整え、歯向かうドラグーンは殺してしまわなければなりませぬ」 「無礼者が! 貴様は打ち首にしてくれる!」  事ここに至っても、恥じ入る情婦を後ろに庇い、全裸で虚勢をはる国王に、大隊長はこの国の終わりを知った。 「処刑人が生きていたら、幾らでも私を打ち首になさいませ。竜たちは真っ先に、貴方のお命を狙うでしょう。名誉の戦死ではなく寝所で殺された王として、歴史に名を残されたいか」 「竜が……畜生が、我らに牙をむくだと?」  大隊長の静かなる死の宣告に、ようやく国王は我が身の危険を悟ったようだった。 「国王。竜は、畜生ではありませぬ。人間と同等……あるいは、それ以上に賢き空の賢者にございます。今すぐ、戦の支度を」 「お、おお……わしが命を失っては、国は滅びてしまう。すぐに近衛兵と共に落ち延びるぞ。わしが無事に逃げおおせるまで、時間を稼ぐのだ。……戦を! 近衛隊をここに!」  背に縋る情婦を突き飛ばし、国王は寝床を出て大慌てで服を着始めた。何処に逃げると言うのだ。山を幾つ越えても、竜は易々と飛び越えてくるだろう。大隊長は、この国の終焉を目にする覚悟を決めていた。 「かしこまりました。……気の済むまで、お逃げなさいませ」  そう呟いて、『国王の(めい)』として、戦をする事、人に従わぬ竜はすぐに殺してしまう事を徹底させた。それがどんな悲劇を生むのか知りながら。  ナージャたちの到着を待たずして、すでに戦は始まっていたのだった。城のあちこちで、耳を覆いたくなるような竜の断末魔が聞こえてくる。混乱した兵士たちは、国王に危険を知らせようと謁見を求める竜たちにでさえ、寄ってたかって剣を突き立てていた。  城の内外は、さながら地獄絵図のようだった。いや、地獄でももっとマシだと思えるような虐殺がそこかしこで行われていた。中には、竜舎で抱き合う男女も見てとれた。涙を流し、この戦を嘆いている。  竜は元々、弱き者を護ろうとする情に厚い生き物だった。番いの人間を竜身の背に乗せ、飛び立っていく者も少なくない。誇り高い竜は、最期まで番いの人間を護るだろう。竜同士の戦など、歴史上一度もなかった事だった。 「酷い……」  城の上空に達したナージャたちは、高みで大きく旋回し、戦竜がひと所に集まるのを待っていた。ここまでくれば、アレンにもドラグーンたちの断末魔が聞こえてきて、思わず漏らした一言だった。 「許せねぇ……国王は狂ってやがる」  ナージャも獰猛に唸って賛同する。低い所を散り散りに飛んでいる同胞たちは、命の危険を感じ、あるいはどちらに加勢するか決めかねて、城を抜け出した者たちだろう。  だがやがて、背に銃を持った人間を乗せたドラグーンたちが、ナージャたちを目指し上昇してくる。 「迷うな! 無用の争いは避け、国王を倒すのだ!!」  戦竜の一匹が号令し、ナージャとアレンにも叫んだ。 「ドラグーンは俺たちに任せろ、ナージャ! アレンと二人で、国王を探せ!」 「分かった!」  ──パン、パンッ。  ドラグーンたちが、銃を撃ってくる。悲壮な覚悟を決めたひと番いたちは、文字通り命を賭して向かってきた。それはそのまま、無敵の強さに変わる。  ドラグーンと戦竜たちが次々とかぎ爪を交える中、ナージャは垂直落下に近いほど一気に城を目掛けて降りていった。途中幾度か、決死のドラグーンが狙ってきたが、全てアレンがその身長よりも長い槍で降りかかる火の粉を振り払った。そのお陰でナージャは、スピードを緩める事なく城の尖塔の先にまで、一息に辿り着けたのだった。  そこに止まって首を伸ばし、上ったばかりの上弦の月の光の中で、戦況を見渡す。そこかしこに竜の遺骸が横たわり、また的にならぬよう人に化身した竜が武器を取り人間たちと戦っていた。戦竜は武器の扱いにも長けていたが、銃の威力と多勢に無勢で、じりじりと後退を余儀なくされていた。 「ナージャ……東の谷だ」  見えない筈のアレンがきっぱりと口にする。 「確かか」 「ああ。分かるんだ」 「よし」  そう言うとナージャは、月のもとでも光り輝く黄金の翼を大きく広げ、ひと声低く夜空に吼えた。見晴らしのいいそこは、逆に言えば、地上からもよく見えるという事だった。待ちわびたフサリアを目にして、竜の民は喜びの声を上げ、兵士たちは腰を抜かした。フサリアに組する戦竜たちは、仲間を鼓舞して同じように吼えあげた。 「しっかりと掴まっていろ」  ナージャはそのまま、羽ばたいて東を目指す。緑豊かな森が皮肉な事にナージャの視界を遮っていたが、アレンがナージャをそこへ導いた。 「ナージャ、この下だ」 「分かった。降りるぞ。……死ぬなよ、アレン」 「ああ。君も」  巨体を抱き締める代わりに、アレンはナージャの黄金の背中にひとつ、頬ずりをした。ナージャが人に化身して二人が地に降り立つと、そこには百人ほどの近衛兵がいて、馬も渡れぬような湿地帯を膝まで浸かって行軍していた。  突然降ってきた二人に、兵士たちは動揺してばらばらと剣を抜く。ナージャも負っていた剣を抜いた。カッツィが特別に作らせた、ナージャの毛並みと同じ黄金の刃を持つ大剣だった。  戦う事に迷いも恐れもなかったが、互いを失う事だけを、二人は恐れて背中を合わせた。近衛隊が二人を囲む陣形を整えぬ内に、彼らは素早く討って出る。  先鋒はナージャ。カッツィとの稽古を思えば、相手が百人でも互角以上の戦いが出来た。一人、また一人と討ちとってゆく。『鬼ごっこ』の成果で、ぬかるんだ地面にもたつく近衛隊とは対極に、二人は互いの背中を護りながら身軽く跳んだ。  能力の差を考えれば、元よりこの百人は敗残兵だったのだ。恐ろしく強い二人の戦いを目の当たりにして、三十人ほど討ち取った所で、残りの兵が役目を捨てて逃げ出した。しかし殲滅が目的ではない。逃走兵を追う事はせずに、取り残された天蓋付きの輿に、二人は歩み寄った。 「この期に及んでも逃げ隠れする気か! カッツィの(かたき)だ……出てこい!!」  ──パンッ。  ナージャの憎しみが終わらぬ内に、銃声が二人を永遠に引き離した。輿の窓から、火薬のはじけた後の細い白煙が上がっていた。 「……アレン!!」  アレンが後ろに倒れていくのが、まるでスローモーションのようにゆっくりと見えた。ナージャには、その弾がアレンの胸の真ん中に命中するのが見えていた。だが憎悪に身を焦がす余り、反応する事が出来なかったのだ。 「アレン、アレン!!」  呼んでも、もう返事が返る事はない。分かっていても、叫ばずにはいられなかった。カッツィも、アレンも、失ってからその愛しさに、そして自分の愚かさに気付く。  ──パン、パンッ。 「ぅーるぁぁああ!!」  ナージャは、放たれる弾丸を避けようともせずに、輿に向かって突き進んだ。怒りに任せて、輿ごと国王を真っ二つに叩き斬る。一瞬の出来事に、悲鳴さえ上がらなかった。ズ、と斜めに輿は左右にずれて、ぬかるみの中にその首は沈んでいった。 「……カッツィ……アレン……」  気付けばいつの間にか、天は大粒の涙を流していた。ナージャの心をうつしたように、稲光と豪雨と強風が渦巻いて、嵐がやってきた。心と身体の傷に、手足の末端が痺れて温度を失っていく。大剣を取り落とし、ナージャは、泥に埋もれそうになっていたアレンの遺骸を抱き上げた。 「アレン……今、綺麗にしてやるからな……」  鋭敏なナージャの耳には、流れ水の落ちるごうごうという水しぶきが聞こえていた。距離にして三百メートルといった所か。そこまでナージャは、泥まみれのアレンを抱えて、森の中を進んでいった。 「アレン……少し冷てぇけど、我慢しろよ……」  アレンを抱えたまま、自らも滝に入り、身を清める。泥に汚れていたアレンの遺骸は元の美丈夫に戻って、まだ暖かいぬくもりを遺したまま、ナージャを孤独にさせた。  嵐はますます強くなって、視界が殆ど利かなくなってきた。 「アレン……俺ももう、駄目かもしれねぇ……」  最後に国王が放った弾丸は、肩と太ももに食い込んだまま、血を流し続けている。加えて変温動物の竜であるナージャは、滝に入った事と吹きつける嵐とで、殆ど動けなくなっていた。  それでも、せっかく綺麗にしたアレンを汚したくなくて、当てもなく歩き続ける。猟師たちが使う山小屋が目の前に現れたのは、奇跡と言っていいだろう。ナージャは中に入って扉を閉めた所で、ついに倒れ込んだ。 「お前はまだ……あったかい、な……」  生きているナージャよりも、天上に旅立ったアレンの方が暖かいという矛盾が起こって、ナージャはアレンの身体に寄り添ってきつく抱き締めた。雨風は防げたものの、猟の時期ではない嵐の山小屋に、助けが来るとは思えなかった。 「俺ももうすぐ……そっちに行く……アレン……」  もう動かなくなった身体で懸命にアレンを抱き締めたまま、ナージャは次の朝陽が自分に昇る事はないだろうと悟って、アレンにそっと口付けた。

ともだちにシェアしよう!