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第4話 粗塩対応

 俺の場合は異性が恋愛対象じゃないからまた別なんだけど、誰だって異性に対して、良い顔しちゃうっていうのはあると思うんだ。いわゆるブリッコっていうやつ。けど――。 「あーそれねぇ。大変なんだよねぇ。いいよいいよ。私のほうでなんとかしてあげる」  けど、まさかのブリ子が!  もったいブリ子って、仕事をもったいぶるっていう意味かと思った。テスト課は基本ブリ子と接点少なくて、もったいぶられることはあんまりないんだけど、他部署、多分、それこそ営業とかはすごい仕事をもったいぶられるんだ。部署ごとの進捗を監視してるブリ子は必要書類の管理もしてたりする。その必要書類をくださいって言っても、今すごく忙しいから明日以降じゃないとダメ、とか、こっちの書類が終わってからやります、とか。書類の受け取りだけでもすっごいもったいぶられるから。それで、もったいぶり子、なんだと思ってた! 「でもホント、もおー、頑張ってよぅ。ヤング組はさぁ」  何! ヤングって何! 「まぁ、今回はやってあげるけどさぁ。次からは頑張ってよねぇ」  まさかの、ブリッコブリ子っていう意味が含まれてるなんて!  シナリオ部の若い男性社員にすっごい笑顔で、すっごい肩をすくめて、すっごい……顎しゃくらせて、しかも笑うとなんでが顎が割れるなぞの骨構造で。 「あはは、仕方ないなぁ」  めちゃくちゃ、ぶりっこしてる。  そのシナリオ部の人がほんのりと苦笑いを零しながら、お願いしますと頭を下げ仕事の遅れのフォローを頼むと、しゃくれた顎をブンブン振りながら、いいのいいの、って語尾にハートマークがつきそうなほどの甲高い異星人声で彼を見送った。  彼だけを対象にってわけじゃなくてさ。  絵コンテのほうのスタッフが今朝一番に乗り込んで、仕事のスケジュールの一日前倒しを頼んだのも、もったいぶりながらブリッコしてた。  つまり、これは全異性を対象にした。 「持田君、いるかな」 「……はい」 「すまないがこの書類を作ってくれないか?」 「……あー、これ、数日かかります。たぶん金曜になると思うので」 「いや、それじゃ遅いんだ」 「無理です! 最前で金曜なのでそれで調節してください」  いや、全異性じゃないらしい。年齢的に、ヤ、ヤ、ヤングが、ブリッコ対象らしい。初老はアウトみたいだ。すげぇわかりやすすぎて、見ちゃうんだけど。何あれ、すげぇ。 「須田君はできた?」 「へ?」 「さっき言ったでしょう? 進捗確認、昨日教えたとこだけど?」 「あ、えっと、はい。あの、この表がひとつわからなくて」 「……教えたでしょ?」  そして俺はアウト、らしい。  ヤングだろうが! 入社して三年はまだ全然ヤングだろうが! ピチピチの二十三歳だっつうの!  なんで俺だけ塩対応なんだよ。塩どころか粗塩。粗塩対応。  一回しか教えてもらうの許されないって、しんどくない? 自分は何でもひとりでできるからって、俺は能無しのバカチンみたいに思われてるって、ひどくない? せめて、猶予のワンチャンくらい欲しいんですけど。  あ、なんか、あの粗塩対応の時の顔思い出したら、胃のとこがムカムカしてきた。マジで。 「へぇ、そりゃすげぇキャラだな」 「だろ! マジで、本当にすごいんだって!」  このムカつきを吐き出すべく、いとこで、同じゲイで、でも、俺と違ってタチ専で、なんでかちっとも似ずに、イケメンに育った、一樹(かずき)を呼び出した。  今日はとことん付き合ってくれって頼んだんだ。親類で近所で、歳が近くて、同じマイノリティーだから、なんでも話してきた。それこそ、自分がゲイだって自覚した時のことだって、全部。  本当は馴染みのゲイバーがよかったんだけど、もうそこまで電車の乗り換え二回をする気力もなかった。 「まぁ、あだ名からしてすげぇけど」 「もったいブリ子めぇ……」  すごくね? もったいぶる上に、ブリっ子なんだ。もう強烈すぎて開いた口が塞がらないどころじゃない。もう口を開ける余裕すらないっつうの。 「マジでホント……」 「そりゃ、誰も続かねぇわな」  一樹は涼しげな顔で枝豆を摘んでる。 「はぁ……ホント、最強だ。ブリ子」 「……言っちゃえば? 貴方、最強ですねって」 「……言えるわけねぇじゃん」 「俺なら言うね。仕事になんねぇじゃん。しかもわざと早口で教えるんだろ? メモ取る時間も作らせないで、バーとしゃべって、はいお仕舞い。けど、ミスはダメ、もう一回聞くのもダメ。普通に誰が見たって最悪だろ」  そりゃ、一樹なら言えるだろ。昔っから竹を割ったような性格してたし、イケメンだし。そもそも、ブリ子が超絶ブリっ子対応するから、胃がムカムカすることがないと思う。 「別に、そこまであからさまだったら、我慢することもねぇだろ」 「……無理だってぇ」 「お前、言いたいことはちゃんと言ったほうがいいぞ。仕事なんだから。仕事は仕事割り切ってサクサクやるんだよ。それでお前が戸惑って、テンパってミスしたって、お前が悪いことになるんだぞ? 理不尽だろ」  そうだけどさ。そんな強くなんて言えない。  レストランとかの内装デザインをひとりで手掛けちゃう一樹は、そうだろう。仕事だって、自分で自立してさ、テキパキこなしてる。建築デザイナーの仕事なんてめちゃくちゃカッコいいじゃん。 「それより、祐真」 「んー?」  はぁ。明日からの仕事、ぶっちゃけ、やだ。せっかく朝はいい気分だったのに。がんばるぞーって、思ったのに。 「……惚れたな」  明日からのことにズーンと沈んでテーブルに突っ伏した俺は、ワイワイガヤガヤと騒がしい中で聞こえた言葉に耳を疑った。 「……は?」 「だから、惚れただろ?」 「はぁぁ?」 「その同期の、なんだっけ?」 「は。はぁぁぁぁ?」 「あ、思い出した。土屋」  その瞬間、顔面が発火したのかと思った。 「なっ、なんでそうなるんだよ! 俺は、今日はっ」 「もったいブリ子の愚痴だろ? けど、お前、俺に会って開口一番なっつった?」  ――もおお。大変だったんだよ。朝さ、あんま親しくなかった同期とさ、一緒になったんだよ。すっげぇ変な飴もらって、それが面白くて、すげぇガンバローって思って行ったのに、一日で意気込みぽっきり折れたー! 「俺には、その同期と話せて楽しかったのに、心が折れるほどブリ子が性格ブスでしんどい、って聞こえた」 「……」  枝豆を俺の話しを聞きながらずっと食べ続けた一樹が枝豆探索を終了させ、おしぼりで手を拭いてから、次のつまみと酒を選び始める。 「それに、お前、いつも好きになるの、秒速じゃん」 「……」 「イケメンなんだろ? お前も、モデルみたーい、って最初思ったんだろ?」  ――バカ、柱に激突するぞ。 「優しくて」  ――そのメモにあっただろ? たぶん、シナリオより後だと思うぜ。矢印辿ると、ほら。 「そんで……やっぱり、優しい」  ――やるよ。飴ちゃん。 「お前が好きになる要素しかねぇじゃん」  言いながら、手元にあった呼び出し用ベルを押すと、どこからともなく「ピンポーン」ってまるで、それ正解、とでもいうような効果音が店内に鳴り響いた。

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