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第9話 オーマイ、神様!
キスって、キスって、つまり、俺と土屋が、せ、せっ、接吻ってこと?
「須田」
あのイケメンで何でも出来ちゃう優秀な土屋と、平均的人材、くらいではあって欲しい、凡人な俺がキス? あの土屋が男とキス? あんな土屋がキスすんの? 土屋のキスって。キスって。
「そしたら、信じるか? 俺がお前のことを好きだって」
じりじりと詰め寄られて、壁に追いやられ。
「できるぜ?」
土屋しか見えなくて。押し付けられて、逃げ場なくて、心臓が止まりそうだ。そんな中で思ったことは。
「須田」
土屋のするキスって……どんなふうなんだろ。
「……なんて、強引に奪ったりなんてしねぇから、安心しろ」
「!」
バカだ。大バカだ。するわけないじゃん。キスを奪うぜ的展開とか、ドラマじゃないんだし。ここ道端だし。っていうか、されたら困るだろ。うん。とても困る。だからここは笑って、ノンケの気の迷いになんて付き合ってられないって、そんで、この劇的壁ドンから逃げるんだ。逃げて、それから。それから。
「なんて、言おうと思ってたけど、やめた」
「へ?」
逃げたら、そのまま、明日からまた仕事を一緒に。
「須田」
「! っ、ンっ……」
一緒に宜しくお願いしますって言おうと。
「んんんんっ」
塞がれた言葉と呼吸。柔らかい唇に少し強引に開かされて、吐息以上に熱い舌が入ってくる。
「ン、んっ……ン」
土屋の舌、柔らかい……じゃなくて! なんで、こんな柔熱いの……じゃなくて!
「んんっ……ンふっ、ン」
舌、絡めるな。濡れた音とかやらしいしダメ、蕩けそう。変に、なっちゃいそう。だって、これ気持ちイイ。
「ンっ……」
このキス、美味し……い、じゃなくて、さ。
「須田……気持ち悪いとか、よかった、なさそうだ。怒ってもないみたいだし。」
俺の顔を覗き込んで、何んも答えてないのに、なんかひとりでホッとするなよ。それじゃまるで、俺は土屋にキスされて、ちっともイヤじゃないみたいになるだろ。
「これで信じたか?」
土屋がキスをした。
「俺がお前のことを本気だって」
あの土屋が俺に、キスをした。
「お前のこと好きだって」
絡まり合ったリップ音が艶かしい、やらしくて、濃厚で、気持ちよくてどうにかなっちゃいたくなる本気のキスを、あの土屋が俺にした。そんで、そのキスで濡れた土屋の唇を見つめてしまってた俺に。
「あと、今日でももっと好きになった」
「!」
「本気だからな」
俺に、今度は唇に触れるだけのキスをした。
二度、されたんだ。そして、俺の心臓はニヒルに笑う土屋に思いっきり飛び跳ねて慌ててた。
キス、しちゃった。
風呂上り、洗面所の前で自分を見つめて、目に焼きついている土屋のドアップを隣に並べてみる。
そして、そっと自分の指でさっき触れた唇を思い出すように押した。
「落ち着け、俺」
鏡の向こうの自分に向けて呟く。
どう考えたって、あのルックスのノンケがこの顔面の俺を好きになる要素が見つからない。何がどうなったら、本気で俺に惚れるのかがわからない。
けど、今日でもっと好きになったって言われた。念を押すように、本気だからなって言われた。キスを二回した。一回目は濃厚で、エロくて、お遊びではしない本気のキス。そのキスで俺が並べた「ノンケ土屋が俺を好きになるわけがない」っていう理由を蹴散らした。
二回目のキスは、好きだって思って、愛しさに身体が勝手に動いたような、可愛くて甘いキスだった。
「……」
ふぅ、と溜め息を口元を覆ったバスタオルへと吐いて、深呼吸。
「……」
あいつって、あんなキスするんだ。あんな――。
「いいいいい、イーリス! イアソン! イカロス!」
考えちゃダメだろ。今、頭の中をいっぱいにするべきは土屋のことじゃなくて、その土屋と一緒に作らないといけないゲームのことだ! そのために神様の名前をいっぱい詰め込まないといけないんだよ。百以上ある名前を覚えれば、きっと俺の凡人サイズの脳みそからは雑念が押しのけられて、神々しい神様のお名前ばかりになるから。
「あ、あと、イーアペトス! イがつく名前めっちゃ少なっ!」
そう誰もいない部屋、自分自身に突っ込みを入れて、今度は俺が土屋のことを脳内から蹴散らした。
ア行神様めっちゃ多い。そして覚えにくい。それと、「ス」が最後に付く名前がたくさんある。
「おはようございます!」
朝、元気良くギョウカンの部屋の扉を開く。ヘカテー、へーベー、へーラー、への付く神様の名前を羅列しながら。
「……おはようございます」
目の前には顎をこれでもかとしゃくれさせたブリ子の、驚くほどに愛想ゼロの仏頂面。けど気にしない。
「今日から、新プロジェクトのほうが始まるので」
「知ってます」
やたらと疎遠で、やたらと元気のない朝の挨拶だって、朝一から眉間に深く刻まれた皺にだって、しゃくれた顎が実は割れてたって沈んでなんていられない。昨日は自分の煩悩を追いやって忘れられるようにってすごく頑張ったんだ。おかげでかなりたくさん覚えられたもんね。
へーリオンス、ペルセポネー、ヘルメス、ポーライ。
「よ」
ポセイドーン。
「つ! つつつつ、つ」
その神様の名前を詰め込んだ頭の上に置かれた大きな手。
「持田さん、おはようございます」
朝から爽やか笑顔のイケメン同期に頭を撫でられ動悸息切れが。なんだその、顔面。鼻筋シューってしてて、キリッとしてて、そんで、そんで。
「あら、土屋君。おはよ」
え? えぇ? 地獄のギョウカンに来てから聞いたブリ子のブリッコ声の中で、今のダントツだった! 今の! 顎! しゃくれ笑顔の! 声が!
「すいません。今日から、須田、ちょくちょく借りに来ちゃうと思うんですけど」
「いいのよぅ。全然」
「そしたら、朝から打ち合わせしたいので、借りてきます」
「どうぞどうぞぅ」
「ありがとうございます」
ブリ子も豹変するほど、ゲイの俺の心臓がこんなになっちゃうほど、イケメン土屋に、朝一、ずるずると引っ張られるように連れて行かれながら、一晩かけてたんまり詰め込んだ神様の名前がどんどん零れ落ちていくような気がした。
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