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第14話 ホロホロ崩れる

 心細かった。すごい責められたし、ポカミスのダメージがけっこう大きくて、しんどくて、だから――。 「やっぱ、変える」 「……へ?」  一緒に俺のポカミスをフォローしてくれる土屋が嬉しかった。ひとりぼっちでさ、無音のギョウカンの部屋はちょっと冷たくて、悲しくて、悔しくて。だから、今ってすごくダメなんだ。ぺしゃんこになりかけてたのに、今、膨らんでる。俺、今、土屋がここにいてくれることに、こんなに嬉しくなってる。 「礼……」 「……」 「酒じゃなくて」  すごく、ほだされてる。 「キス……」  胸のところがジワッてした。キスと呟く土屋の低い声に指先がじんわりと熱くなる。目の前にあるパソコンふたつが盾になってくれてるけど、二度触れたことのある唇がその向こう側にあって、そんで、俺を見つめてて。  キス、したいって言われて、俺は。  俺も――。 「なんてな」 「!」 「そんな困った顔すんなよ。冗談だ」 「なっ」  キスと囁いた土屋の声は低くて甘かった。今、冗談って言った時とは違う声で、その声色の違いに、部屋の中も切り替わる。そのことに俺は、ホッとした? それとも。 「っていうかさ、これ。お前、なんでこんなに確認ばっかしてんの?」 「え?」 「いやさ……これ」  言いながら、土屋がパソコンの画面を指差した。向かい合わせで座っている俺にはその画面の何を言ってるのかわからなくて、そっちまで移動して、その指先が指し示すところを覗き込む。けど、何の変哲もない、いつも自分が仕事で使っている業務確認画面だ。 「? なんでって……」  だって、そこを見て、作業が終わっているかどうか、終わっていないのなら、何日に終わる予定なのかを確認して、次の工程との兼ね合いを考えるんだ。で、その確認をすっかり忘れてたせいで、本当な昨日外注に作画発注をお願いしないといけなかったのがすっぽ抜けたんだ。 「これ、普通にこんないちいち何回も確認しなくていいだろ」 「?」 「うちの営業アシスタントがこれと同じリストを普通に持ってるけど?」 「え?」 「それと、これと、これも意味ない」  そう言って、土屋が指し示したのは、ギョウカンに異動した直後にブリ子に尋ねたことがある。なんで着手日なんですか? って、理由がわからないから、自分がなんの作業をしているのか理解できなくて覚えにくかったから。けど、答えは「そういうことなの」だけだった。 「これも。すげぇ無駄」 「……」 「こんなんいちいち確認してたら日が暮れる。もっと合理的にやれる。お前、これ、言われたとおりにやってたんじゃキャパ越えるだろ。しかもいらないことばっかでクソめんどくせぇ」  土屋が俺を見て、溜め息をひとつ、落とす。呆れたとか、バカにしたような溜め息じゃなくて、優しい吐息に近い溜め息。 「大変だったろ」  うん。すごい大変だった。わけがわからないまま、これはこう、とだけ言われてなぞらされる確認作業。作ってるゲームが違えば、それに携わる人も変わる。外部の人間だってそれぞれ違ってて、送られてくる書類はその会社ごとでバラバラで、どこに目を通したらいいのか、何を確認しているのか、ひとつひとつで躓いてた。そんで、わからないと尋ねれば、もう教えたでしょ? の一言が返って来て、やたらと早口な解説に慌てて。 「教え方下手すぎだ」 「……」 「泣くなよ」 「っ」  だって、ずっとそんなだったんだ。ギョウカンはブリ子一人だけしかいなかったから、他の人に助け舟を求めることもできない。わからないことへの苛立ちも、毎日必ず一回は向けられるイヤそうな表情も、ものすごくストレスだった。どうしたらいいのかなんてわからない。けど、これは仕事だから、頑張るしかねぇじゃん。頑張って、よし、今日こそはって思っても、その日の帰りにはもうHPごりごりに削られまくって。  けど、これは仕事だから。  そう割り切って。 「バカ」 「っ」  ガタンって、土屋が座っていた椅子が音を立てた。そんで、目の前が暗くかげる。 「泣くことねぇだろ」 「っ」 「大体の流れわかったから、なんか困ったら、俺に相談しろ」  できないよ。土屋にだって仕事あるだろ。抱き締めてくれる腕の中で小さく首を横に振った。 「いいから! 絶対に俺に頼れ」  ダメだよ。土屋は俺よりもっとたくさんやることがあるはずだ。だから頼れない。もう今こうして手伝ってもらえてるだけでも、すごく嬉しいのに。 「俺が手伝いたいんだよ」  ぎゅって、抱き締めてくれる腕が強くなった。 「好きな奴に頼られて嬉しくない男はいないだろうが」 「……」 「頼れ、いいな?」  心細かったから。ぺしゃんこになりかけたから。落ち込んでたから。だから、この温もりに心が柔らかくなる。 「頼れよ」 「っ」  そんな優しい声で言われたら、ほろほろ崩れる。 「そしたら、礼にキスのご褒美、もらえるだろ」  抱き締めてくれる土屋の背中に手を回したくなる。もっと頭を預けてすっぽり包まれてしまいたくなる。 「だから、頼れ」  ぎゅっと、抱きついて。 「っつうか、須田、もう少し警戒しとけよ」 「っ」 「好きだって、言っただろうが」  このまま土屋にキスしたいと思ってしまう。そのくらい、この腕は今の俺には、胸が苦しくなるほどたまらなく温かくて優しかったんだ。

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