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第16話 怖がりシーシュポス
人事の美人さんが、俺らの同期で、けど、ちょっと飛び抜けて優秀な土屋のことを狙っている――らしいよって俺と福田が話してたのは去年のことだった。
社内で俺も何度か人事さんが土屋と話してるのを見かけたことがある。その時は「ふーん」って思っただけだった。お似合いだなぁとかさ。そんくらい
すっごい美人なんだ。モデルみたいに細くて、綺麗で、この前大ヒットした映画に出てた女優さんに似てるって、皆言ってた。ミスコンとか出てそうだよねって話してたっけ。
福田も、テスト課のアルバイト男子とかも、皆、その人事さんとこに何か用があると少し嬉しそうだった。俺は彼女に対してなんも思わなかったけど。
でも、今、彼女に対して、胸がざわついてる。
土屋と彼女のツーショットとか見たら。今、そんなふたりをこうして廊下で発見してしまったら。
「土屋さん、おはようございます。あのね……」
胸のところがチクチクする。
なんの話をしているのか気になって、見ちゃうよ。
ブリ子に言われた連絡書を部署ごとに配ってる最中だった。廊下で、前を歩く背中が誰かすぐにわかったんだ。
あ、土屋だ。
そうわかって声をかけようかどうしようか悩んでたら、ひょっこり現れた人事さんが先に声をかけてしまった。苺の飴と同じに先に持っていってしまった。
ねぇ、何話してんの?
「……でしょ?」
ちっとも聞こえないけれど、人事さんがとても嬉しそうに笑って、隣に立つ土屋を見上げてる。たまに笑い声が聞こえると、耳がダンボになってしまう。
去年見た時には何も思わなかったのに、今は思うことがありすぎてどうしたらいかわからない。
あの苺飴、人事さんからのお裾分けだったのかもしれない。きっとそうだったんだ。たったそれだけのことで、気持ちがひねくれて、胸のうちの端っこにしゃがみ込んでしまう。
飴、いっぱい持ってんのは、あの人事さんから定期的にお裾分けしてもらってるから?
楽しそうに今朝も買ってたから、またお裾分けしてもらえるかもよ?
「……」
チクチクがちょっと強めに痛んだから、迂回ルートで目的の部署へ向かうことにした。きびすを返して、ふたりに背を剥ける。
「土屋さんって」
背を向けたのに、断片だけ聞こえた彼女の声を耳はしっかりと追いかけようとしてた。
仕事、少しは慣れて来た、かなぁ。けど、そんなことを考えてるとまたポカミスしそうだ。さすがに二回目に同じような失敗はしたくない。ちょっと慣れて来た頃が一番危ないって、運転免許証センターで講習の時に言われたっけ。今がまさにそれだよね。
「ふぅ」
一日中、脳みそフル回転させて、メモ片手にパソコン画面に向かって、あそこ開いて、あれを確認して、こっちにこれをコピペして、照らし合わせたら、今度は……なんてことをしてるとさ、体はそんなに動かしてないはずなのに、すっごい疲れる。
甘いのが欲しくなる。あの、甘い甘い苺飴みたいに。けど、苺飴は持ってないから、代わりにと自販で一番甘そうなコーヒー牛乳を買ってみた。苺星人じゃなくて、牛が盆踊りをしている紙パックの。
「今朝は、寝坊?」
「!」
受け取り口へと落ちてきたそれを手に取ろうと屈んだのと同時に辺りがかげって。
「……ぁ」
土屋がそこにいた。
「朝、電車に乗ってなかっただろ?」
「……」
「チェックしてたわけじゃないけど、これ、朝会えたら、渡したいものがあって」
電車の時間ずらしたんだ。なんか、もう俺、普通に土屋のこと気になっちゃってるから、どうにかしてブレーキかけたくて、できる限り見ないようにしようかと。避ければどうにかなるかと思って。
そう思ってたけど。
「いくつかイラストのラフもらったからさ。確認がてら見たいかと思って」
「え? ぁ、マジで?」
「あぁ、まだラフだけど。雰囲気確認してくれってイラストレーターのほうからメールが来て。あ、メールそのものは添付でお前んとこに送ってる。けど、お前、けっこう仕事のこと紙にメモってたからさ。アナログ好きなら、手にとって見たいだろうなって」
そして渡された紙にはたしかにラフだけれど、絵があった。
「うわぁ……すごっ」
すごい、しか言葉が出てこない。自分がデザインとか絵とか専門で少しだけど齧ったから、余計に見惚れてしまう。どう頑張ってもこんなふうに描けないからさ。
「あ、こっちは!」
「ああ、お前もすげぇ好きなヒナさんの」
言葉なんて消えるくらいにカッコいい。これでラフ? もう充分素敵なんだけど? このままカラーにしちゃってもいいんじゃない? っていうか、これ、ヒナさんの文字なんだ。絵の中、キャラクタの一部分からスッと伸びた弧を描く線の先に「アクセサリーつけて大丈夫ですか?」の文字。
ほら、やっぱ絵が上手い人ってさ、バランス感覚すごいんだよ。字もめちゃくちゃ綺麗。走り書きなのに綺麗ってさ。
「すげぇ……」
ヒナさんのラフを見ちゃった。
あの、ヒナさんの。
「やっぱ、プリントアウトしてよかった」
土屋が嬉しそうに、クスッと笑う。
「お前、絶対に喜ぶだろうって思ったからさ」
「……」
「それ、やるよ」
朝、土屋のことを避けたんだ。会えば、胸んとこがキュってなるから、会わないようにしてみたんだ。どうせ仕事で会うけどさ、また明日の五時? からだよね? 時間。ふたりでミーティングするの。仕事は避けられないけど、それ以外で避けて避けまくってたら、少しくらいは収まるかなって思ったんだけど。
「お前の嬉しそうな顔見れてよかった」
もう手遅れ、かもしれない。
「そんじゃあ、また、明日のミーティングでな」
だから、余計に怖い。
「え? 土屋? これをわざわざ渡しに?」
ここの休憩所はギョウカンのあるフロアで、営業がわざわざここに来るとしたら、大体ギョウカンか、奥にある倉庫くらい。けど、土屋は一番手前にある休憩所にやってきて、そのまま引き返そうとしてる。
「あぁ……それと」
わざわざ休憩所に来てまで?
「お前の顔見に来た」
「……」
「じゃあ」
キュン、ってするんだ。
一樹の言ってるとおりだと俺も思うよ。きっと土屋は今までの奴みたいに二股はしないと思う。けど、そんな土屋のことをすっごく好きになってさ、そんで、振られたら? 俺さ、思うんだ。男のほうもダメだったのかもだけど、俺も、ダメだったから、二股されてたんじゃない? 魅力がないから、乗り換えられるんじゃない? 相手が浮気性だっただけじゃなくてさ。
そう思ったら、余計に怖くなる。
人事さんにヤキモチやくくらい好きになって、もう大好きになって、そんで、ふられたらさ、ふられた回数だけならけっこうある俺はきっとその中でも一番ダメージくらって、きっと、どうにかなっちゃうよ。
――なぁ、祐真。けどさ、無理してまで、好きになるの我慢することないんじゃねぇの?
だからさ、一樹、酒飲んで号泣くらいじゃ、全然立ち直れないと思うんだ。
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