21 / 56
第21話 無駄な抵抗をやめて、手を上げろ!
パソコンが直り次第、土屋へ連絡をしてもらうことにして、その場を離れた。
十三階建ての十二階、帰宅ラッシュの時間なのか、エレベーターがなかなかここまで昇ってきてくれなくて、けど、そうたくさん時間がかかるわけでもないだろうとわかってるから、大事な話は尻切れトンボになりそうでさ。だから、何を話せばいいのかわからなくて。
「土屋、仕事、平気だった?」
「なんで、それを」
「ブリ子が教えてくれた。なんかトラブってるって。もう平気なの?」
そのエレベーターはまだ二階にいる。
「あぁ、どうにかな」
「そっかお疲れ様」
「疲れたけど、お前からのメール読んだ瞬間、それどころじゃなくなった」
けど、もどかしい。今、俺が話したいことはこれじゃないから。
「すげぇ……焦った」
「……え?」
今すぐに話したいことは仕事のことじゃないから。
「あの人がゲイだって知ってた。一部、ヒナっていうイラストレーターが男って知ってる限られた中の、そのまた数人だが。知り合いがな」
「そ、なんだ」
あぁ、と溜め息をひとつ吐いた土屋が疲れた顔をして髪をかき上げた。まだエレベーターは四階に留まっている。もしかしたら、大きな荷物でも下ろしているのかもしれない。しばらく表示板の数字は四のまま変わる気配がない。
「だから……もしかして、あの人のことを知ってて、須田はファンだって言ってるのかも、なんてことまで想像しただろうが」
心臓がトクンと飛び上がった。ヒナ様ファンだった俺はその性別と恋愛遍歴を知っていて、だから会いたがってるんだ、なんて思ったのか?
「あ! もしかして、それで俺が前にラフ絵取りに行こうか? って言った時、いいって慌ててた、とか?」
「その逆もな」
「言い寄られちゃうんじゃないか、とか? 焦ったり?」
「あぁ、そうだよ」
即座にそんな答えを返されてたら、わかんなくなっちゃうよ。今のはからかって言っただけなのに、真剣にさ。
「……ふ、フツー、そういう心配はイケメン相手にするんだんだけど? 俺みたいな」
「現にされてただろうが」
「! そ、そんなこと」
「すげぇ顔してたぞ」
「は、はぁ? 何言ってんの?」
まさか、土屋が入ってきた時の赤面を別の意味で捉えたんじゃないだろうな。俺がヒナさんに迫られて、それこそ頷いて、これからって感じのエロスムード満載とかさ。
「バ、バカじゃないの? そんなわけないだろっ、俺はっ」
動き出したエレベーターは五、六、七……そこでまた止まった。
「俺は……」
その続きを真剣な顔で待つなよ。土屋みたいなハイレベルな奴が俺なんかの答えを心待ちになんてしないでよ。俺の理性総動員にして作ったマイオカシモが消えちゃいそうだ。
オカシモが消えて、その言葉で覆って隠してた二文字が出現してしまう。
「仕事とプライベートくらいちゃんとわける!」
「あぁ、そうだな」
二文字が出てくる。
「けど、ぶっちゃけると分けられてない」
「は?」
「……」
ダメって思う。怖いし、ビビるし、ノンケだし。だからこれを伝えたら、もう引き返せないような気がしてる。実際に引き返すとか戻る戻らないとかは、ノンケの土屋にこそ当てはまるんだけど。
「わっ、分けられてないんだってば」
「何を? もしかして、本当は」
あ、エレベーターがまた動き出しちゃった。八階、九階、もうすぐそこ。
「ヒナさんのこと」
「バカ! 違うってば! そっちじゃなくて、こっち」
触れたのは肩。ここ、外だし、外注というか絵の依頼をしているイラストレーターの自宅前だから、色々はばかられるだろ? だから、肩を軽くパンチして教えた。どこがどう分けられてないのかってことを。俺が、どんな公私混同をしているのかを。
「……それって」
ぁ、嘘、マジ? エレベーターは俺たちの待つ十二階を通りすぎちゃった。それはまるでゲームの総括ナレーションを兼ねてるゼウスが指先ひとつでエレベーターの到着を引き伸ばしているよう。
俺が本心を言わないと、いつまで経ってもゼウスはエレベーターをここに連れてきてくれなのかもしれない。
「おい! それって!」
「好きってこと。ほら、土屋」
本当にそうなのかな。俺が告白した途端に到着したエレベーターの中には男性がひとりすでに乗っていた。たぶん十三階の住人さん。
そしてどんどん熱くなる頬はきっとさっき、ヒナさんのアトリエで土屋が見た赤面以上に真っ赤なはず。チラッと見上げると、ちょうど向こうも俺を意識したのか目が合った。慌ててそっぽを向いたけれど、オカシモを完全に吹き飛ばしてしまった心臓は好きだ好きだ連呼で騒がしくて、知らない人も乗っている四角い箱の中で、困ってしまう。
言っちゃった。
どうしよう、言っちゃったじゃん。
好き――そう伝えてしまった。
「この後の予定は? 須田」
「へ? あ、えっと、ない、です。全部、終わらせてきたから」
「……そうか」
「そ! だから、さっき土屋が心配したようなことないから」
その言い寄られてるとか、言い寄るとかそういうの。この場に知らない人がいるからそこをごにょりとごまかす。
「ないからっ」
でも、そこだけは伝えておこうと二度言うと、低い声が「あぁ」とだけ答えた。
「土屋の役に立ちたかったんだ」
「……」
「仕事大変だって聞いて、いてもたってもいられなかった。あんま打ち合わせに俺が介入して欲しくなさそうだったけど、それでもさ」
そこで、エレベーターがようやく地上へと降り立った
けど、俺はまだ地上にいないみたいに、雲にでも乗ってるみたいにふわふわしてる。足元がおぼつかない。
「仕事、終わってんのか?」
「あ、う……ん。一応」
「そしたら、この絵だけは持ち帰れねぇから戻るけど」
「あ、俺も、一回職場戻る」
見つめられただけで、また気持ちは重力無視だ。
「その後の予定、空けとけよ」
「っ」
相手はノンケなのに、イケメンなのに、どうすんの? なんて問いを繰り返しても、もう無理だったんだ。
落ち着くことも、少し待つこともできない。カッコよくて、しゃべりやすくて、楽しくて一緒にいたかった。
好きになることに抗うなんて、無駄な抵抗だともう、俺は、観念した。
ともだちにシェアしよう!