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第26話 翌日感たっぷり
うちの会社は完全土日休業。つまり、週末はお泊りが可能。そうお泊りが可能なんです。土曜日夜更かししても、オールでカラオケしまくっても、飲み歩いても、こっ、恋人とイチャイチャしながら夜をすごしても、翌日が日曜日なので寝坊ができるんです。そんな土曜日まで、あと、三日。
「あ、須田さん」
「はい」
ブリ子がじいいいっとこっちを見つめて、少し眉間に皺も寄っていて、俺は苦笑いを零してしまう。
もしかして、バレた? 昨日と同じスーツを着てるって。
――そんなのわかんねぇだろ。俺、向かいの席の先輩が今日着てたスーツの色なんて覚えてねぇよ。
そう言ってたけどさ。シャツだけ洗って乾かして、ジャケットは昨日と変わらず濃紺の。
――ネクタイ変えれば平気だっつうの。
そう言う土屋のネクタイのお洒落がすぎるんだってば。なんですか、これ、イタリア製ですか?
――似合ってるじゃん。
後ろから抱き締められながらネクタイを結んでもらったらさ。似合ってるとか、「いやぁ、イタリア製はお弁当のお醤油が飛んじゃったらって気になって、飯が喉を通らないので」なんてことを言う余裕ない。ぽーっとしちゃって、イケメン土屋のバックハグにのぼせて、何も言えない。
「これ、各部署に配布しておいて」
「あっ、は、はいっ!」
なんだ、そっちか、ってホッとして、思いっきり立ち上がった。
「いってきます」
ブリ子がパソコン越しに寄越してきた、月ごとの業務延滞率とその詳細。毎月、配布するんだけど、まぁ、こういう仕事も俺が受け持つわけで。
「すみませーん。延滞報告書です」
「あ、はーい」
俺がいたテスト課にも回ってきてたみたいだけど、毎月だったのかな。ブリ子をあそこで見かけた記憶がないんだよね。それにゲーム製作会社なのに、こういうことはアナログなんだなぁなんて思ってみたり。ペパーレス時代に紙の回覧ってさ。
もしかして、意地悪されてたりして、なんて思いつつ。
いいんだけどね。
息抜きになるし。ずっとブリ子とふたりっきりの部屋っていうのは、こう、ぎゅううっとしてるっていうか、ワンサイズ襟口が細いワイシャツの第一ボタンまで締めましたみたいなさ。
「次は……」
三階フロアの部署へ配布完了。そして次は二階。
二階には……。
「すみませ……」
二階には営業一課がある。入った瞬間、電話での応対の声、パソコンの秒速ブラインドタッチの音、それとあっちからこっち、こっちからあっちと歩き回る、仕事できます感満載のスーツの方々。
ドラマや映画みたいな光景に、毎月ポカンとしちゃうんだけどさ。今月は、いや、今月からは。
「何、俺を探してたか?」
「うわああ!」
今月からはちょっとまた色々と思うところがあったりして。
「あぁ、延滞報告」
「あ、うん」
あの、実は、この人、俺の彼氏になったんです。なんて、思ってみたりして。
「すげぇ、延滞率、うちの課少ねぇ」
あと三日経ったら、またデートしたりするんだそうです、なんて。
「うん、すごい」
ダントツで営業一課の遅れが少なかった。それはとても素晴らしいわけで、イレギュラーへの対応の速さだったり、ホントすごいなぁって皆が思う部分なんだけど。
忙しそう。電話が鳴っては取り次いで、鳴っては呼ばれて。ホント、激戦区だ。
「サンキュー」
けど、今日はいつも以上に忙しそうだった。
「おーい、土屋、メディアさんとこ、連絡入れたか?」
「あ、はい。入れてあります。今日の午後三時頃になるそうです」
了解って声がデスクの向こうから飛んできた。すげ、こういうビジネスシーンを映画とかで見たことある。
「昨日バタついてたから、まだ忙しくてさ」
「だよね。昨日の今日だもんね」
そっか。そりゃそうだ。ブリ子も噂話を俺にしちゃうくらい昨日の営業一課は大変そうだったんだから。
「疲れて即寝たくらいだしな」
「!」
飛び上がりそうになった。それはどうにか堪えたけれど、赤面するのは抑えようがなくて、職場で交わす、プライベートの混ざる会話に心臓が慌てだす。
「須田、何かあったら連絡して」
「あ、うん」
「土曜出勤は絶対しないからさ」
「!」
い、今の! 絶対にあえて言った! どんな反応するのか楽しみにしてる顔してた! そして、たぶん、要望どおりの顔をしてしまった。
「そんじゃあな」
俺の今日一番の赤面に満足そうに笑って、今手渡した報告書を持って自分のデスクに向かっていく。
もうなんだよ。土屋は普通に仕事しやがって。
話し、てしまった。営業一課の職場で、土屋と会話をしてしまった。俺はそんなふうに思ってドキドキしてるのに。
チラッと、自分としてはさりげなく、チラリと土屋のほうを見ると、今さっき、メディアさんへの連絡のことを訊いてきた先輩と何かを話して、笑っていた。あっちこっちで飛び交う会話で、ふたりがどんな話をしているのか、その内容までは聞こえない。けど、笑って、違う違うとでも言うように、手を顔の前で振っている。
「なんか、今日、土屋さん、ご機嫌だよね」
「あ、思ったぁ。昨日、内山田君のフォローで大変だったはずなのに、すごくない? あの神対応。朝から笑顔なんだよ」
「ねー。内山田君、マジ、神様拝みますレベルで涙目だった」
「神っていうか、何か良い事あったのかな。あそこまで笑顔な土屋さん、初めて見る」
「私もー。めっちゃカッコいい」
「…………」
どうしよう。これ、うわぁ。マジで。
とりあえず、配るべき報告書がまだあってよかった。それがなかったら、今、この真っ赤な顔を隠す術がなかった、から。
俺だけじゃないんだ。
浮かれてたの。
今日って言ってた。今日、浮かれてるって言われてた。笑顔なんだって、朝からずっと。そう思いながら、五分ほど前の土屋の笑顔を思い出す。
「……」
すげぇ、笑ってた。
「……マジかぁ」
ぼそりと呟いて、深呼吸をして、そして、報告書を手に次のフロアへ。
一階ごとにエレベーターを使うことはないから、階段で上へと向かう。ちょうどよかった。ほとんど人に使われない階段を少しゆっくり上って、赤面が直るのを待つ。
そして、次のデートまでは、あと三日。
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