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第36話 ビアガーデンって暑いけど、そこがいいよね

 基本、ブリ子とすごす密室八時間は無言だ。  もう、慣れたけれど、最初の頃は、息をするのすら遠慮するほど窮屈で、静かにしなくちゃいけないような気がしてたけど。今はそうでもない。暑い日はごきゅごきゅ喉を鳴らしながらお茶飲むし、書類をバサバサと落っことしても、ブリ子の足元まで飛んでいってしまっても拾ってくれないくらいだから謝ることもない。  必要最低限の会話くらいしかしない。  退職願、異動願い続出の地獄のギョウカンに居座って早数ヶ月。しっかり居住権なら獲得した。 「あのぉ……失礼しまぁす」 「はい」  突然、部屋の入り口からかけられた、遠慮がちの声に即座に反応するブリ子。ちなみに、この時の声が高いのは男性社員限定だったりする。女子から総力あげてのブーイングを受けそうだけど、ぼっち課ギョウカンだから。ブーイングも、ブリッコを非難する視線もない。 「あ、すみません、須田に用が」  俺はその声で誰だかわかって、のんびり振り返ると、やっぱりそこにはおっかなびっくりって顔をした福田がいた。  そして、目が合うやいなや、慌てて俺を手招いてる。 「どうかした?」 「仕事中ごめん! 朝も夕方も合わないからさ」 「あー、うん、朝、早めに出社してるんだ」  部署が違うと会わないもんだ。  前はずっと一緒だったせいか、なんだか変な感じがする。少し懐かしいっていうか、タイムスリップしたような気分。のんびりとしたテスト課の感じ。 「これ、毎年うちの課でやってたじゃん。ビアガーデン飲み会」 「あぁ、そっか、そんな時期なんだね」 「今年、須田は来ないかなぁって思ってさ」  八月お盆休みとかがなくて、好きなタイミングで休むことができるありがたいうちの会社は「お疲れ様です納涼会」みたいなものもない。フレックス制ってことと、そもそも自由は社風もあって、誰も業務の一環だからとか、会社の人事を円滑にっていう義理立てとか気にしないから、会社全体でのそういった飲み会はこの三年間で一回もなかった。  けど、うちの、いや、俺のいた元部署はのんびりとした課風だったから、夏はビアガーデン、冬は焼き鳥屋で飲み会が開催されていた。 「あ、行く!」 「マジで? よかった。なんかさぁ、須田いなくなって、俺も寂しいしさぁ。唯一の同期じゃん?」 「あははは」  俺もだったけど、福田は穂高に苦手意識すごいあるもんな。わからなくもなかったよ。あれだけ完璧だと、ちょっと距離を感じるっていうかさ。 「でも、テスト課新しい人入ったんじゃなかった?」 「あ、うん。アルバイト。んで、使えそうならって感じみたい。けどさぁ、なんか、怖いんだよー。今風でさー。ふたつしか違わないけど、俺もう完全おっさんだと思うし!」 「あははは。福田はおっさんじゃないでしょ」 「おっさんだよ……俺なんておっさんだ」  トホホっていう嘆きの呟きはたしかにおっさんだけど。っていうか表現が古いけど、今そういう感じのゲームの動作テストをしてるのかな。 「あ、そんで! ビアガーデンは今週末! 八時! で、毎年んとこ予約したから!」 「あ、う」 「コホン」  トホホ、も、古いけど、話の介入が咳払いっていうのもちょっと古いというかさ。  そっと振り返ると、ブリ子がとても険しい表情をしていた。でも、あれはきっと、「いつまでくっちゃべってるんです。今は就業中のはず。業務連絡ですか? 私語ですか? 私語ならばうんたらかんたら」みたいなのじゃなくて、きっと。 「あー……持田さんは」  きっと行きたいんだと思う。それこそ、ここの居住権を獲得できたと自負している俺にはわかってしまう、ブリ子の無言の会話術。主に顎を使った。  けっこうブリ子はそういうの混ざりたがるほうだよ。噂話もいつだって耳ダンボにしてるし、あっちこっちで誰かと話し込んでるし。その時間のせいで忙しいんじゃないかと思うほど。 「ビアガーデンって」 「行きます」 「「!」」  即答! って、俺も福田もびっくりした。いや、そうじゃなくて、ビアガーデンってお好きじゃないですよね? 蚊に刺されるし、暑いし、女性はあまり好きじゃないとこだから。行かないですよね。俺は去年それで十箇所くらい刺されちゃって、痒くて腫れて大変だったんですー。それじゃあ、福田またあとで、って終わらせるつもりだったのに。  まさかの即答イエスだった。 「もおおおお! どうすんだよ! すごいレアキャラ来ちゃったじゃんか!」 「ご、ごめん」  ギョウカンを出てメインエントランスまで来たところで、大きな声と大きな溜め息を福田が思いっきり吐き出した。 「だって来ると思わないだろ」 「だけどさー!」  まさかあのブリ子がほとんど接点のないテスト課の飲み会に参加だなんてさ、けど、あの人は基本男性には優しいから、決して美人ではないけれど、俺以外の男性陣にはブリッコじゃん。  ブリッコはして欲しくないけど、俺だけ嫌われてる感ハンパなくて……まぁ切ないけどもさ。 「どうすんだよー!」 「どうしようね。本当に性格悪いからなぁ」 「えええええ、すっごく気分滅入るんだけど? 普通そこは、ああ見えて根はいい人とかさぁ」 「根、腐ってるよ。すっごい人によって態度変えるし。たまに気分で、イケメン相手でもすごい横柄だし。すごおおおく自己中心的」 「……最低じゃんか。普通さぁ、ああ見えて気さくな人なんだ、とかさぁ」 「あの見た目のまんまだよ。ずっと仏頂面で。あ、でもお菓子食べる時は笑ってる」  かまぼこすっごい喜んでたし。この前海外旅行してきた人がマカダミアナッツのチョコレートを持ってきてくれた時もとっても嬉しそうだった。 「それただの食い意地ばばあじゃん!」 「大丈夫だって。福田のことは食べないから」 「んなっ! こええええわっ!」  あはははって、笑った時だった。 「よぉ、何、怖い話?」 「!」 「あ」  突然会話に乱入してきた穂高に小さく声をあげてびっくりしたのは福田だった。そりゃ、そうだ。さっきも穂高のことを少し距離感のある感じに話してたから。 「あ、お疲れ。ほ、土屋」 「あぁ」  やばいやばい。穂高って言いそうになった。それこそ福田と話す時はずっと土屋だったんだから、今こそ徹底しないとでしょうが。 「そんで、何? 怖い話?」 「あーいや」  チラッと福田を見ると、普通だった。ビアガーデンの話をしたところで、別世界、もしかしたら雲の上かもしれない同期は来ないだろうからって顔。でもさ、話したら、たぶん。 「ビアガーデンがあるんだけど、駅前に」 「あぁあるな」 「あそこに……」 「俺も行く」 「えええええ!」  うん。行くっていうと思った。  またもや即答で、今度こそ驚きを声に出しちゃった福田の隣で、特に驚くことなく、だよねって思ってしまう。 「ビアガーデンだろ? 俺も行く」  そして、今年のテスト課の納涼会は、暑さなんてちっとも収まらなさそうな気が、してきた。

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