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第39話 彼氏の背中

 ゲーム制作は順調に進んでた。  ブリ子の仏頂面の般若顔は相変わらず。ただ最近、あの人事の美人、岸さんが少し俺を睨んでいるような……まぁ、こんなちんちくりんと、どうしてあのイケメンはつるんでいるんだと素直に疑問なんだろうな。  俺だって最初は不思議だったもん。  今日、初めて、穂高がうちに遊びに来るっていうのも不思議だもん。  そう、来るんだ。今夜、ハナキンだから。会社から近いのも交通の便の良さ的にも、いつも穂高んちだったけど、今夜は、仕事が終わった後で、俺の部屋に来る。夕飯も手作りしちゃおうかななんて思ってたりする。胃袋をぎゅっと掴んじゃおうかななんてさ。 「ぐふふふ……ぁ、土屋っ!」  廊下を歩きながら、ひとりほくそ笑む怖い人になってたところで、ふと見つけた背中。  穂高って呼びそうなのをグッと飲み込んで、前を歩くその人を呼んだ。それが誰の背中かくらい一目でわかるよ。濃紺のスーツを手に下げて、白いシャツが眩しい、スラリとした、けど、脱ぐとけっこう筋肉質の背中。 「須田」 「今から外?」  俺の彼氏の背中だもん。 「あぁ、けど、そう時間はかかんねぇから。サクッと終わらせるし」 「サクって、そんな簡単に」  最近、営業一課は帰りが遅くなった気がする。元々営業はダントツで残業が多いんだけどさ。今まで以上に仕事が忙しそうに感じられて、夏のあっつい中でバテやしないかと、親戚のおばちゃんみたいに心配してる。 「夜、そっちには」 「あ! っていうか、ヒナさんのとこか! ごめん。メールをサラッと読んだ! 今日は、そっか、打ち合わせだったっけ。俺、晩飯何がいいかなぁってことばっか考えてた。あ! ちゃんと仕事はしてます。ほら! な? っていうか、いいなぁ、俺も参加したい。この前、線画描いてるとこを動画配信してたの見てたんだぁ。やっぱ上手だよなぁ。あ、絵ね! 絵だから! その、他意はない!」  このあと、仕事が終われば会えるくせに、更に、社内で穂高に会えたことが嬉しくて、ついテンションが上がって、ひとりしゃべりまくってた。  けど、これで、この後の仕事頑張れる。穂高見れたっていうテンションでなら、あのブリ子を目の前にしての業務もへっちゃらだ。粗塩対応、どんと……は来ないで欲しいけど。 「? ……土屋? どっか、痛いの? 腹?」  眉間に皺が寄ってた。ちょっときつそうな顔。夏バテかな。週末、一緒にデートした時は普通だったけど。食欲も、普通だった。  見上げると、ふわりと微笑んで、俺の頬に触れたそうに、けど、頭の上にポンとその大きな掌が乗っかった。 「どこも痛くねぇよ。っていうか、和んだ」 「? え、何に?」  俺に? 穂高は無言だった。けど、笑顔と優しい眼差しは俺だけに向けられてて、もうそれが充分答えになってる。 「そんじゃあ、行ってくる」 「あ、うん! いってらっしゃい!」  手を振って颯爽とエントランスへ向かう背中はいつもどおりカッコよくて凛としていた。 「ハライタ、治りますように」  そう小さく呟いて、炎天下の中で頑張る穂高を見送った。 「あ、いたいた! なぁ、須田」 「おー、福田」 「……土屋?」  俺を探してた様子の福田が俺の見ていたほうを目で追いかける。そして、チラッとだけその背中を見つけた。 「あー、うん。今から、ゲームのキャラデザの打ち合わせ」 「そっかー。楽しそう」 「うん」  テスト課はそういうのないから、少しうらやましかったりするんだ。全部のやり取りは報告書で済むようにシステム化がしっかりされてる。基本打ち合わせとかほとんどない孤島状態。 「けど、最近はちょっと大変かもね」 「え? なんで?」 「いやぁ、なんかさぁ」  その分、噂話とかには耳がダンボになるのかもしれない。岸さんが穂高のことをっていう時もそうだった。全然関係のないテスト課の俺らがあれこれと談義しまくってたから。俺はギョウカンに来てからは詳しくなくなった。まぁ一緒に働いてるのがあの人だから、会話もほとんどないし。  ――営業一課の新課長、すっごいらしいよ? 数字でのみ能力を判断。頑張りなどいらない。成果を数字に表して来い。って、最初の挨拶で言ったんだって。すごいよな。そのせいで、営業一課はギスギスらしい。  社内全体メールで人事異動があったのは知ってた。営業一課の前課長が辞めて、課長代理だった人が繰り上がりでなったって。前の課長がどうして辞めたのかはわからない。ただ、課長が変わったことだけは知ってる。  そんな人なんだ。次の課長は。  数字でだけ判断するって、穂高はきっと成績いいだろうけど、この前ミスしちゃった新人君とか大丈夫なのかな。 「只今戻りました」  ギョウカンに戻り、一言声をかけると、ブリ子がちらりとこっちを見上げた。そして蚊の鳴くような声で「えぇ」とだけ答え、またパソコンと睨めっこをしてる。  ――ギスギスらしい。  だから、さっきあんなしかめっ面だったのかな。すごい、しんどそうだったけど。 『っていうか、和んだ』  そう言って笑ってた。  あぁ、なんか。 「……」  なんか、ぎゅっと抱き締めてやりたくなった。すごく、ぎゅううううって抱き締めたくなった。  冷しゃぶサラダ、オッケー。キンキンに冷えたビール、オッケー。キムチ……食べたかったけど、キス、とか色々する時にニンニク臭いとあれかなぁってことで、おつまみのナムル、オッケー。あと、ワインと、それと。  ――ピンポーン 「!」  その時、チャイムの音に、気持ちがジャンプした。 「はっ、はいはい! はい」  玄関を開けたら、そこに穂高がいた。会社で俺を見て笑った時と同じ笑顔で、そして、安心したように、フッと肩から力を抜く。 「場所、わかった? 連絡来くれたら向かえに行こうと」 「よぉ、お疲れ」  そっちこそ、きっとすごく疲れたんだろ。課長が数字ばっか気にする人でさ。 「お疲れ様! ほだっ」 「はい、これ」 「?」  目の前に突き出すように出された封筒。しかも折れたりしてもいいようにって、中敷きがクッションになってる丁寧仕様。 「ヒナさんから。お前にだと」 「!」 「ファンは宝ですから、だってよ。ったく、絶対にこれで釣り上げる、気……だろ……」 「……ありがと、あと一分したら、見る」  すっごい嬉しいよ。マジでめっちゃファンだから、あのヒナさんからのイラストプレゼントとか発狂するくらい嬉しいけど。 「……祐真」 「うん」  けど、ずっと、ヘトヘトに疲れてここにやってくるだろう穂高のことをぎゅってしたかったから、こっちが先。 「お疲れ様、穂高」  やっと聞けた穂高の名前呼びが嬉しくて、背中に回した手で強く抱き締めながら、穂高の匂いと一日外で頑張ってきた太陽の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。

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