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第44話 胸騒ぎ
――尾田さんが、ヒナさんを紹介してくれた。
人気がすごくて、SNSのフォロワー数が何万にもなるような、たまにアニメとかのキャラデザインもしちゃうようなプロイラストレーターになれる人。俺なんて当然、そして、穂高でも、ヒナさんに仕事を依頼できるコネクションはなく依頼をするのなら順番を守って、イイコで待ってないといけなかったはずだ。俺たちがヒナさんに仕事の依頼ができたのは尾田さんのおかげだった。
けど、その尾田さんが今月いっぱいで仕事を辞める。
この業界はなかなか人が定着しない。仕事のきつさもあるだろう。どこか芸術的なセンスを問われる仕事だから、企業としての産業って考えると、どこかズレを感じる人もいるかもしれない。入ってくる人も多いけれど、辞めていく人も多い。「人」という意味ではあまり落ち着かない業界だ。
――あの人に色々教わったんだ。俺は。
デスクは穂高の目の前。
あの人だって、すぐにわかった。前に営業一課に届けたい報告書があって入った時に、穂高と話していた先輩。テキパキとしていて、短髪スタイルがとてもよく似合っていた。年齢が不詳というか若そうなんだけれど、穂高の先輩で、すごい仕事のできる人だった。
だからこそ、今の課長のやり方が尾田さんには納得できなかったんだ。
数字でばかり判断されることに疑問を感じ、自分なりの抵抗として「退職」という選択肢を選んで、しまった。
「……ただいま」
胸騒ぎがする。
「……」
ざわざわするんだ。
――穂高?
ヒナさんとこからの帰り道、いつもは足の長い穂高に俺がついて歩く感じなのに、その時は俺が振り返ってしまうほど遅かった。
トボトボと、そして、何か、楽しくないことを考えていそうなそんな伏せた表情をしてた。
今日は、そんな別れ際になった。
うちに来る感じでも、俺が穂高んちに行く感じでもなくてさ。何も言わずに帰ってきたんだ。
ベッドに転がって、胸ポケットにしまったスマホを手に取った。
「……」
穂高からの連絡はなし。今、何を考えているんだろう。どうか、この胸騒ぎが考えすぎで終わりますように。
そう思いながら、ぎゅっと目を瞑った。
ぎゅっと目を瞑ったまま、それが夢の中の出来事で終わってくれたらよかった。
「あの! すんません! 須田! いる?」
翌日、仕事をしてると慌しい足音、そしてその足音が耳に届いたと同じくらいに、ものすごく大きな音を立てて、ギョウカンの扉が壊れそうな勢いで開いた。
「福田?」
「須田っ! た、大変なんだっ」
「な、何?」
「土屋が!」
胸騒ぎが、気のせいだったらいいって思ったのに。
「土屋が、営業一課の課長にたてついたんだ!」
「え?」
「なんか、お前らのやってるゲームのことで課長がストップをかけたらしくて」
「!」
「そんでっ」
「ここに持田君はいるか?」
低い声。穂高も声が低いけれど、それとは違う、低くてざらついた声だった。
「君は……テスト課の」
「あ、すみません。渡したい仕様書があったんです」
そう言ってごまかすと、どうせ嘘なんだろうと、課長が目を細めて、俺たちを見下した。他部署の人間がどうしてここにいるんだと非難めいた響きの混ざる、低くて厳しい声は隙がなくて、たったこれだけの会話でも萎縮してしまう。
「それで持田君は?」
「……私です」
ブリ子がスッと立ち上がると、営業一課課長が眉をひそめ、ブリ子を睨みつける。
「君は仕様書を確認したのなら自分の所属部署へ戻るべきだと思うが?」
「あ、はい! すぐにっ」
「それと持田君は社長室へ来るように」
ブリ子は無言だった。
そして、まるで犯人みたいに課長に連れられて、部屋を出て行ってしまった。
なんだろう。
何? なんなんだよ。なんで急に営業一課の人が。ギョウカンに来るんだよ。しかもブリ子を連れてったけど。
「……あの人、出世のためにって会社の経費三十パーセント削減を目標にするべきだって言ったらしい」
「え?」
「うちの課長が言ってた」
テスト課の課長はここでゲームを作ることが好きで、テスト課でもなんでもいい、携わって行きたい人だ。だからこそ、ビアガーデンで営業一課の穂高が来てくれたのを喜んでた。他部署の人とゲーム談義が出来て嬉しそうにする、そういう人だ。
今来た、あの課長とは正反対の人。
「経費三十パーセントって……」
「すげぇ無理だろ。けど、この会社は余分なもの、無駄なものがありすぎるんだと」
「……」
その際たるが、人件費だ。一番手っ取り早い経費削減。
「そんで、ああやって他部署にまで社命ってことでズケズケ入り込んでるらしい。うちの部署もきっとやばい。別に動作確認だけをする部署に生産性はそもそもないし」
「……けど」
大事な仕事だ。もしも不具合があったらどうするんだよ。市場に出回って、ユーザー登録が済んで、プレイが始まってしまってからのデータ改修になっちゃうじゃんか。
会社としては経費の大幅削減はたしかに一利益になるだろうけど、でも、今のやり方って。
「須田んとこも気をつけたほうがいい。ここもテスト課と同じで生産性はほぼないだろ」
「……」
「って、俺がここにいるものまずいんだけど。テスト課の奴がうろうろ徘徊してたら、暇なんだろう。じゃあ人件費削減って言われかねないからな」
福田が溜め息を吐き、髪をくしゃくしゃにした。
「な、なぁ! それで、あの、土屋のって」
「あぁ、その削減の一環だよ」
はぁ、と重たい溜め息を福田がつく。
「尾田さんっていう営業の人知ってるか?」
「あ、うん」
「その人、今日から有給消化なんだってさ。そんで、何か心無いことを課長から言われたんだと思う」
元々、好きにはなれなかった。元々、営業一課の新課長に対して、鬱憤が溜まっていた。
それが、今回、尊敬する先輩の引退と重なって膨らんで、爆発した。
「そんな……」
「で、須田たちが作ってるゲームのことにまでイチャモンがついたらしくて、口論になったらしい」
「……」
「須田はそのゲームを作ってるメンバーだし、土屋とも仲良さそうだから、伝えておこうと思ったんだ」
胸騒ぎがしたんだ。
「テスト課も、だけどさ。なんか、どうなるんだろうな……」
「……」
「お互い、気をつけようぜ。クビなんて洒落になんねぇよ」
その胸騒ぎが気のせいで済んでくれることを願っていたけれど、何度目を瞑っても、これはリアルの出来事で、目を開けると朝、にはなっていなかった。
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