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第45話 暗雲立ち込める

 営業一課の課長がギョウカンにやって来た一時間後、連行されたブリ子が真っ青になって帰ってきた。 「あ、あの……」 「……」  背中を丸めて、暗い表情で、トボトボと帰ってきた姿は、申し訳ないけど、哀れに思えた。 「須田君、呼ばれてる」 「え? 俺、ですか?」  コクンと頷くブリ子は竜宮城にでも行って、玉手箱を開けてしまったのかもしれない。たかが一時間ですごく老け込んで見えた。どんな話をしたんだろう。あんな顔になっちゃうくらいのことを話したのか。そんで、そこに今度は自分が呼ばれるなんて。  まるで取り調べをされるみたいで身体が自然と強張った。 「……持田君は来週から異動になる」  でも、本当に取り調べだった。 「……え?」 「テスト課に異動になる」  待ってください。その一言も言わせない強引な提案だった。ブリ子がテスト課? 今、このタイミングで? それに、ブリ子は――。 「あの、でも、そしたら、俺が」 「異動理由は職務怠慢だ。もちろん減給もする」 「あの!」  職務怠慢って? 減給って、だって、あの人は勤続年数すごくて、ギョウカンをひとりで切り盛りしてて、たったひとりだったけど、今はふたりになったけど、小さかろうが「業務管理課」のリーダーになっていて、それなりの報酬があったはずなのに。 「彼女が使用していたパソコンの中身を確認させてもらった」 「!」 「会社の備品であるパソコンの私物化、就労時間内での業務とは関係ないネットサーフ等、目に余る。そのため、個室での業務には不適格と判断した。明日からは君が一人で業務管理をしてほしい」 「あ、あのっ!」  そんなの、無理だ。絶対に。だって、今までふたりでやってきたのをひとりでなんて。しかも、ゲームのほうの業務があるのにどうしたら。  ――須田たちが作ってるゲームのことにまでイチャモンがついたらしくて。  ゲームのことで、土屋が対立したって言ってた。こんな強引な人と対立したら、それこそきっと力で捻じ伏せられる。 「……はい。わかりました」 「君が理解のあるスタッフで助かった」  理解なんてしてない。納得なんてしてない。けど、仕事だから我慢しなくちゃいけないこともある。 「……失礼します」  何よりゲームのこと、潰されたくないんだ。俺は。  穂高はあの人と対立したのか。  ゲームのことでストップがかかったって言ってた。経費を大幅削減するって提言したから、俺らのゲームにもそれが影響してるんだ。  百人以上のキャラクターを扱うゲームのため今回デザインを依頼したイラストレーターの数は半端じゃない。それはつまり経費がかさむ。そしてそのイラストレーターが多ければ多いだけ、日数もかかる。雑務が増える。経費は削減どころか増加する。 「お世話になりました」  ギョウカンに戻ると、ブリ子が机を片付けていた。 「……あの」 「……聞いたんでしょ?」  耳まで真っ赤にして、その横顔は悔しさなのか、恥ずかしさなのか、唇を噛み締めている。きっと両方だ。両方の気持ちが混ぜこぜになった顔。 「最低よ。パソコンの中、盗み見て」  けど、それは貴方のパソコンじゃない。会社のだ。だから、誰が見てもいいはずなんだ。それを私物化してたから、そんな文句が出てしまうだけで。  彼女は今まで、ひとりで業務管理を担っていたっていう自負があるだろうから。テスト課でアルバイトでほぼ成り立っている仕事をやっていくのは、悔しいんじゃないかな。罰と一緒だ。  それに、ブリっ子で、仕事をもったいぶってて、えらそうで、噂話ばかりを好む人。彼女のことを良く言う人はいない。でも、今まではよかったんだ。ここで一人で仕事ができていたから。  けど、これからは違う。テスト課はひとりじゃないから、きっととても辛い。 「……失礼しましたっ」  彼女はこれから会社の中で「サボり魔」だったって思われながら、仕事をしなくちゃいけないんだ。  それは彼女にとってもとても苦しいものだと思う。  数ヶ月一緒に仕事をして、彼女の性格を色んな意味でわかってるからさ。 「……」  すごく大変だと思うんだ。  なんて一日なんだろう。 「つ、疲れた……しんど……」  さすがに二人分はしんどいよ。っていうか、その異動の件、明日以降にしてよ。マジで。わけわかんない中途半端なのがいくつかあって、遡って調べるのにすごい時間かかったじゃん。ブリ子が追い出された場所のことまで案じてくれるわけがないんだからさ。あの人はふっつうううに性格悪いんだから。そんな親切、絶対に何があってもする人じゃないんだってば。本当に、もうそのまんま。朝、営業一課の人に呼び出されたところから、プツッと止まった仕事をそのまま俺は引き継ぎなしで、残していかれちゃったじゃん。ちゃんと引き継がないといけなかったこともたくさんあったのに。 「はぁ。やること多すぎ」  溜め息を、頭突きをするように突っ伏した机に吐くと、そこだけが吐息で曇った。  たしかに生産性はない部署かもだけどさ、その生産が滞らないようにするための部署なんです。商品を作るために必要な部署だと思うんです。営業一課のやりて課長様。  なんて、本人にいえるわけがないけれど。  もう一度溜め息を吐いて、むくりと起き上がった。  あと、やり残した業務は……うん、たぶんない。今日はとりあえず、これで終わり。そんで明日は明日で朝からやることがいっぱいある。朝、いつもの早い時間に来て即やらないといけないことを頭の中で整理整頓しておく。  整理しながら、スマホを見ても穂高からの連絡はなかった。忙しいに違いない。いつもならそう思えたよ。営業一課で色んな仕事を受け持ってるんだ、それに最近はその忙しさに拍車がかかってたから、スマホをいじる時間なんて全くないと思う。だから、いつもなら気にしない。  でも、今は連絡がないことだけで、急に不安にかられる。  何かあったんじゃないかって、胸騒ぎが止まらない。  営業一課に様子を伺えにいけたら良いんだけど、そしたら、あの課長様がいるわけで、あまり会いたくないし、目も付けられたくないから、会社の外で待つことにした。これならサボりなのか? と眉をひそめられることもないだろ。  外に出ると、やたらと黒い雲が夕暮れの空に忍び寄っていた。  綺麗な青とオレンジのグラデーションを邪魔する陰色をした雲がゆっくりと空を覆っていく。 「穂高……残業かなぁ」  雨の予報は出てないけど、でも、黒い雲に不安を煽られて、穂高の退社を待つ間ずっと胸騒ぎが止まらなかった。

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