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第46話 営業一課

 ――口論になったらしい。  穂高、大丈夫かな。  ――尾田さんっていう営業の人知ってるか? その人、今日から有給消化なんだってさ。  心無いことって、何を言われたんだよ、穂高。  ――クビなんて洒落になんねぇよ。  ホントだよ。もしもそうなったら、俺たちのゲーム作りはどうなるんだよ。 「……お疲れ」 「……穂高」  本当に疲れた顔をしてた。きっと、お互いにヘトヘトだ。見合って、ほとんど同じタイミングで溜め息混じりの苦笑いが零れちゃうから。 「よし! 今日は! 飲みにでもいくか!」 「祐真」 「どこがいい? 何食べたい?」 「……」  どこでもいいよ。奢るし。穂高も俺も元気になれる場所がいい。ワイワイガヤガヤしてて、そんで、溜め息が消えちゃうとこがいいと思うんだ。なんか、不安が吹き飛ぶような楽しそうなところがいい。スポーツカフェとか? ほら、よくサッカーとか野球とかの中継を観ながら、楽しくお酒飲んだりとかさ。いいんじゃない? あと、楽しそうなところは……。 「いや、祐真んちは?」 「へ? ……ぁ」 「ダメか?」 「だ、ダメじゃない! ちっともダメじゃない! むしろ、全然」 「そっか、よかった。最近、バタついてたから、お前とゆっくりしたかったんだ」  なんか、その言葉に来た。なんだか、穂高のいる場所が今すっごくきつくてしんどくて、大変なんだって、その言葉と疲れ切った笑い顔でわかっちゃって、すごく切なくなった。  静かな帰り道。人もまばらで、のんびり歩いていると、ぼそりと穂高が今の現状を話してくれる。かなりやり手なのはわかるけれど、営業一課がすごくピリついていて、疲れるって、何度か覗いたことはある。忙しそうで、テスト課でのほほんとしていた俺には、あの慌しさは充分疲れるものだったけど、それとは違う忙しさと疲れがあるんだろう。  営業一課で見た穂高は大変そうだったけれど、あっちこっちで呼び止められても楽しそうに受け答えをしていた。でも、今、横を歩く穂高の表情はあまり楽しそうなものじゃない。 「聞いた。ブリ子異動なんだろ?」  夜風に前髪を揺らすその横顔はすごく疲れ切ってた。 「あ、うん」 「今日から?」  うん。今日の、正確には午前十一時からギョウカンの仕事は全部俺一人でやることになった。  頷くと、心配そうに穂高がこっちを見つめていた。営業一課の課長が提案した社内大改造計画にまさかギョウカンも入ってるなんて思わなかったよ。今までも大幅な人事異動は何度かあったけど、ブリ子のいるギョウカンだけはその危機を何度もスルーできていた。  だからこそ、ブリ子はギョウカンで一人気ままに仕事ができてた。気まますぎてしまったけれど。  気難しいブリ子と誰も続かなかったっていうのもある。多岐にわたる業務を他の誰かにまかせるよりかは、当たらず触らず、そっとブリ子に任せてしまうのが一番面倒はない。 「平気か?」  すっごいしんどい。でもきっとブリ子は意地悪だから、俺がわかんないとこがあって訊きに行っても、絶対に教えてくれないからさ。すっごい必死に頑張った。そんで頑張ったら、前はあやふやだった部分がわかって、たぶん、明日はそこを少しだけ簡易にできると思う。って、もちろん業務はすごい量だから、忙しくて疲れるのは必須だけど。けど――それは誰しもだろ? 「平気。大丈夫だよ。そっちこそ、大変だったんだろ? 聞いた! その、課長と……やりあったって」  穂高もきっと大変だった。だからさ、笑って、そんで、明日からもガンバローって。 「ゲームの音楽家、変えろって言われた」 「……え?」 「コストの面で却下された」 「……」  これだけ美麗なイラストレーター使ってるんだ。音楽なんてなくてもかまわないだろう。プラス声も入れるのなら、もうこれ以上はただの贅沢でしかない。皆片手間でゲームをするんだから。 「アプリゲームにそこまでの経費をかけてクオリティをあげたってたいした差はないだろう。小さなスマホ画面で操作するだけの簡易なゲームなんだと。イラストだけで充分だって」 「……」  そんなことを、って前だったら驚いたかもだけれど、今は、課長さんと対面してしゃべってしまったから、あの人ならしれっとした顔で言いそうだと思う。 「前から、あの人が就任してすぐにそれは指摘されてた。けど、俺は譲れなかった」  音楽、イラストができたら次は音楽だって、ふたりで話してたんだ。依頼したいと狙っていた音楽家はアニメーションの劇中用の作曲も多く手掛けてる人で、すごく情緒のあるいい曲を作るんだ。きっと「神々の恋」の雰囲気をもっといいものにしてくれると思う。気持ちに訴える曲ばかりだから。 「どうしてもこだわりたい」 「……穂高」 「だから、どうにかしてゴリ押ししたかったんだ。恋愛ゲームだぞ? 声優、イラスト、それに音楽は必須だ。妥協なんてしてたらっ」  それで口論になったのか。いつも冷静で、俺のフォローをなんなくやってのけてしまう穂高らしからぬ、って思った。馬鹿でドジで、そんでやらかした俺のポカミス。発注し忘れを一緒に手伝ってくれた時に見せた余裕の笑顔は今どこにもない。 「けど経費削減したいんだろ? 営業一課の課長さん」 「経費経費って」  余裕がないのは穂高だけじゃない。きっと、今の営業一課がそうなんだ。尾田さんの一件から少しずつ窮屈になっていったんじゃないかな。俺の知っている営業一課じゃない気がした。 「俺は、どれも譲りたくない」 「穂高」 「ようやくお前と作れるゲームなんだ」 「……」 「経費なんてもので譲歩なんてできねぇよ」  苦しそうな顔。眉を寄せたしかめっ面。 「けどさ、ほだ、」 「辞めるか、作曲家を変えるか、どちらかだって言われた」 「……え?」  嘘みたいだ。 「会社なんだぞ、って、鼻で笑われた。だから、甘いんだって」  嘘、だったらって思った。 「穂高……」 「俺は、金儲けのことだけしか考えてないような奴にとやかく言われて、曲げるくらいならっ」  嘘でしょって。 「曲げる、くらいなら……」 「……ほ」 「もう退社することになってる尾田さんが」 「……は?」 「俺をかってくれてる」  何言ってんだよ。かってくれてるって、そんなの、まるで。 「尾田さんの考え方、仕事への姿勢をめちゃくちゃ尊敬してる。だからっ」 「穂高っ!」 「……」  ゲームはどうするんだよ。俺たちがここまで作ったゲームは? なんで、そんなハッとした顔すんの? 「……悪い。まだ、頭ン中ぐちゃぐちゃなんだ。整理がついてねぇから、判断できねぇ」  さっきまで青とオレンジの綺麗なグラデーションだった空は、もう真っ暗だった。真っ暗だけれど、雨は降らないっぽい。雷の音もしなかった。 「明日も、忙しいから、今日は、やっぱ帰る」  その空の下で苦しそうな顔をして引き返して行く穂高の背中を見ながら、嘘だったらいいのにって、思った。 「なんだよ……それ」  まるで、俺も辞める、なんて言い出しそうな顔、しないでくれよ。なんてこと、言えなかった。「辞める」っていうワードを出すことすら躊躇われたんだ。 「あれ? 祐真じゃん。おい、こんなとこで」  突然鼻先を掠めるタバコの香り。それが誰なのかすぐにわかった。 「何して…………もうフラれたのか?」  一樹だ。  一樹がいて、泣いている俺に目を丸くしていた。

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