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第56話 恋するシーシュポス

 シーシュポスは毎日毎日岩を運んで積み上げて、ガラガラ崩れても、それでもまた積み上げて。  シーシュポス、シジフォスとも言うらしいんだけど、類義語でさ、「悪あがき」っていう意味があるんだって。  つまり、神様の彼は「悪あがき」の代名詞らしい。  いいよ。俺は、いくらでも悪あがきする。 「こんちはー! どう? 神恋(かみこい)」  テスト課に飛び込むように入ると、福田が難しい顔をしていた。 「んー、ここのさぁ、これ、選択肢の表示がさぁ」 「うんうん」 「あ、あと、なんか笑顔がおかしいのがあった」 「え、マジで?」 「うん。えっと、ちょっと待ってて……えーっと」  ついに、「神々と恋をする」略して神恋がテスト段階までやってきたんだ。 「あ、あったあった、これ」  神恋の動作テストをするのはチーフになった福田だ。課長もやりたいって思ってくれたんだって。あの土屋君が作ったゲームならばぜひともやらせて欲しいと。けど、福田が、それを押しのけてまで、やってくれた。  同期の二人が頑張っているのなら、俺も頑張りたいんです!  そう、あののんびりしていて、事なかれ主義の福田が言ってくれた。 「あー、ホントだ。サンキュー助かる」 「どういたしまして。あとはー、とくにはないかな」  季節は夏が終わって秋もすぎちゃって、冬ももうそろそろ終わり、かな? 街中がチョコレートの香りで溢れるバレンタインがすぐそこまで来ていた。 「ありがと」 「……俺さ、ちょっと、イラっとしたんだ」 「……え?」  デスクに肘をついて、福田がほんのり口元を緩めてる。画面を見つめているような、どこか遠くを眺めているような、そんな顔。 「なんか、急に須田が遠くに感じられてさ」 「……」  ずっと一緒にテスト課でのんびりまったり、このゲーム売れるかなぁ、どうだろう、でも、俺は好き、俺は苦手、そんな意見を言い合っていた。夏はビアガーデン、冬は焼き鳥屋で。 「どっか第三者扱いのテスト課だったけど、須田いるし、楽しいしって思ってた」  いくら俺たちが意見を持ったところで、それは参考になるだけ。もう出来上がってしまってるものの動作確認が主な仕事だから。作るんじゃなくて、確認、だからさ。ゲーム製作の蚊帳の外。  その蚊帳の外で俺と福田は仕事をしてたのに、急に俺だけ、蚊帳の内側へ。 「ゲームがさ、一回、製作ストップか? ってなったじゃん? 営業一課の課長ので」 「あー、うん」 「ちょっと、喜んじゃったんだよね」  福田が笑って、申し訳なさそうに頭をかくと、小さな声で「ごめん」と呟いた。 「今は思ってないよ! すっごい応援してる!」 「うん。思ってないよ。福田の動作確認報告書、めっちゃわかりやすいし、バックする時に説明楽なんだ」 「……」 「すごく助かってる」  ホントだよ? ちょっとラストのふた工程は駆け足になったからさ、やっぱりポロリポロリと出て来ちゃうんだよね。ミスがさ。それをちゃんと福田が掬い取ってくれてる。 「……須田ぁ……もう! なんだよ! もおおお!」 「ちょ、何、急に」  バタバタと暴れ出した時だった。  ――コホン。 「ほら……」  心の中でそろそろかなって思ってた。ブリ子の「静粛に咳払い」が。 (ホント、性格ブスな) 「ちょ! 福田!」 「でも、すっごい仕事は正確で助かってるけども!」  そこだけ声高らかにするあたりがなんとも福田らしい。あっけらかんとしてて、俺よりズケズケと物申して、そんで世渡りが上手。いつでも肩の力は十パーセントくらい。ふわりふわりと脱力系サラリーマンだ。 「でも、ほら、お前、忙しいんだろ? 神恋しっかりチェックしてやっから」 「あ、うん」 「あ、そだ。あとさ、これは意見なんだけどさ」 「うん?」 「なんか、神々しいキャラの中だと、あのシーシュポス? あのふつううううっぽい感じ? がさ、すっごい良いわ。バランス絶妙」  そうテスト課は誤作動を確認する部署で、感想はそんなに求められてない。でもさ、そういうの聞けると、けっこう製作側は嬉しいんだって。 「うわ! マジで? ありがとー。めっちゃ嬉しいわ。また、なんか感想あったら教えて」  初めて知ったんだ。こういう意見って、すごく嬉しかったりするんだって、知ることができたんだ。 「うわぁ、素敵すぎだろ」  なんですか、この神絵。さすが神様。絵はマジで素晴らしいよ。絵はね。あのグイグイ迫り来るバリタチ感がなければ。 「……何が?」 「うわああああああ!」  びっくりした。俺の大きな声が誰もいない休憩室に響き渡ってしまう。叫び声を上げた口からぽろりと心臓が飛び出ちゃうかと思った。 「もおおお! なんだよ! びっくりさせんな!」 「お前がうっとり顔で素敵なんて呟きながらスマホ眺めてるから、俺の写真かと思ったのに」 「!」  見てたのは、ヒナさんの昨日SNSに上がってたラフ絵だ。テレビ見て滾って描いちゃったんだって。落書きですけどーって言ってるけど、俺にしてみたら、神絵なんですけどーだよ。本当に。  そしてそんな俺を見て「あ~ぁ」なんて、意地悪な溜め息をわざとついたのは、穂高だ。 「待ったか?」 「ううん。へーき」 「ヒナさんに見惚れてたもんな」 「ちがっ! 絵だろ! 絵っ!」  俺の、彼氏。 「はいはい」 「んなっ」  もう付き合って、半年以上たつ。 「お前のスマホの中はヒナさんがいっぱいなんだな……」 「ちょおお! なんだよ! そんな切ない系の顔したりして」  カッコよすぎるだろ。眉をひそめて、憂いの表情で、一心にこっち見るな! 溶けるから! マジで、この場でスライムになっちゃうだろ。 「いっぱいじゃないし」 「?」 「俺のスマホ、ヒナさんでいっぱいじゃないし!」 「へぇ……じゃあ、何が入ってんだよ。見せろよ」 「ちょ! それは! プライベートですから! ちょおおお! 待っ、待っ」  必死に抗ってるけど、意地悪スイッチが入ったらしい穂高はそう簡単に諦めてくれなさそうで。 「どうせ、ゲームの資料とかいって、イケメン画像とか、空の写真とか、動物とか、カフェアートとかなんだろ」 「違うっつうの!」  それ、後半女子のインスタじゃんか! 必死にスマホを握り締めて、ギャイギャイと騒いでた。 「それとも見られちゃまずいものとか?」 「!」 「お前、モロ顔に出るな。なんだよ、見せろよ」  スイッチがガン押しされてしまった。そして、本気になった穂高に強制拉致された俺のスマホ。返せっていっても、もう無理そうだ。  ずっと秘密にしてたのに。ずっと隠していたのに。あーあ。それこそ、あーあ、だよ。 「……お前なぁ」 「だって、撮りたかったんだもん。犯罪だけどさ、了承なんて得てないけどさ、公開はしないし、それは、俺のっ!」 「はぁ……お前、ホント」  俺の宝物なんだ。  穂高の寝顔。  可愛くない? 少し開いた唇とかヤバいだろ? 萌え詰まりすぎだろ? もう見つけた瞬間、俺、発狂するかと思ったんだぞ。 「一枚だけだし!」 「お前、ホント、俺のツボ押すの上手いよな」 「?」 「明日、俺が朝飯作ってやるから」 「へ? ぇ、なんで? 朝飯、俺」  ニヤリと笑ってた。そして、俺はときめきとドキドキで胸のところが忙しなくなった。 「俺も、撮ろう」 「は?」 「……」 「な、なな、なんで無言なんだよ。何撮るんだよ! なぁ!」  教えてくれるわけもない。そして、すたすたとモデル並の足で闊歩する穂高に小走りでついていく。 「あ、そうだ。ゲームのほう、テスト課どうだった?」 「あ、うん。もらってきた、経過報告書」  ふたりで話してるんだ。いつか、この仕事が落ち着いて、もう少し自分たちレベルアップを図れたら。 「サンキュー」  図れたら、ふたりでゲーム製作会社立ち上げたいなって。社名はもう決めてあるんだ。 『シーシュポス』  頑張り屋のシーシュポス。いつか、ね。まだ、俺らには無理だけれど、いつか、ふたりで。 「なぁ、祐真」 「んー?」 「……だよ」 「!」  頬を掠める吐息と言葉。 「っぷ、すげぇ真っ赤」 「んなっ!」  もう付き合って半年以上。これは、俺にとって大記録なんだ。交際期間最長記録。そして、これはずっと更新し続けるだろう記録。  恋はいつか、終わる。  そんな恋の定義に抗う、俺と穂高の新しい恋が作る大記録、そう、確信している。

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