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第82話 穏やかな風。

「「頂きます。」」 ソテーにナイフを刺し入れると、皮からパリッと小気味良い音がし、口の中でニンニクとローズマリーの香りが鯛の味を引き立たせ、周の顔が綻んだ。次にズッキーニのフリッタータを口に入れると、ふわふわした食感にベーコンとチーズのコクが口の中で広がる。一流レストランの料理と言っても過言では無い程の味に、周は舌を巻いた。 『上手っ!何これ?!凄い上手い!』 「ふふっ。」 『あ、すいません。美味しくてつい普段の口調が出ちゃいました。』 「普通に話して頂いて構いませんよ。喜んで頂けて良かったです。」 『恵さんは言葉使いが丁寧だから、俺もそうした方が良いかなって思ったんですけど、普段の話し方でも、大丈夫ですか?』 「勿論構いませんよ。其れに、私のは癖みたいなものですから。」 『癖…ですか?』 「ええ。人様とお話しさせて頂く機会が多いので、いつの間にかプライベートでも丁寧な口調で話す事が多くなってしまいました。」 『そっかぁ。ん〜。じゃあ、こうしません?俺も普段通りに話すんで、恵さんも俺と話す時は敬語無しって事で。』 「私も…ですか?」 『はい。敬語で話されるとなんか距離を感じちゃいます。』 「距離…そういうものですか?」 『そういうものです。って事で今から敬語使わないから、恵さんも敬語無しね。』 (そうか…そういうものなんだ。彼の強引な提案に驚きつつも、妙に納得してしまう自分在る。) 「ふっふふっ。」 『いや、此処笑うところじゃないし。』 「あ、すみません。ふふっ。だって、周さん、面白くて。」 『俺が?何処が?』 「くくくっ。そういう所です。」 『そういう所の意味が分からないけど、まあ、良いっか。ほら、又、ですとか付けてるし。』 「ふふっ。すみません。でも、いきなり敬語無しって、ハードルが高いですよ。」 『ふーん。そういうもの?』 腕を組み、神妙な面持ちをしている周の姿を見て、恵は、再び笑いが込み上げて来るのを必死に堪えた。 「そういうものです。」 『じゃあ、少しずつね。』 「はい。分かりました。」 『はい。分かりました。じゃ無くて〜。うん。分かった。でしょ?』 「あははっ。だって、周さんが少しずつって言ったのに狡いよ。あっ…」 『ほら、出来たでしょ?』 「あ…本当ですね。」 『また戻ってる。』 「本当だね。これで良い…かな?」 『うん!上出来!!』 周はニカっと笑い、恵の頭をわしゃわしゃと撫でた。 (まだ出逢ったばかりなのに、俺の心の垣根を当たり前のように越えて来る。きっと、彼にとっては自然な事なんだな。本当に不思議な人だ…) 彼の笑顔を見詰めながら、恵の心の中に、穏やかな風が吹いた。

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