107 / 112
第107話 新入社員。
文月はモール内に入っている担当店への訪問を終えると、一階のカフェでアイスコーヒーをテイクアウトしベンチに腰を下ろした。
プラスチックカップの蓋を開けガムシロを半分程落とし入れストローで掻き回すと、氷がぶつかり合い鈍い音を立てる。
日も暮れ始めたというのに生暖かい風が中庭を吹き抜け、カップの表面に付いた水滴が手の平を濡らす。
季節が初夏から夏へと移り行くのを肌で感じた。
ぽたり…
雫が垂れ落ちアスファルトの色が変わる。じわりと広がっていく其れは、自身の心に芽生えた一点の曇りのようだ。
瞼を閉じると先程の情景が浮かんでくる。
午後から外回りだと言っていた水無月、ならば昼食を一緒に取ろうと思い立ち、エレベーターへ乗り込み一つ上の階のボタンを押す。
扉が開き水無月が居るフロアーへ足を踏み入れると、少し離れた場所から周と水無月が談笑しながら此方に向かって来るのが見えた。
不意に二人の足が止まったかと思うと、周が振り返り水無月の額にキスをした。
水無月は何やら文句らしき言葉を投げ付けていたが、怒っている様子は見受けられなかった。頬を膨らまし少し拗ねた表情を周へ向けただけ。
まるで恋人同士のようなやり取りが文月の胸を抉る。
エレベーターへ向かって来る気配に気付き慌てて扉を閉めた。
何も聞けないまま、いや…聞くのが怖かった。文月は閉ざされた空間の中で一人項垂れた。
『親しい友人同士だとしてもキスなんてするか?…有り得ないだろ。』
「誰と誰がキスしたんですか?」
『…え?』
視界に革靴が入り込み、顔を上げると目の前に男が立っていた。逆光で顔は見え辛いが聞き慣れた声。
『甚大か。』
「あからさまにガッカリした顔するの止めてくれません?」
『お前、何で此処にいるんだ?』
「文月君がサボらずにちゃんと仕事してるかなぁって。見に来ちゃいました。」
『教育担当の先輩に言う台詞かよ。』
「てへっ。」
坂垣 甚大(さかがき じんた)は春に入社したばかりの新入社員で、文月は彼の教育担当だ。
文月達が勤めているコンサルタント会社では、社の方針により新人教育をベテラン社員では無く入社二、三年目の社員に任せている。
新人を教育する事により、責任感が芽生えると共に仕事への理解を深め、契約店舗へ助言や指導を行う際に必要な指導力も培う事が出来た。
又、新人社員もベテラン社員よりも近い立場に有る先輩に指導される方が些細な事も躊躇わずに質疑が出来、仕事の教えも請い易かった。
社長が方針を発表した当初は、新人教育はベテラン社員に担当させた方が良いとの反対意見も有ったが、いざ実践してみると無謀と思われていた改革が会社全体の底上げに繋がったのだ。
ともだちにシェアしよう!