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第108話 記憶に無い。
『外回りは終えたのか?』
「バッチリ!文月君は?」
『俺も。今日はこのまま直帰する。』
「やったね!」
『何でお前が喜んでるんだよ。』
「俺も直帰だから、飲みに連れて行ってもらおうかなぁって。あ、勿論先輩の奢りで!」
『こういう時だけ先輩呼びかよ。ったく、調子が良い奴だな。まあ、今夜は予定も無いし、後輩と親睦を深めるとするか。』
「文月君なら、そう言ってくれると思った!」
甚大は少々生意気な面も有るが、無邪気で人懐っこい性格の彼をどこか憎めずにいる。仕事に対して懸命に取り組む姿も好感が持てる一因だ。
『此れを飲み終えてからで良いか?』
「俺にも一口貰えます?急いで来たから喉渇いちゃって。」
氷が溶けて上に層になってたまったアイスコーヒーを飲ませるのは何だか気が引けた。既に口を付けてしまっているし。
『新しいの買ってきてやろうか?』
「呑みに行くんだし、わざわざ買わなくて良いっすよ。」
『お前が良いなら構わないが。』
甚大に飲みかけのアイスコーヒーを手渡すと、あっという間に飲み干してしまった。余程喉が乾いていたらしい。
「ぷはぁー!生き返る!」
『オッサンみてぇだな。』
「あ、全部飲んじゃった。すみません。」
『飲み終えてから言うなよ。』
「行きますか!」
『ああ。』
部署の仲間達と何度か行った大衆居酒屋へ行き、仕事の話をツマミに酒を交わした。
「ご馳走さまでした!」
『腹一杯になったか?』
「腹は膨れましたけど、酒はまだ入ります。」
ふっ。ちゃっかりしてるな。けど、此奴のこういうトコも嫌いじゃない。
甚大の陽気さに、水無月の事で重く沈んでいた気持ちが軽くなった。
『もう一軒行くか?』
「俺が住んでるマンションの近くに行きつけの店が有るんですけど、其処にしません?」
『此処から近いのか?』
「文月君のマンションからも割と近いですよ。」
『俺のマンション?何でお前が知ってるんだ?』
甚太が呆れた顔して、俺を見ている。
「文月君が俺の教育担当になって間なしの時に、接待でガンガンに飲まされて酔い潰れた貴方をタクシーで送り届けたのは誰でしたっけ?」
『俺が…酔い潰れた…』
ああ、そう言えば、そんな事あったな。この数ヶ月の間に色々あり過ぎてすっかり忘れていた。
「もしかして…あの夜の事、何も覚えていないんですか?」
ん〜。駄目だ。思い出せん。
『うん。』
「はぁ…」
『何で溜め息つくんだよ。』
「二軒目も先輩の奢りね。其れでチャラにしてあげます。」
何かやらかしたらしい。
『分かった。次の店も俺が出す。』
「よしっ!」
甚太のニヤつき顔に騙された感が否めないが、迷惑を掛けた事には変わりは無いしな…
文月は会計を済ませると、甚太とタクシーに乗り込んだ。
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