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第2章 スポーツ!(12)
「過労、だな」
呆れ気味の保健医の声が、テントの下の簡易的な救護室の中に落ちた。
突然ぐったりと、意識を失くしてしまった会長に慌てたのは、俺だけではなかった。副会長と剣菱くんがゴールしたのに大盛り上がりだった会場が、俺の、「会長?!」という声に凍りつく。すぐに気が付いた風紀委員長が、救護の手配をして、俺も協力して会長を救護室に運んだ。体格のよい会長は重かったけれど、そんなこと言ってる場合じゃない。(でも内心、俺がお姫様抱っこする方じゃなくてよかった、とは思った)
救護室の中で悠然と構えていた保健医(どうでもいいけど、うちの学校は保健のセンセーでさえイケメンだ。クォーターで外国の血が混ざった色素の薄さと、体格のよさ、眼鏡の奥に見える鋭い瞳に、隠れファンは多い)が、ぐったりした会長を椅子に座らせるように冷静に告げた。とりあえず支えるようにしながら椅子に座らせて、保健医の診断を待つ。そして言われた言葉は、予想通りのものだった。
「疲労の蓄積、栄養失調、その中で重いもん持って全力疾走した結果だろう」
「そのー、重いもんというのは」
「手前ェに決まってんだろ」
というのは、保健医ではなく、後ろで見ていた風紀委員長だった。ついでのように殴られた。痛い。
「こんなになるまで何をやらせてるんだ? 生徒会ってのは」
うう、痛いところを突かれる。俺は何も言えなくて、唇を噛んだ。保健医はそれ以上咎めることもなく、代わりに、言葉より痛いくらいの、ため息を吐く。
「とにかく、安静にするしかないな」
「安静にできるよーに思えないんすけどお」
会長のことだ。もし意識を戻したら、すぐに体育祭に戻って、後片付け諸々に奔走するに決まってる。
「それなら、強制連行だ。中に連れて行くぞ」
テントの下は、当たり前だけれどベッドなんてものはない。校舎の中の保健室に行き、ベッドでぐっすり休んでもらえれば、ついでに、休んでいるうちに体育祭が終わって会長の仕事がなくなれば、少しは安心できる。よし、と思って会長の脇の下に手を入れて身体を起こそうとしたときに、どたどたと騒がしい足音が聞こえた。
「だ、だ、大丈夫ですか?!」
「ふん、軟弱だな」
「いつかはこうなると」
「思ってたけどね」
口々にそう言うのは、未だコスプレしたままの、役員の面々だ。剣菱くんは心配そうに眉を下げて、副会長は鼻で笑って、双子は顔を見合わせて、平良くんだけ何も言わず、おろおろとその場に立ち尽くしていた。
「……れの、」
「鈴宮?」
ああだめだストップストップ、ここで止めなきゃいけなかったのに、ふつふつと俺の腹の中から、熱いものが込み上げてくる。それはもしかしたら、ここ何週間で、蓄積されたものの数々。堪えなきゃいけない、そう思って唇をぐっと噛み締めるが、腕を組んで会長を見下ろす副会長を見ると、もう駄目だった。
「誰の所為だと思ってんすか」
喉から出た声は、予想以上に低いものとなった。そんな声、滅多に出さないから、一瞬だけ周りの空気が固まる。うわあ、やだ。とか、言ってる場合じゃない。
「あんたらの所為で、倒れたんだっつーの」
関係ない風紀委員長が、一番驚いている。でももう無理だ、ここまで出したら、止められない。
「責任とって、会長の仕事しろよ」
吐き捨てるように言って顔を上げると、「は?」と目を丸める役員の姿が目に入る。
「返事は?」
現状を理解できていない彼らに、半ば強制的に促す。その声がさらに低くなるのは、怒りを抑えきれなかった所為かもしれない。ああ、穏やかさには定評がある流クンなのに。まだまだ修行不足だ。
「は、はい!」
一歩遅れて返ってきた返事に満足して、俺は会長の身体を持ち上げた。バランスを崩し掛けるが、咄嗟に横にいた風紀委員長が肩を貸してくれる。「サンキュっすー」といつものように緩く笑って、俺は立ち上がった。保健医は様子を見ながら、先に歩き出す。委員長と並んで、校舎内の保健室を目指した。
俺の言葉をどう受け止めたのかわからないが、役員は、ただその場に立っていた。
「っく、ははは、お前、キレるとあんなんなるんだな。怖ェー」
ぐったりした会長を両方から支えるようにして校舎の中を歩く最中、風紀委員長が思い出したように笑う。肩を揺らす笑いに、気まずくて俯いた。
「別にキレたつもりじゃないけどねー」
「いや絶対ェキレてただろ」
「ちょっとだけだよ」
「かなり、だろ。……そんなにこいつが大事か?」
人前で真面目にキレたことが気恥ずかしくて誤魔化すけれど、委員長は許してくれない。畳みかけるように訂正してきて、ふと、二人の間の会長を指してトーンを落とした声で聞いてきた。校舎の中は、次の競技のスウェーデンリレーの準備が始まっていたが、保健室に続く廊下はコース外だからかとても静かだ。
「大事っていうかさー、悔しいよね」
「悔しい?」
「うん。このままだと会長が倒れるってさ、ずっと前からわかってたんだ。わかってたのに、なんにもしてあげられなかったから」
悔しい、と、もう一度言って、俯いた。
――あのまんまやったら、すぐ倒れるで、あいつ。
緒方さんから言われた言葉が、脳内に蘇る。
わかってたはずだった、今日の昼だって、ほとんど食べずにいた会長を心配したのは本当。……でも、心配しただけだった。具体的に助けてあげることは、してなかった。
委員長に告げた言葉がそのまま感情になり、胸の中をぐるぐると渦巻いていく。唇を噛み締めると、不意に、ふわりと頭に触れられた。驚いて顔を上げたら、何処か気まずそうな、委員長と目が合う。
「あー、……お前がそんな思い詰めても意味ねえだろ」
「そおかなー……」
「この馬鹿が手前で体調管理を怠ったんだ、自分の所為だろ」
「やっぱり委員長ってさー、……会長のこと、キライ?」
「好きなわけ、ねえな」
ふは、と小さく笑う。委員長の不器用な優しさが嬉しかったのと、無意識の中でか、会長の眉がぴくりと動くのを見てしまったからだ。
ぐちぐち言っても仕方ない、か。
気持ちを切り替えるように首を振って、委員長と共に、保健室の扉を開いた。「遅い」と言った保健医は、既にベッドの用意をしていた。将校服のボタンを外し、なるべく楽なようにしながら、会長をベッドへと横たわらせた。未だに目覚める気配のない会長に、何とも言えない気分になる。
早くよくなりますよーに。
そんな祈りを込めて、会長が被った将校の帽子を、取ってあげた。
結局会長には、一週間の業務停止命令が出た。保健医である匡野センセーは、医師免許ももっているらしい。その権限でかどうかはわからないけれど、せめて一週間は絶対的に安静にしていろという圧力を、会長にかけた。最初は抵抗していた会長だが、諦めて渋々、自室で療養することにしたみたいだ。
で、俺たちはというと。
「お、俺、何すればいいですか?」
「剣菱くんはこの資料のコピー、それとお茶くみー」
「鈴宮、この予算案はどうなってるんだ」
「えーそれはねー、……なんだっけー?」
「鈴宮さん、バスケ部とバレー部が夏休みの体育館使用割り当てを早く出してくれと……」
「はいはいちょっと待ってねー」
「流、文化祭の企画書なんだけれど」
「みんな気が早すぎる気がしないかい」
「今動かないと間に合わないんだってー」
あああ、忙しい。やだ。もうやだ。むり。あそびたいー。
……なんて心の奥底に渦巻く本音を、口に出すことは絶対に許されない忙しさ。
体育祭は、会長が不在の中だったけれど、ピンクチームの優勝で幕を閉じた。例の萌えるゴミを何年かぶりに拾った雫は、栄えあるMVP選手に選ばれていた。後片付けや後始末は、実行委員と生徒会が中心となって行わなければならない。流石というか、その場は、副会長が会長の代わりを務めていた。
しかし、体育祭が終わっても、生徒会の仕事は終わりじゃない。書類上の後始末が残っているし、夏休みのこともあるし、さらには、秋に行われる文化祭の企画も立てなければならない。一難去ってまた一難、めちゃくちゃ忙しい。そんな中の会長の不在は、痛かった。
あのときの俺との約束を守っているのかどうかはわからないけれど、役員はみんな、生徒会室に来るようになった。それは助かる。でも、今の今まで仕事をしていなかったんだから、流れがわかるはずがない。全部俺に聞きに来られても、俺もパンク寸前だ。
――会長は一人で全部抱えていた分、これより忙しかったに違いない。
そう呪文のように唱えて、どうにかこうにか、一日を終える俺だった。
ああ、あっという間に暗くなる空が、憎い。
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