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生徒会長・各務総一郎の場合

 ――忘れたくても、忘れられない。  一週間の療養を経て、各務は無事に生徒会に戻ることができた。鈴宮しかいないと思っていた生徒会室には、予想外にも役員が全員揃い、あまつさえそれぞれ業務内容を把握して仕事を行っていた。一週間前には想像もつかなかった姿に、じんわりと感動してしまったとは言えない。 「何をぼけっとしているんだ。早く入れ」  椎葉に促され、一歩生徒会室へと足を踏み入れると、役員がそれぞれ仕事の手を止めて、各務を迎え入れた。 「おかえりなさい、会長!」  剣菱がにこり笑顔で言い、隣に立つ平良もこくりと頷いて、ペットボトルを差し出してきた。「ああ」と短く言いながら、飲み物を受け取る。 「待ってたよ」 「元気になったかい?」  双子が笑って、穏やかに尋ねてくる。真白の手には資料があり、真尋はパソコンに向かっていた。 「みんなね、会長のこと待ってたんすよ。……ちゃんと、仕事も覚えて」  傍に来た鈴宮が、小さく言って笑う。その笑顔を見て、各務は一度動きが止まった。  ――色々なものが、溢れだしてくる。  体育祭の翌日、見舞いと称して愚痴を吐き出しに来た鈴宮に、ついに手を出してしまったこと。  この一週間悶々と考え続けていたことが、本人を目の前にしてしまったことで、表に出てきてしまいそうになる。各務は眉を寄せることで普段の仏頂面を作り、「そうか」と短く一言頷いた。 「うわー会長ツレない。割とみんな、頑張ったのに」  それをどう捉えたのか、鈴宮が苦く笑う。その顔は普段とさして変わらなくて、やはり、あのときのことを意識しているのは自分だけなのだと思い知らされる。遊び慣れている鈴宮のことだ、あんなこと、日常茶飯事だろう。無性に腹が立った各務は、何も言わずに鈴宮の頭をぐしゃぐしゃと掻き乱した。 「うわ、わ」 「仕事、するぞ」 「もうしてるってばー」  抗議の声を無視し、各務は会長の席に座った。  役員それぞれが、それぞれの席に座り、自分の仕事を全うしている。ソファに優雅に座る椎葉の姿も、肩を抱かれ戸惑う剣菱の姿も、彼らを取り巻く平良と千堂たちの姿も、そこにはなかった。  剣菱が来る前の生徒会室に戻ったようで、各務は微かに口角を持ち上げる。  ――これはこれで、悪くない。  復帰してから暫く経ったある日のこと。簡単な仕事の残りを片付けるべく、昼休みに生徒会室に入ると、会長の席に座る人影があった。後ろを向いているその金髪に、思い切り嫌な予感がして、各務は一歩後ずさる。しかし、それは許されなかった。 「随分お疲れやなァ、各務クン」  ある意味では聞き慣れたベタな関西弁に、ぐっと息を呑む。回転式の椅子をくるりと前向きにして、こちらに向き直るのは、昨年度までの生徒会長だった緒方である。趣味の悪いサングラスを、人差し指で押し上げながら、楽しそうに笑っている。 「何の用ですか」 「ツレへんこと言うなや、遊びに来たっただけや」 「相手できるほど、暇じゃないです」 「総ちゃんのイケズゥ」 「総ちゃん言うな」  わざとらしいくらいにいじけた緒方にイラッとして言い返すと、緒方はニヤリと目を細めた。昨年までそうしていたように、会長の机に両肘をついて、各務を見上げる。 「どや、少しは落ち着いたか」 「――まあ、少しは」 「流クンも頑張っとるみたいやな」  その名前に、ギクリとした。意識してはいけないと思うほど、気にしてしまう。緒方は目敏くその反応を見付けて、目を光らせる。 「流クンと何かあったんか」 「何もありません」 「ほお、何かあったんやな」  何もないって言ってるだろ。  そんな反論は、ニヤニヤと楽しげに笑う緒方の表情を前に、声になる前に飲み込まれてしまう。 「おーおー、悩んどるなァ青少年」  どこから取り出したのか、黒い扇子をぱたぱたと仰ぎながら言う先輩を前に、各務はぐっと眉根を寄せた。 「随分、楽しそうですね」 「いやめっちゃ楽しいやんこんなん」  在学中も何度か見た覚えのあるその表情に、ため息交じりに言うと、緒方は言葉通り楽しげに頷いた。 「いよいよ堅物総ちゃんにも春が来たんやなァ」 「総ちゃん言うな」  たまに、この人は一体どこまで知っているんだろうと思うことがある。  現役のときにも、その先見の目には、度々感心させられたものだ。だからこそ常に余裕があり、自分が楽しんで、生徒会や行事を運営することができたのだろう。自分にはないそういった面を、勿論尊敬はしているけれど、プライベートで発揮されると何も言えなくなる。今は各務の席に座る緒方を見下ろし、各務は深い息を吐いた。 「こんなのただの、気の迷いですよ」 「ほお。――迷ってるんか」  しまった。  口を滑らせて洩らした本音を、取られてしまった。サングラスの隙間から覗くような上目使いから目を逸らし、小さく拳を握りしめる。それに、緒方はやっぱり口角を持ち上げる。 「素直でよろしい」  反論がないことを、肯定と受け取ったらしい。各務は観念して、肩の力を抜いた。 「本当はわかってるんです」 「ほお?」 「迷っている時間もない、今は生徒会長として――」 「アホか」 「は?」  真剣に紡ごうとした言葉を、途中ですぱっと遮られてしまった。しかもその声は、いつものような冗談交じりのものではない、本気のものだった。 「んなに思い詰めるから、ぶっ倒れて結果的にみんなに迷惑かけることになんねやろ」 「う」 「生徒会長言うたかてただの人間や、恋くらいしなくてどーすんねん」 「恋、」 「やろ」  緒方は顎を上げて、口許を扇子で覆う。悩みに悩み、迷いに迷った感情に、あっさりと名前が付けられて、肯定されてしまった。各務は唇を噛み締める。 「――考え中です」  そう言うのが、精一杯だ。緒方は、「照れんでもええのに」と肩を揺らして笑った。 「まあ、アレやなあ。なんやかんや言うてモテるもんなァ、流クン」 「女好きですからね」 「うん? まあ、女の子にもやけど」  ――男にもモテモテやろ?  当たり前のような顔をして言われたその台詞に、各務の中に衝撃の二文字が走る。 「は?」  目を瞠って短く言うと、逆に、緒方の方が驚いた顔をした。 「えっ、何、気ィつかんかったん?!」  そう言われた途端に、鈴宮を囲むあいつとかそいつとかこいつとかの姿が、各務の脳内に走馬灯のように駆け巡る。 「ライバル多いでー、総ちゃん。うかうか迷っとると、あっちゅー間に掻っ攫われるかもしれへんなァ」  そう言う緒方の表情は心底楽しげなものだったが、それに突っ込んでいる余裕は、今の各務にはない。  幼馴染らしいあいつとか、赤い髪の不良のそいつとか、各務にとっては面倒な風紀委員長とかが鈴宮を囲っている画が頭に浮かび、必死に振り払う各務だった。  ――断固認めたくはないが、これは。 「恋やな恋、ええなあ青春ってー」  いつの間に立ち上がったのか、背後に立って囁く緒方に、反射的に肘鉄を食らわしていた。 「っうおあ?! や、やりよるな総ちゃん……!」 「つーかアンタ、一体なにしに来たんですか」 「そりゃ、悩める青少年を救いにやな、」 「怒りますよ」 「かーいらしい冗談やんか。……後輩たちが、どないしとるかと思うてな」  ――心配なんは、ほんまやで。  小さく囁かれる言葉まで疑う気にはなれず、各務はこの昼休みで何回目になるかわからないため息を吐いた。 「ま、自分の気持ちが知れたから儲けモンやな。――何かあったらいつでも連絡しい、笑ったるわ」 「そう言われて素直に連絡すると思います?」 「ほんまに可愛くないなァ。1年の頃はあーんなに、」 「――午後の授業があるので、失礼します」  緒方の揶揄を遮って頭を下げると、新入生の頃の各務を知る緒方は、ニヤリと口角を持ち上げた。「ツレへんなー」と短く言い、ぽんぽんと後頭部を叩かれて、各務は思わず息を呑む。叩かれた頭を自分で触り、一歩先に生徒会室を出て行く、派手なアロハシャツを見た。 「ま、あんまし悩みすぎんなや。――ハゲるで?」 「助言、感謝します」 「ほな、またなー。流クンによろしゅー」  一体何しに来たんだ。  ひらひらと手を振って歩き出した緒方の後ろ姿を見て、各務は思い切り脱力した。  ――結局、やろうと思っていた仕事が、出来なかった。  相変わらず人を振り回す能力に長けた、尊敬すべき先輩の姿を思い描き、眉間の皺を深くする。  あれとかそれとかこれが、各務の頭の中をぐるぐると渦巻いている。それが消えることなく、普段以上に眉間に皺を寄せて授業を受ける各務の姿に、同じクラスの同級生たちがやたらと怯えていたらしい。  そして放課後、生徒会室にて。  役員たちが徐々に集まって来る中、鈴宮がほんの僅かに遅れてやって来た。「遅れてさーせーん」と明るく謝るその姿を見て、ドキリと心臓が跳ねる。それを自覚して、能天気に笑っている鈴宮に妙な苛立ちを覚えた。 「鈴宮、」  だから、彼を呼んだ。鈴宮は不思議そうな顔をして、けれど拒むことはなく、各務の傍へとやって来る。無防備な表情にも、また苛立った。だから、思い切り、鈴宮の両頬を抓ってやる。 「ふぁ、ふぁんふか、」 「うるせえ」 「えー」  すぐに離すと、つねられた頬を押さえながら、鈴宮が不満げな声を洩らす。そりゃそうだ。頭ではわかってはいるものの、彼のことを意識せざるを得ないこの状況に、無性に八つ当たりをしたくなってしまった。 「会長さー」  鈴宮が、首を伸ばして、耳元に唇を寄せてくる。  ――近すぎんだろ。  口に出かけたセリフは、鈴宮が発した言葉によって飲み込まれる。 「もしかして、生理?」  真面目な声で囁かれた言葉を耳にしたと同時に、各務は鈴宮を殴っていた。 「あだっ、」 「いい加減なことばっか言ってると、」  ――犯すぞ。  鈴宮の胸倉を掴み、その耳元に低く囁き返す。すると鈴宮は息を呑み、慌てて各務の肩を押した。 「か、会長が、先にほっぺ抓ってきたんでしょー」 「うるせえお前が悪い」 「えーなにそれ意味わかんない」  鈴宮の言い分は、尤もだ。  各務は大きく息を吐き、詫びの言葉の代わりに鈴宮の頭を軽く撫でて、会長の机へと向かった。鈴宮は相変わらず不審そうにしていたが、「何をイチャついてるんだい」という真尋の言葉にハッとする。 「えーイチャついてるとかじゃないでしょ」 「イチャイチャしてたよ」 「イチャイチャしてたね」  真白と真尋が互いに顔を見合わせて頷くのに、「ないないないない」と鈴宮は大きく首を振った。 「イチャつくってのはさ、あーゆーのだよ」  と言って鈴宮が指さす先には、椎葉にお茶を持って来た剣菱の髪を、椎葉が愛おしそうに撫でているという光景があった。背後には、薔薇が散っている。平良はそれをちらちらと見てあからさまに気にしている素振りを見せながら、何とか仕事を行っていた。  ――そうだ、決してイチャついてなんかない。  心に燻る想いに蓋をして、各務は仕事に没頭した。  その後、各務と鈴宮は必要最低限しか接触しないことになり、周りから不審な目で見られるようになる。  ――尤も、各務の態度が不自然過ぎて、別の意味で注目されていた。  【号外! 会長の不器用な愛情表現?!】と題された裏新聞が発行されるのは、それからすぐのことである。 おわる。

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