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第3章 サマー!(8)

 ――まあ、その後は、お察し、ってヤツですよね……。  会長に抱き着かれているまま暫く過ごしたらみんなが戻ってきて慌てて会長を突き飛ばして(二度目だ)、めちゃくちゃ必死に誤魔化した。双子とかはニヤニヤしてるし平良くんはすげー気まずそうだし副会長は「剣菱はどこだー!?」って半狂乱だし。最後の人だけあんま関係なかったけど、とにかく、俺と会長は何事もなかった風を装った。うん。こうするしかない。  そして何事もなかった風を装うのに疲れた俺は、散歩と称して旅館の外を歩くことにした。もうすっかり夕方だけれど、夏の日は長い。オレンジ色の夕焼けと、紺色の星空のグラデーションが楽しめる景色は、中々のものだった。  流石避暑地というだけあって、吹く風はひんやりと冷たい。開放されている庭園を、石畳の上を跳ぶようにして歩いた。立派な木々に囲まれた庭は、小さな池があったり、人工めいた滝があったり、兎に角雅で風流な感じだ。流石老舗旅館、って感じ。昨夜、ホクトくんの家に行ったときも似たような感想を抱いたけれど、改めて見れば、やっぱり良い雰囲気だ。ここにこう、可愛い女の子とかがいたら、もっと最高なんだろうなあ……。 「鈴宮、さん」  きれいな空を眺めて今はいない女の子を思い描いていたら、可愛らしい声が耳を掠めた。ああ、俺ってば相当疲れてるかもしれない。幻聴まで聞こえてくるなんて……。 「鈴宮さん?」 「えっ」  ちょこん、と俺を覗き込んでくるのは、幻聴でもなんでもない、風呂上がりでほかほかしている剣菱くんだった。しっとりと栗色の髪が濡れて、ほっぺが赤く染まっている。縦縞の男物の浴衣がシンプル過ぎて勿体ないくらいだ。旅館のタオルを首に掛け、大きな瞳で俺を見上げてきた。確かにかわいい。ついてさえなければ。 「剣菱くんか、風呂上がりに散歩? 湯冷めしちゃうよ」 「あ、いえ、たまたま、鈴宮さんが見えたので……」 「追いかけてきてくれたの? 嬉しいなあ」  あああ、なんだ、なんだろう。  男の子なのに、つい、女の子相手の対応をしてしまうのは。  こ、これが、転入生の魔力……!  いつか新聞の煽りで使われていた言葉を思い返して、思わず拳を握り締める俺だ。理由なんてないけど、悔しい。 「座る?」 「あ、はい。ありがとうございます」  ふわりと、剣菱くんが笑うと、周囲にお花が咲き乱れる。  副会長とか平良くんとか、きっと、こういう笑顔にやられちゃうんだろうな。石造りのベンチに促して、俺も隣に腰かけた。丁度、空がよく見える。オレンジ色が、紺色にじわじわと寝食されていく。 「あ、あの、鈴宮さん」 「んー?」 「ひとつ、聞いてもいいですか」 「うん?」  剣菱くんが、小さな身体を丸めている。首に掛けたタオルの端をぎゅっと握りしめて、顔を上げて俺を見た。真面目な表情で問われることに心当たりがなくて、俺は緩く首を傾げる。 「す、鈴宮さんって」 「うん」 「か、か……会長と、付き合ってるんですか?!」  大分と躊躇ってから問いかけられた言葉に、俺は耳を疑った。  この子は、一生懸命、何を言っているんだろう。  そこまで考えて、ハタと気が付く。 「や、ややややっぱり剣菱くん全部見て……!」 「ということは……」 「いやいやいやいやちょっと待って待って待って!」  そうだ、さっきの一部始終を、この子はばっちりその目に映していたんだ……。あああ、死ねる。マジで死ねる。恥ずか死ぬ。  気付いたらじわじわ顔に熱が上がってきて、それを隠すべく口許を手で覆いながら、もう片方の手を剣菱くんの方に突き出した。待って、のポーズ。 「ご、誤解だから! マジで!」 「本当ですか……?」 「あれはー、あの、ほら、目についたゴミを会長が取ってくれてた的な? アクシデントでああいう体勢になっちゃったみたいなやつでー……」  い、幾らなんでも苦しすぎない、俺。  ちらりと剣菱くんを見ると、さっきまでの険しい顔はもう消えていた。 「じゃあ、何もないんですね!?」 「そ、そう。何もないんだよ。ただの会長と会計だよ、俺たち」  うんうん、俺は何度も頷いて見せる。そうすると、剣菱くんは、何でだかほっと胸をなでおろしている。  緩んだ表情は愛らしくて、可憐な美少女なんて言われたら信じちゃいそうだ。俺の悪い癖が顔を出して、手を伸ばして剣菱くんの頬を撫でた。そうすると剣菱くんが大きな目をぱちぱち瞬かせて、次の瞬間、真っ赤になる。 「あ、やべ。こんなところ見られたら副会長に殺されちゃう……」  それはマジでヤバい。命の危機だ。  首を傾げる剣菱くんは俺の言葉の意味をわかってないみたいで、つい笑った。熱烈なファンがすぐそこにいるんだよ。 「それじゃあ、戻ろうか」 「すっ、鈴宮さん!」 「はーい……、?!」  勢いよく名前を呼ばれたから剣菱くんの方を振り向いたら、タンクトップの襟刳りを掴まれて引っ張られた。反応する間もなく、唇に、柔らかい感触がして目を瞠る。いち、にい、さん、思わず数えたら、ぱ、と顔が離れた。  え、え、えええ。 「っ、ごめんなさいっ」  そして俺の唇を奪った、ぱっと見可憐な美少女である剣菱くんは、礼儀正しくぺこりと頭を下げてから、ぱたぱたと走り去って行った。一人残された俺のタンクトップが、ずるりと肩からずり落ちる。 「――つうか俺、男に唇奪われすぎじゃない……」  わ、わけわからん……。  剣菱くんは謎すぎる転入生だけれど、今日のこれが一番の謎だ。  未だ感触の残る唇に指先で触れて、俺は空を仰ぎ見た。  すっかり、紺色の方が多くなっている。  「しずくーしずくーしずくうう」  もうわけがわからなすぎたので、俺は、元凶ともいえる幼馴染に電話をすることにした。携帯持って来ててよかった。電話を掛けると、3コールで出た。早い。 『おー、元気か? そっちどうよ、涼しい?』 「そりゃあ超涼しくて快適で過ごしやすいよー」  泣き言混じりに冷静に現状を報告する。ああ、雫だ。いつもはただの爽やかイケメン幼馴染の声が、こんなに落ち着くなんて、初めてかもしんない。 「もー、色々意味わかんないよー」 『ああ? 何かあったのか。実況中継か』 「ちがうちがうちがうってばあー」 『落ち着け、どうした?』  あ、雫の声のトーンが、ガチで心配してるっぽくなった。俺は何度か呼吸をして、荒ぶる気持ちを落ち着ける。携帯を握り締めて、息を吐いた。 「雫の悪戯の所為で会長がムラついて、それ見た剣菱くんがまたムラつきました」 『うん、意味わかんねーな』  端的に今の状況を報告したつもりなんだけど、やっぱり伝わらなかった……。いやでも、そういうことだよね? 「はああ。早く帰りたい。女の子に会いたい」 『生憎、帰って来ても女の子はいねーぞ。イケメン幼馴染ならいるが』 「自分で言わないでー」 『つうか何、……手、出されたのか』  雫の声のトーンが、また低くなる。こいつは声もイケメンだから困る。俺は思わず、ベンチの上に膝を立てて、体操座りの形になった。 「いやいやいや、……手っつーか口っつーかなんつうか」 『へえ……?』 「し、雫くん?」 『まさか、最後までおいしく頂かれたワケじゃねえよなあ?』 「ままままさか! 舌入れられただけ……」  はっ!  俺のばか!  雫の声が怖いからって思わず本当のことを言い掛けてしまった! 「し、雫……?」 『そうかそうか……逆効果だったってわけか……』  あ、雫がマジでこわい。 『流』 「はっ、はい」 『今夜、何もされんじゃねえぞ。流されんなよ』  いつものふざけた調子がない低い声は、聞き慣れない真剣なもので、ぞわりとした。ぎゅ、と携帯を握る手に力を込める。 「さ、されるわけないじゃん」 『お前は甘いんだよ。チャラいくせに鈍いとか勘弁してくれ』 「ええええ」  それはアレだよ雫くん、会長の好きなタイプの話だよ。  なんてのは到底言えるわけもなく、俺は小さく息を吐いた。 「雫ー」 『ん』 「帰ったらさー」 『ん?』 「思いっきり癒してー」  あー、ダメだな最近、雫相手には、甘ったれな俺が顔を出す。  受話器越しに、雫が笑うのが聞こえた。 『はいはい、仰せのままに?』  そして返ってくるのがいつも通りの雫の声に戻って、ほっと胸を撫で下ろした。やっぱりそういう声が、一番、おちつく。  土産はご当地限定なになにちゃんのストラップが良いとかなんとかいうのを聞き流して、他愛無い話をしてから俺は携帯の通話を切った。もやもやしていた気分が、少し和らいだ気がして、こっそり雫に感謝する。  さてそろそろいい加減部屋に戻らないと、と立ち上がって石畳の上を歩き出すと、砂利を踏む足音が聞こえて顔を上げた。 「あ。副会長」  そこには副会長の姿があって、思わず口に出していた。今からお風呂に向かうようで、片手にはお風呂セットを持っている。 「どうしたんすか」 「お前の姿が見えたからな」  あんたもか!  なんて無粋なツッコミはやめておこう……。剣菱くんとああいうことがあったなんて知られたら、俺の命は、ない。 「鈴宮」 「はい」 「剣菱についてどう思う」  うわあ直球!  後ろめたいことがあるわけでもない(いや本当はあるのか、俺はどっちかっつーと被害者なんだけど!)のに、ばくばくと心臓が煩く高鳴っている。ううう。副会長、こわい。 「け、剣菱くんすか? かわいい後輩、的な?」 「本当にそれだけか」  副会長の声は低い。長い髪の隙間から覗く瞳が、俺を射殺さんばかりにぎらりと煌めいている。だ、だから怖いってば! 「あははやだなあ副会長、俺が女の子好きなの知ってるでしょー」 「剣菱の可憐さは女子をも凌ぐ……」  ゆらり、副会長が、一歩俺に近付いてきた。こわい。 「そ、そりゃあそうだけど、ついてる子に興味ないしー」 「なんだと剣菱に興味がないというのか!」 「どっ、どう答えりゃいいんすか!」  また一歩近づいてきた。武士の時代だったら、迷わず刀振られてるよな、これ……。 「つうか、副会長こそ、なんでそんな入れ込んでるんすかー。まだ出会ってそんなに経ってないでしょ?」  一歩身を引きながら、ずっと気になっていたことを問いかけてみる。剣菱くんのファンは山ほどいるけれど、副会長はやっぱり一線を画している気がする。副会長は、俺の問いかけに、ぴたりと動きを止めた。 「そうだな……」  そして、語り始めた。  剣菱との出会いと、いかに剣菱が可愛らしいかと、胸を射抜かれる程の運命を感じたかということを。  ……あ、長いから、ここ、割愛します。  「……というわけで、俺の心は剣菱に射抜かれたのだ」 「あーうんわかるわかるー」  時間にしてざっと20分くらい、副会長は剣菱くんについての愛を語りまくった。俺は明日の予定と、これから島に戻ってからしなきゃいけないことをぼんやりと考えていた。 「お前、ちゃんと聞いていたか!?」 「聞いてた聞いてた、剣菱くんと運命を感じたんでしょー」 「そうだ! 俺にはあいつしかいない」 「んー、でもさあ、副会長?」  言うか言わないか迷った末、俺は、副会長の耳元に唇を寄せてみる。 「あんまり勢いよく追いかけると、逃げられちゃうかもよ?」  ぽつりと囁くと、副会長がぴしりと固まるのがわかる。  今まで散々迷惑かけられたんだ、これぐらいの意地悪、許されるでしょー。  俺は口端を持ち上げて、そっと副会長から離れた。 「まあ、精々がんばってよ。椎葉サマー」  ぽん、と肩を叩いて、この場を去ろうとした俺の手首を、がしっと、ものすごい勢いで掴まれた。 「え」 「おい」 「はい」 「……えろ」 「はい?」 「――、教えろと言っているんだ! そ、その、……れ、れんあい、テクニックとやらを……!」  顔を真っ赤にして教えを請う副会長は、それはそれは、大層可愛らしいものでした。  なんでか流れで副会長と一緒に風呂に入りながら、恋愛談義(つっても参考になるか全くわからない俺流女の子の口説き方講座)を繰り広げた。滅茶苦茶真剣に聞いている副会長からは普段の女王様然とした態度は全く感じられなくて、なんつーか、本当に剣菱くんのことが好きなんだなあ、っていう、純愛を見せつけられた気分。 「押してダメなら引いてみろ、だな……!」 「そうそう。副会長押し過ぎだから、ちょっと我慢してみたら?」 「が、がまん……」 「自分から話しかけにいかないとか」 「俺に、剣菱を、我慢しろというのか……!」 「何も血の涙を流さなくても」  副会長にこの作戦は、難しそうだ。  ――ちょっとだけ、副会長のことが、よく知れたかもしれない。  それでこの二人の恋路を応援するかといえば、それはまた別のベクトルだけれども。

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