51 / 250

 芹澤の消えていった方向へ向かって行くと、ちらほらと特別教室が現れる。授業も始まらない朝のこの時間ならまず誰もいないそれらの部屋。その辺が怪しいと思っていくつかの教室を覗いていけば、芹澤は資料室にこもっていた。 「……芹澤?」 「……と、藤堂」  部屋の隅にうずくまっている芹澤に、声をかける。そうすると芹澤はぐしぐしと目をこすって、ぱっと顔をあげた。目のあたりが赤くなっていて……芹澤は、泣いていた、のだろうか。 「せ、芹澤……ごめん、あんなこと言って……」 「……ほんと、さいあく」 「ごめん……」  俺の言葉が泣くほど嫌だったのかと、俺は酷く落ち込んだ。芹澤はまたぽろぽろと泣きだして、きっと俺を睨みつける。  芹澤がもしかしたら、俺のことを好いてくれている……それは、俺の思いあがりだったのかもしれない。というよりも、恋愛感情なんて抱いてしまった俺が馬鹿なのであって、芹澤は俺を友人として好きだった。だから、恋愛感情を抱かれたことがショックだった、とか。 「あ、あのさ……なかったことにしていいから……聞かなかったことにしてくれたら……いいな、とか」 「……俺は、絶対に藤堂とは付き合いたくない」 「うっ……だ、だから、……」 ――やばい、泣きそう。  芹澤の声色から、この言葉は照れなんかじゃなくて本心からの言葉だとわかる。ぐさっと刃物にえぐられたような痛みを胸に感じて、俺は眩暈を覚えた。あんまりにも辛くて、本当に泣きそうになって。 「――始まったことには、終わりがくるから」 「……え?」 「……どうせ最後にすてられるくらいなら、はじまりなんてこなければいいのにって、そう思ってたのに」  でも、俺を睨む芹澤の目は、俺を拒絶していなかった。芹澤はゆらりと立ち上がると、ゆっくりと俺に近づいてくる。 「付き合って、そのうち飽きられて、嫌われて、最後に振られるのが怖くて、」 「せ、芹澤……?」 「……藤堂に嫌われるのが、……こわくて、……」  ぽろ、ぽろ。芹澤の瞳から涙がこぼれ落ちる。あんまりにも綺麗な涙から、俺は目を離せなかった。強力な引力が、俺を支配する。 「俺なんて、誰からも嫌われることなんて知っているから――夢を、みていたかった」  きらきらとした瞳が迫ってくる。芹澤は一体何を言っているんだろう。俺はおまえを嫌ったりしないし、好きだから――そんな言葉は、俺の口からは出てこなかった。 ――俺の唇は、塞がれていた。何でもない、芹澤の唇によって。 「――えっ」  唇が離れていって、ばちりと目があった。瞳いっぱいにあふれる涙が、眩しくて目を開けているのが辛い。 ――俺は今……キスをされたのか。芹澤に、キスを…… 「……藤堂、きらい」  とん、と胸を押されて俺はよろめいた。あまりの衝撃に、呆然としていた。頭の中は、ごちゃごちゃと色んな想いで溢れかえっていて、すっかり混乱していた。  芹澤は、なんで俺にキスをしたんだ。キスをしたんなら、俺のことが好きなんじゃないの? さっきうっかり「付き合いたい」と俺が言ってしまったときに芹澤が顔を赤くしたのも、嬉しかったからじゃないの? なのに――なんでこんなに俺と付き合うのを拒むのか。わからない。芹澤の考えていることが、わからない。  「夢を、みていたかった」って、なんだよ。 「あっ……芹澤……」  混乱しすぎて本当に何も言えなかった俺の前から、芹澤が走り去っていってしまう。  追いかけることもできなかった。どうすることが正解なのか、わからなかったから。でも、追いかけることができなかった自分が、ひどく、憎たらしい。固まってしまった足を切り落としたいと思うくらいに、この時すぐに走って芹澤を追いかけられなかったことを、後悔した。

ともだちにシェアしよう!