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 しばらく、丘で、二人で過ごした。幸せな、時間を、過ごせたと、思う。帰りに、小さなラーメン屋でお昼を食べて、それから帰ってきた。やっぱり、よく聞くデートなんかに比べれば、地味だったから、結生は楽しかったのかな、って不安になったけれど、結生はにこにこと笑っていた。楽しかったのが俺だけじゃなくて、よかった、って思った。  家には、誰もいなかった。テーブルの上に、結生のお母さんが焼いたらしいスコーンが置いてあって、「芹澤くんと食べてね」というメモも添えてあった。いつも思うけれど、結生のお母さんは、すごく、優しい。俺の……あの女とは、違う。 「涙? どうした? なんかむすっとしちゃって」 「えっ、いや、大丈夫だよ」 「嘘だろ」 「……えっと、……あの」  結生のお母さんの、スコーンを、みて。俺は自分のと比べて、一人で苛立ってしまった。それが、顔に出てしまっていたみたいだ。結生に不快な思いをさせたくなくて、平静を装うと、思ったけれど。ここで嘘をついたら、結生はもっと、嫌な気持ちになると、思う。 「……俺、……結生みたいに、親と仲良くなくて」    少し、話してみよう、って思った。前も、ちらりと言ったことはあるけれど、改めて、話してみよう。でも、ちょっと、怖かったから、結生にくっつく。結生は、抱きしめてくれて、そして、俺の頭も撫でてきた。 「……もう、長い間、ちゃんと話してないんだ」 「……」 「俺は……あの人が家にいる時間は、家に帰らない」 「……それってさ、前に夜まで時間を潰してたやつ……」 「うん。あの人、昼間は家にいるから。俺、あの人の顔をみたくなくて、その時間は家に帰らない」  ……俺は、自分の家が嫌いだ。  母親は、体を売る仕事を、している。店で男とセックスをしたり、時には、家につれこんだり。家の中は、不快な臭いがする、男の気配が漂ってる。気持ち悪い家だ。  そして、そんなことをしているから。俺は、周りの人から「インバイの子」と呼ばれた。そんな風に、俺が苦しんでいるなんてこと、母親は興味ないのだろう。ずっと、そんな仕事を続けていた。 「……結生の、家庭が眩しかった。普通で、優しい家庭が」  テレビなんかで、家族のシーンをやっていると、大抵優しさに溢れている。俺は、それはただの理想だと、そう思っていた。でも、結生の家に行って知った。それが、普通なのだと。俺の家が、おかしかったのだと。  正直、普通の家に、生まれた結生に、嫉妬もした。だから、俺の言葉は、少し、恨めしいようにも、結生には聞こえたかもしれない。でも……結生は、不愉快に感じた様子もなく、ぽんぽんと軽く、俺の頭を叩いてきた。 「……俺、涙の家にまで口を出すことはできないから、あんまり言えることはないんだけどさ」 「……うん」 「……だったら、涙が思う幸せな家庭を、俺たちで作ろう。もうすぐ、俺たちは大人になれるんだから」 「……え、」  逃げ出せない、こんな運命からは、絶対に。そう思っていたから、結生のその返しには、びっくりした。自分で家庭をつくって、新しく居場所をつくってしまう、なんて考えは、俺にはなかったから。結生が何度か言ってくれた、結婚しよう、って話。それは、家庭をつくるということだ。  ……そうだ。いつまでも、あの家にいなくてはいけないなんてことは、ない。そう思うと、幾分か、気分が楽になる。 「……結生」 「ん?」 「……いつ、結婚、できる?」 「ふふ、そうだなあ。俺、大学行かないとだから……大学卒業したらかな。ああ、もし高校卒業したあとに涙が東京にいるなら、そこから同棲すんのもアリ」 「……同棲」 「同棲憧れるよなー。朝から晩まで涙と一緒。おはようといってきますとおかえりとおやすみのちゅーを毎日涙がしてくれるのか~」 「……妄想、しすぎ」 「え、してくれねーの?」 「……する」  ……結生は。からっとした性格だ。だからこそ、こんな俺と、付き合えるのかもしれない。そして、救いの手を、差し伸ばしてくれるのかもしれない。  俺は泣きながら、結生にキスをした。つま先を伸ばして、結生の首に腕をまわして、ちゅ、と軽く。結生は、愛おしげな目をして、俺を見つめた。そして、俺の頬を両手で包み込んで、こつん、と額をぶつけてくる。 「涙。話してくれてありがと。俺、涙のこと、絶対に幸せにするから」 「……うん」 「……愛してるよ、涙」  今度は、結生から、キス。結生からキスをされて、俺は腰が砕けそうになって……ぎゅ、と結生にしがみついて、いっぱい、キスをしてもらった。

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