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俺は、おれは、一体何を。結生にむかって、何を言った。
結生から逃げるようにして走って、俺は、保健室に、たどり着いた。もう、これからまともに授業を受けられる状態じゃない、そう、思ったから。
人が、化け物に見える。幻聴が聞こえる。頭の中に、呪詛が浮かんできて、思ってもいない暴言を吐いてしまう。いつもの、症状が現れた。週末、結生と一緒にいたときは潜んでいた、この症状が。何か、ものすごく嫌なことがあったり、不安なことがあったりして、心がぎゅっと痛くなったときにでてくる、この症状が。これのせいで、いつも、俺は苦しんでいた。そして、人を傷つけていた。
今日も、俺は……。
「……だれも、いない」
結生を、傷つけた。もう、嫌われたかも。やっぱり、俺なんて、結生に愛されるような、人間じゃなかったんだ。
もう、寝ていたくなって。保健室にはいると、ベッドに向かっていった。保健医は、いなそうだったから、こっそりと。
「あれ、涙だ」
カーテンが半分ほど、開いていたから、誰もいないものだと思ったけれど。すでに、先客がいた。びっくりしたけれど、彼が、知っている人だから、逃げることもできず。
「ゆ、ゆう……」
ベッドに寝ていたのは、ゆうだった。朝の出来事を思い出して、ギョッとしてしまったけれど、当のゆうはいつもどおり、柔和な微笑みを浮かべている。
「ど、どうしたの? 具合悪い?」
「んー? サボり」
「さっ、……一応生徒会なんだから真面目に、」
「涙こそどうしたの? ベッド使う?」
「い、いや……ゆうが使ってるし、いいよ」
ゆうは、外面はいいけれど、わりとズルいところがある。そんなところも、きっと、みんなから好かれる部分ではあるんだろうけれど。そんなズルいサボりのせいで、ベッドを占領されてしまったから、俺はまた逃げ場を失って、困ってしまったわけだけど。
諦めて、早退でもしようかな、と思って、ベッドに背を向けたときだ。ぐ、と後ろから手を掴まれる。
「ベッド使うんでしょ? 一緒に使おうよ」
「……は!?」
突然手を引かれたものだから、バランスを崩して、俺はゆうのいるベッドに、倒れ込んでしまった。「ごめん」、そう言って起き上がろうと思ったけれど。ゆうは俺を抱き込んで、そして、カーテンをしめてしまう。
「えっ、ちょ、ちょっと……ゆう、……」
「カーテンしめちゃえば誰もここを覗いたりしないよ。声さえ出さなければ、バレない」
「ば、バレないって……なにが、」
「イケナイこと、してること」
「え……」
あんまりにも距離が近くて、ゾワゾワと鳥肌がたった。やっぱり、俺は、人に触れられることが苦手だ。こんなに近付かれたら、怖くて仕方ない。
なにを、されるの。
突き飛ばそうにも、体勢のせいで、力がはいらない。俺に覆いかぶさってきたゆうの、蛇のような目付きに、心臓が凍りそうになる。
「泣きそうな顔をして、こんなところまできて。なにか、あったんでしょ? 俺が、慰めてあげる」
「まっ……待って……! やだ、」
「怯えないで。俺は、涙の味方だよ。涙が悲しそうだから、優しくしたいだけ」
ゆうが、服の中に、手を差し入れてくる。直に肌に触られると、すさまじい恐怖を感じる。あまりの恐怖に、俺は動けなくなって、ただ、身体を震わせることしか、できなかった。
「また、怖いものみてるんでしょ。何かすごく嫌なことがあったんだよね。言ってみてよ、涙。俺に話してみてごらん」
「……」
「昔から……俺は、涙のぜんぶを知っているでしょ。大丈夫、何をきいても俺は涙の「親友」で居続けるから」
――ああ。おかしくなりそう。
ゆうの言っていることは事実だった。ゆうは、俺がイジメられている頃から、側にいてくれた。毎日、強烈なストレスを受け続けて、幻覚も幻聴もひどくなって、暴言ばかり吐くようになって、それはもう頭のオカシイ人そのものだった俺の側から……ゆうは、離れなかった。
ゆうが、俺をどう思っているのかは、知らない。でも、居場所のない俺にとって、側にいてくれるゆうは……誰よりも、心の安らぐ人。俺の一番汚い部分まで知っているゆうは、これ以上、俺を嫌うことがないと、そんな安心感もある。
「……結生に、……嫌われそう」
だから。つい、言ってしまった。辛くて辛くて仕方のなかったことを、言ってしまった。
「喧嘩でもしたの?」
「……ううん。俺の、ウザいところ、みせたから」
「へえー」
ただ結生に話しかけているだけの女の子に、嫉妬して。それでわけがわからなくなって、結生や横山にキツイ言葉を吐いて。そんなところを見られたら、ウザいって、絶対に、思われる。不安がぐるぐるとうずを巻いて、気持ち悪くなって、吐き気を覚えながら、俺はゆうに言う。
そうすると、ゆうは、特に表情を変えることもなく、微笑んで、俺を撫でた。撫でられて、またゾワッとしたけれど、我慢した。
「いつものやつだ」
「……うん」
「気に病むことないよ。仕方ないもん。人よりもストレスを感じやすい。溜め込みやすい。そして、それでパニックになりやすい。涙は、そういう病気なんだし」
「……でも、」
「それで嫌われたら嫌われたでいいじゃん。藤堂がそれまでの奴だったってことだよ」
「でっ……でもっ……俺、結生に嫌われたら、もう……やだ、……俺、……でも、でも、えっと、」
視界が歪む。結生に、嫌われたら、それを、想像して。心臓が、引きちぎられるくらいに、傷んだ。内臓が、縮んでいった、ような気がして、胃液がこみ上げてくる。焦って、口元を抑えて、でも、耐えられなくて、でも、こんなところで吐くわけには、いかなくて、そうしたら、ゆうが、さっとビニール袋を、だしてくれたから、そこに、吐いた。
「落ち着いて、涙。大丈夫だから」
「うっ、……ぉ、え……う、……」
「俺は、どんな涙でも涙の側から離れない。だから、藤堂がもしも涙から離れていったら、俺のところにおいで。涙は一人じゃないよ」
「ゆ、……ゆう、……ゆ、う」
ゆうが、俺の顔を覗き込む。そして、両頬に手を、添えてきた。
過ぎるくらいにやさしい、瞳。違和感を覚えるほどの、やわらかな、視線。ああ、こんなに気持ち悪い俺を、軽蔑もしない。
唇を近づけられて、俺は、逃げようとした。けれど、ゆうは、追ってくる。俺を押し倒して、もう一度、唇を近づけてくる。
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