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 俺の家は、東京のはずれの、細い道に面して建っている、小さなアパート。外からみれば白塗りの壁が黒ずんでいたり、端のほうにある一室は火事があったらしくベランダが焦げている。そんな、誰も住みたがらないようなアパートが、俺のアパートだった。  錆びれた鉄の階段は、塗装がぼろぼろに剥げて、手すりに手を乗せればチクチクする。そんな、古い階段を登っていって、空き部屋を一つ通り過ぎ、続いて夜な夜な叫び声をあげる坂爪さんの部屋を通り過ぎると、うちがある。鍵を開けようとしたところで、気付く。なかに、人がいる。 「……」  ああ、いやだな。あの女に会いたくない。服だけとってきて、結生の家におじゃましようか……そう思って玄関を開けて、俺は息を飲んだ。 「えっ」  靴が、たくさん。来客がたくさんあるということ。ただ、すべて男物の靴で違和感はあったけれど。  誰が、こんなに来ているのだろう。恐る恐る奥に進んでいくと、声が聞こえてくる。 「あっ……あんっ……」 「もっと声だせよ」  あ、なんだか嫌な予感。みたくないものが、この奥にある。そう思って俺は、逃げようとした。もう、服は仕方ない、結生の家で洗濯してもらおう、ちょっとこの先にいく勇気は、俺にはない。 「あれ、君」 「……!?」  でも、あっさりと、みつかって、声を避けられた。出てきた人は、なんとも汚いことを考えていそうな、大柄の男。 「君、あれだよね。ミチコちゃんの息子さん」 「……ち、ちがいます」 「嘘つかないで。ほら、こっちにおいで」 「ちょっ……は、離して……」  男は俺の手を掴むと、ずんずんと奥へ進んでいった。不快な声はどんどん大きくなっていって、耳を塞ぎたくなる。  部屋にたどりついて、男が扉に手をかけた。そして勢いよく開けば……吐き気を催す光景が。 「あっ、んっ、あっ、あっ、」 「こっちもだよ」  畳の、部屋。敷かれた布団の上でまぐわうのは、……俺の母親と名乗る女と知らない男二人。そして、それらを囲うのはたくさんのカメラと男たち。 「……る、るい……」  女は俺に気付いて、呆然と固まった。そうすれば端の方にいた髭をたくわえた男が舌打ちをして、「カット」と言う。男は明らかな怒りの形相でこちらに向かってきて、俺を連れてきた大柄な男の胸ぐらを掴んだ。 「てめえ何撮影の邪魔してんだよ!」 「いやあ、すみません。この子、ミチコちゃんの息子さんですから。いいように使えないかなって」 「息子……? はあー、なるほど。なかなかいい素材じゃねえか。色んなことに使えそうだな」  ……なにを、言っているんだろう。というより、こいつらはなにをしているのか。まったく、理解できなかった。  俺が唖然としていると、女が慌てたように立ち上がり、髭の男に縋り付く。そして、ぼろぼろとなみだを流しながら、叫ぶ。 「む、……息子には手を出さないって……そういう契約のはずじゃない! 全部、私が……!」 「口約束は契約にならねえよ、ミチコちゃん」 「ふ、ふざけないで! 涙にだけは……お願いだから……」 「そうは言ってもなァー……あと1000万っすよ、ミチコちゃん。二人で稼いだ方がいいって。この子、可愛い顔してるしウケるよ。子と母ちゃんでセックスとかウケるし……ああ、この子が突っ込まれるのも悪くねぇな、二人でぶち犯されるのはどうだろう。それとも、ゲイビの方にだしてみる?」 「……ッ、私一人で全部返すって言ったでしょ。なんでもやればいい、涙には手を出すな」  ……状況が、理解できない。この人は、何を言っているのだろう。この人は、俺のことなんて、どうでもいい、酷い人なんじゃなかったの?  この男は? このカメラは? 1000万ってなに?  わからなくて、ぐらぐらして、気付けば俺は、後ろから、羽交い締めにされていた。 「涙くん、知ってた? 君のお母さん、最近AV女優になったんだよ」 「……ッ、」 「可哀想にねェ……男に逃げられて騙されて、それで借金抱えて……体売って稼いでいたのはいいけれど、薬に手をだしちゃったからまた金が足りなくなって……でも君のことは育ててあげたいんだってさ。大学にも行かせてあげたいんだって。そんなわけで遂にAV女優デビューだよ、泣けるねェ」 「え、なに、……それ、」 「まあ薬売ってるのはウチのボスなんですけどね」  俺の、顎を掴んで、下卑た笑顔を浮かべる男。よくみると、その手の小指が、ない。  逆らってはいけない人たち、それを、直感的に感じ取った。体から力が抜けて、よろりと背後の男に寄りかかる。「可愛いね」と言われて、全身に鳥肌がたった。 「……まあ、いいや。今日のところは母ちゃんの仕事っぷりをみていきな、涙くん」 「は、はな……して……」  布団の上で、また、はじまる行為。「涙の前では、やめて」という叫びが、響く。耳を塞ぐことも、できず、俺は、わけもわからず、泣いた。  延々と、地獄絵図のような、醜いソレが、終わるまで。俺は、ソレを、見せられた。 「貴女が逃げれば、涙くんがAVに出ることになるよ、ミチコちゃん」  なんで、なんで、なんで。どうして、こんなことに、なってるの。  全てが終わって、解放されれば、その瞬間に、体が崩れ落ちる。行為のあとの、悪臭を残して、男たちは去っていった。 「あ、……」  俺は、どうしたらいいのか、わからなかった。頭が、真っ白だ。  この人は、誰。俺の母親と名乗る女は、俺の人生を狂わせた、クズだと、そう思っていた。なのに、まるで俺を大切に想うような、彼女は、……誰。 「……る、い」 「……ッ、」  怖くなった。ぜんぶ、壊れてしまうような、気がした。今まで、自分のなかにどっかりと居座っていた、母親への恨みが、壊れそうになって、そして自分のなかに巨大な空洞が、できそうに、なった。  憎い、だろう。彼女が、憎い、憎い……彼女のせいで、俺が長い間イジメを受けた事実は、変わらない。憎いのに、憎いのに……この、人は。俺を。 「……涙っ……! まって、涙……!」  逃げた。俺は、逃げた。震える体で、這うようにして、玄関まで。そして、靴もはかずに、外にでて、逃げた。にげ、 た。 「――涙!」  頭のなかに、鈍く、重い、音が響いた。気づけば、全身に、激痛が、はしっていた。視界には、歪んだ、空が、広がっていた。 「……るい、……涙……!」  ガンガンと、音を響かせて、彼女が、階段を、駆け下りてくる。シーツだけを纏った、犯されたままの、姿で。  ……あれ、俺は、いつのまに、階段を、降りていた。 ――俺は、階段を、転がり落ちた、らしい。

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