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「……わ、」  玄関を出ると、きらきらとした光が俺たちを照らす。気にしたことがなかったけれど、このアパートの玄関の側に大きな木が立っているから、木漏れ日が綺麗に玄関に浮き上がるようだ。土臭くてあまる好きじゃなかったこの玄関の構造も、それに気づけばなんだかいいものに見えてくる。 「……なんか、体が軽い」 「よく眠れたんじゃね?」 「……そっか。うん、いつもあんまり眠れないんだけど、昨夜はよく眠れたかも。結生と一緒に寝ると良く寝れるんだよね」  いつも鉛のように重い肩、重力に引っ張られるように下がってくる瞼、動きたくないと喚く脚。それらが嘘のように軽い。この玄関から見える景色が、まるで別世界のように感じられる。  ああ、今日はなんだか頑張れそうだ。まだまだ怖いものはあるけれど。  俺は清々しい気分になって、嬉しくて。軽く背伸びをして、結生に触れるだけのキスをした。そうすれば結生はくすぐったそうに笑って俺の頭をなでてくれる。 「……あ、おい、涙」 「ん……?」  結生、好きだなあって。そう思って幸せな気分になっていると。結生がとんとんと俺の肩を叩いて俺の後ろを見つめる。誰かに見られたかな、と俺が振り返ればそこには―― 「――涙」 ――あの人がいた。俺を、産んだ人。 「お、おはよう涙。……お友達?」  どこから、見ていたんだろう。俺と結生がキスをしているところ、みていたのだろうか。  結生は「あ」と小さな声をあげて一歩前にでる。いかにも夜のお仕事から帰ってきましたといった彼女の服装と、俺への態度で察したんだと思う。彼女が、俺の母親だと。結生は少し困ったように笑って、彼女に言う。 「えっと……涙のクラスメートの藤堂です。いつも仲良くさせてもらっています」 「あ、そうなのね。いつもお世話になってます、藤堂くん」  戸惑ったような彼女の表情。たぶん、やっぱり、俺と結生がキスをしているところを見ていたのだろう。結生の言葉が腑に落ちない様子。  でも、別に俺は隠すつもりなんてないし。今更、彼女に隠れるなんて、嫌だし。ただまだ決心はついていないけれど。  だから俺は、そのまま結生の手を掴んで彼女のいる階段の下に向かって歩き出す。かん、かん、と階段はうるさく鳴って耳障り。動揺をあらわにする彼女の前までくると、俺は立ち止まってぼそりという。 「……藤堂は、俺の、恋人」 「――えっ」  結生も、そして彼女も驚いたようだ。でも俺はそんなものを無視して彼女を横切ってアパートから離れていく。 ――もうちょっと。もうちょっと、あの人と向き合うまでに、もうちょっと。まだ、怖い。

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