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「ゆ、ゆう……どうしたの?」
人気のない踊り場に涙を連れてくる。朝の登校の時間だから全く人が通らないというわけではないけれど、薄暗くて比較的人が通らない場所。こんな場所に連れてきたからか、涙は緊張してしまったようで俯いてもじもじとしている。
……なんだか、ほんとうに俺のことを信頼しているんだな、こいつは。たぶん、涙が俺以外の奴にこんなところに連れてこられたら、恐怖に震えると思う。ガタガタ震えて、顔を真っ青にして、指先を自分でガリガリ引っ掻いていると思う。
でも、今の涙は照れくさそうに顔を紅くしているだけ。なんなんだろう、こいつは。ああ、可愛い。なんだかわけわからない。頭オカシイくせに、可愛い、なんなんだろう。
「ゆっ……」
気づけば、涙を俺と壁の間に閉じ込めていた。涙の両脇に手をついて、じっと涙を見つめる。
「俺ね、涙のことすごく好き」
「……あっ、あの、……んっ」
涙に顔を寄せて、こめかみにキスをする。涙は口にぎゅっと手をあてて目を閉じて、びくんっ、と震えた。至近距離で顔を覗けば、涙は瞳になみだをいっぱいにためて顔を紅くして、俺を見つめ返してくる。
「……もっとしていい?」
「……っ、」
「唇に、とか」
「……ゆ、ゆう……なら、……い、いいよ」
ああ、可愛い。可愛い、ぐちゃぐちゃにしたいくらいに可愛い。可愛いすぎて殺したい、殺したい、すっごく嫌い。死ね。
そうだよ、こいつ、すごく可愛いし、消さないとだし、ああそうだ、俺が飼い殺してやろう。愛でて愛でて、とろとろにしてやるから、そのまま俺に心酔しながら死んでいけ。そうだそれがいい、おまえも俺も、それで幸せだ。とりあえずおまえが死ねばいい。アタマオカシイ奴は、死なないと。ね、涙?
「……っ」
涙の顎を指で持ち上げて、唇を奪おうとした。
その瞬間だ。涙が、俺を軽く突き飛ばす。驚いて涙の表情を窺い見れば、涙は怯えきった顔で俺を見ていた。
……あれ、今の今まで悦びきった顔をしていたくせに、どうしたんだコイツ。
「……あ、……ご、ごめん……今のゆう、……あの、なんか、……こ、怖くて……」
「……え?」
怖い? 何? キスが? 俺とだったらできるんじゃなかったのか?
――いや、違う。涙は、俺の中でぐるぐると蠢いていた感情を感じ取ってしまったのだ。相手の表情を伺って伺って、びくびくしながら生きていた涙だから。俺の目を見て、俺の心の中に気づいてしまったに違いない。俺が、何を考えて涙にキスをしようとしたのか――それを、涙は悟ってしまったのだ。さすがに「死ね」と思っていたことまではわからないだろうけれど、純粋な想いでしょうとしたわけではない、と気づいたのだろう。
「……ごめん。涙のことが可愛すぎてがっつきそうになっちゃった」
「……ゆ、ゆう……」
「冗談だよ。しないよ、キスなんて」
……くだらないところだけ冴えるんだな、こいつ。ああ、ムカつく。
飼い殺すのには時間がかかりそうだ。それに気づいた俺は、心の中で舌打ちをうった。
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