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――――― ――― ――   「……おはよう」 「……――」  ひどく、昔の夢を見ていたような気がする。目を覚ませば、真っ白な天井と窓から差し込む太陽光。自分が何者なのかもわからない、ここが現実なのかも定かではない――そんななかちらりと見えた顔に、俺は夢を見ていたのだとようやく自覚をする。 「……なんで、君がここに?」 「今のおまえを涙に会わせたら、おまえ、やばいことになるだろ」 「……そう」  そこにいたのは、藤堂。涙の、恋人。この病院は面会を許されているから、誰でもお見舞いにくることができる。母さんはよく来てくれていたけれど……こうして母さん以外の人がくるのは初めてだ。どうせまた「春原裕志が精神病院に入院した」という事実は隠されていると思っていたから、俺は驚いた。  それにしても、藤堂が来るとは。恋人を散々傷めつけた俺のところに、よくこれるなあと思う。 「なんの用? 恨み言でも言いに来た?」 「……だいぶ、落ち着いているみたいで良かった」 「……?」 「入院したばっかりのときは、とてもじゃないけど会わせられないって春原のお母さんに面会を断られたんだよ」 「ああ……薬、飲んでるし。もう、癇癪を起こしたりはしないよ。疲れたし」  ……藤堂は、どういった経緯で俺がここに入院していると知ったのか。この口ぶりから推測すると、もしかしたら母さんから直接きいたのかもしれない。母さんが、藤堂と……それから、涙に謝りにいって、そのときに。じゃあ、また俺の入院については学校の奴らには隠されているのか。くだらねえ親だな。 「君さ、何しにきたの? 俺のこと、嘲笑いに来た?」 「……違う。普通にお見舞いにきただけだ」 「……はっ、嘘つくなよ。君の大切な大切な涙のことを輪姦そうとしたり殺しかけたんだぞ、俺は。そんな俺のことをのうのうとお見舞いにきた、とか……笑わせんな」 「……おまえ、それ、本当にやろうと思ってやった?」 「は?」  藤堂はじっと俺を見つめて、静かな声で言う。  ……こいつ、なんなんだ。まさか、俺のことを心配しているとでも? お人好しも度がすぎている。そもそも「あの」涙と付き合えた時点で、こいつはおかしい。涙は客観的に見て、恋人である藤堂に対して酷いことをたくさんしている。そんな涙を変わらず愛し続けているあたり……こいつも、おかしいんじゃないの。 「春原のやったことは、許されることじゃない。許してもいない。でも、……おまえ。昔は……涙のこと……大切にしてたんじゃねえの……」 「……はい? 知らないんですけど」 「涙が言ってたぞ。今こそは少し、春原は変わったみたいだけど……昔は、親友だったって」  藤堂の言葉に、俺は息を呑んだ。  え? なんだって? 涙と俺が、親友? 「いじめられていた涙に、唯一優しくしてくれたって。いろんなこと、教えてくれたって。おまえと一緒にいた時間が、すごく楽しかったって。涙、そう言ってた」 「……なにそれ、作り話? 俺があの異常者と親友だったとか、やめてもらえる? あいつと仲良くしてたとか、いじめられていて可哀想だったからだよ。同情してただけ」 「涙は、おまえとずっと友だちでいたかったって」 「……いや、だからさ、」  いや、ほんと、知らないから。あいつと親友とか、わけわかんないから。あいつが勝手に勘違いしているだけじゃないの?   藤堂の言葉を、必死に否定する。俺は、葉を殺した異常者が何よりも憎い。だから涙にも消えて欲しい。涙と一緒に過ごした時間なんて、ほんと俺にとっては無駄なもので。すべてが、消したい記憶だった。涙と一緒に散歩をしたり、一つのイヤホンで曲を聴いたり、恥ずかしがる涙を見て可愛いって思ったり。そんな記憶、俺の中ではとっくにゴミ箱に入れていて。  精々、涙を騙すためにちょっと必要だった戯れ、くらいにしか思っていない。全く表情が変わらない涙が、喜んでいるときは瞳がきらきらと光っていてすごく愛らしい、なんて、知らなくていい情報で…… 「……なに、馬鹿なの? あいつ、ほんと馬鹿だよね? ここまでされておきながら、そんなこと思うとか馬鹿だよ。やっぱり頭おかしいだろ、おかしいって……」  なんなんだよ。ほんと、なんなの。苛々する。胸が、痛くなる。  俺は、自分で壊したんだ。あの、優しい思い出をすべて。涙を騙して、涙を輪姦そうとして、涙にトラウマを植え付けて、涙を殺そうとして――きらきらとしていたあの思い出たちを、どす黒い墨で塗りつぶした。消し去った。あの頃抱いていた想いも一緒に、すべて――そのはずなのに。 「……春原、」 「出てけ……! 見るなよ、もうこんな俺を……見ないで……」  涙と一緒に見た、空の青さ。桜の優しさ。あの輝きが――恋しい。 『高校でも、友だちでいてね』  俺は、何をしたかったのか。何を守りたかったのか。  封じ込めた、本当の気持ちは、どこへいったのか。  そうだ、俺は――あの頃、一番幸せだったんだ。淋しげな君が、少しずつ優しい瞳になってゆく。俺を見つめ、瞳の奥で嬉しいと言う。透き通るようなさらさらとした髪の毛が、空の光を受けて輝いている。  声をあげて、泣いた。俺はただ――君と、ずっと友だちでいたかった。

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