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第十六章 I yearn for that time

『春原くん、最近やばいらしいよ』  そんな噂がたったのは、ゆうが登校してきてからごく数日のことだった。ゆうが精神病院に入院していたことなんてみんな知らないけれど、ゆうが登校初日にただならぬ様子で学校から飛び出していったのを、何人かが見ていたらしい。一ヶ月の長期の入院ということも重なってか、ゆうがよからぬことに巻き込まれていると思っている人たちがいるようだった。 「涙……おい、涙」 「えっ」  ぼんやりと、窓の外の白黒の空を眺めながら、ゆうのことを考える。周りのことなんて何も気にしていなかったから、呼ばれていたことに気づけなかった。ハッとして振り向けば、俺を呼んでいたのは、結生だと気付く。俺は耳に付けていたイヤホンを外して、結生を見つめてみた。 「あれ……涙ってミュージックプレーヤーとか持ってたっけ」 「……昔……お古を、貰ったんだ。新しいの買うからこれあげるって」 「ふうん……あ、それは置いておいて、涙、おまえ大丈夫? なんか……ずっと、考え込んでいるっていうか」  無意識に使っていたミュージックプレーヤーは、中学のときにゆうに貰ったもの。入っている曲も、俺は新しいものを入れたりしないから、昔ゆうと一緒に聴いていた曲だ。  それを思い出して、なんだか憂鬱な気分になる。ゆうのことを考えると、頭がぐるぐるとしてきて、わけがわからなくなってしまう。ここ最近、胸の中がもやもやとするのは、たぶんゆうのことを考えてしまっているからで。結生も、そんな俺の様子を気にかけてくれたんだと思う。 「……俺、ゆうにとって迷惑なのかな」 「迷惑?」 「ゆうは、俺のことを嫌いだから……心配されることすら、うざいのかも」  ゆうが登校してきた、あの日。ぶつかってしまった俺を見て、ゆうは顔を青くしていた。声をかけてみれば、酷くおびえたように、目を逸らされた。  本当は、ゆうの家に行って様子をみてきたいけれど。でも、ゆうの様子を思うと、そんな行動は軽率すぎるのではないかと、そう思う。 「……涙は、春原のこと、心配なのか?」 「……うん」 「春原の様子が気になるなら、俺が見に行ってくるから……涙は、気にしないほうがいいと思う。だって、涙は春原に……」 「……酷いことをされたから?」 「……」  結生は、そんな俺を咎めてきた。俺のことを思ってのことだと思う。だって結生は、いくらゆうが酷いことをしてきたからって、「見捨てろ」なんてことは言わないからだ。ただ、俺がゆうのことを気にして悩んでいるから、「もう考えるな」と言っているんだと思う。  俺だって、好きでゆうのことを考えているんじゃない。ゆうにされたことは、トラウマになっている。思い出すだけでも、吐きそうになる。不登校になったからといって、そんなに酷いことをしてきたゆうのことを心配するほど、俺はお人好しじゃない。  ……でも。どうしても。俺は、ゆうのことを突き放せなかった。俺の心の奥で、ずっときらきらと輝いていた、あの記憶のせい。ぐちゃぐちゃに濁った、屍のように生きていた日々のなかで、唯一美しかった、あの記憶のせいだ。……ゆうが、俺を「友達」と呼んでくれていた、あの頃の記憶。 「……俺だけが、一方的に友達だと思っていた。俺だけが、ゆうのことを好きだった。そんなことわかりきっていたし、だから俺はゆうのことが少し怖かった。……でも、俺は」 「……涙、」  ミュージックプレイヤーの画面に映る、聴きふるした曲のタイトル。昔の思い出に縋りついているみたいなのが嫌で、もう聴くのをやめようと何度も何度も思っていた。もう結生がいるんだから、あのころに執着する必要なんてないと、そう思っていた。でも俺は、この曲が好きだった。……大切な、友達が教えてくれた曲だったから。 「俺は、今でもゆうのことが好き。ずっと友達でいたいって、その思いは、ずっと持っている」 「……」  結生は、複雑そうな顔をした。  結生も、ゆうのことは心配していた。けれど、俺のことを大切にしてくれている結生は、やっぱりどうしても俺の味方をしてしまうみたいで。俺が辛い選択をすれば、止めたいと思うのだろう。  でも。結生は俺のことを理解してくれている。やがて、困ったように笑って。 「……そっか。何かあったらすぐに俺に言えよ」  くしゃりと俺の頭を撫でてくれた。

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