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 たった一度だけだけど、俺は「あの場所」に行ったことがある。  ゆうの彼女が亡くなった場所だ。  命日に、一緒に花をあげにいったことがあるのだ。そのときのゆうの表情を、俺は今でも忘れない。いつも眩しくて、みんなのあこがれで、俺の光で。そんなゆうの表情が、闇に沈んでいた。  なぜかあのときの表情が、今のゆうと重なった。夕暮れ時、紅から黒に染まりゆく空。ゆれる瞳の奥の、哀しみ。あの場所が、ゆうにとって回帰の場所だったのかもしれない。彼にとっての、全ての始まり。俺へ恨み抱くようになった、きっかけ。未来が見えなくなった彼が向かう場所はきっとあそこだろう、そう推測するのは難しいことではなかった。  「あの場所」は、俺の住んでいる家からは少し遠い。たどり着くのに少し時間がかかるから、とにかく焦った。電車に乗っている時以外は、走っていた。  逢見谷から電話を受けて、一時間近く。場所もうろ覚えでまっすぐには迎えず、間に合わないかもしれないという絶望が刻々と迫ってくる。  ようやくそこにたどり着いたとき、俺は血の気がひくのを覚えた。  古びた、ビル。その前に建つ、街頭。そこに手向けてあるのはーー真新しい花束。 「ゆう……? ゆう……!」  ゆうはどこへ? その答えは、すぐに浮かぶ。 『葉はこのビルから落ちて死んだんだよ』  ビルの、屋上だ。  俺は慌てて走り出す。  まだ、落ちていない。落ちていないけれど、きっと今ゆうはこの屋上にいる。 「ゆう……!」  もう限界まですり減った体力を絞り出して、ガクガクと震える脚に鞭を打って。ひたすらに走って、ビルの入り口へつっこんでゆく。  伝える言葉は決まっていない。ゆうへの恐怖も拭えていない。けれど、彼に死んで欲しくない、それだけの想いが、俺を突き動かす。

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