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痩せたな。
裸になったゆうを見てまず思ったのは、それだった。シャワーチェアに座らせたゆうの背中には、背骨がくっきりと浮き上がっていて痛々しい。首も華奢で、片手でへし折ることができるんじゃないかと思うほど。
俺はシャツの袖とズボンの裾を折って、シャワーヘッドを手に取った。古いこのシャワーは水と熱いお湯のでる二つのノズルを使って温度を調整するのだけれど、何度やっても難しい。
「……そのキズ、お風呂入るとき痛くないの?」
「……痛い、から。湯船にはつからないで、シャワーでさっと流すことが多い」
「じゃあ、今日も軽く洗うだけに、」
「洗って。普通に洗って」
「……」
細い背中。
震えた声が、ぞろりと俺の耳に触れる。
俺はそっと、シャワーをゆうの背中にかけた。乾いた肌を、ぬるいお湯が濡らしてゆく。骨ばったその背中はシャワーの雫をいくつも弾いて、仄暗いライトの光を反射していた。
「……鏡」ぼそり、とゆうがつぶやく。俺は黙ってゆうの前にかけられている鏡にシャワーをあてて、鏡の曇りをとってやった。映し出されたゆうの姿に、彼自身が怯えている。
「……見える? ゆう」
「……うん」
「……していいときは、言って」
ああ、俺の手まで、震えてきた。
鏡に映し出された自分自身。その腹にあるキズに俺が触れる様子を、ゆうはその目で見ようとしている。彼の、自分自身の破壊と再生――それを俺は見届けることができるのだろうか。
「……して。涙」
はあ、とゆうが息を吐く。俺はそれを合図に、そっと……お湯を、そのキズにかけた。
「……っ、」
びくん、とゆうの体が震える。ゆうの眉がきゅっと顰められて、目元が震えている。しかしゆうは「やめて」と言うことはなく、じっと、その痛みに耐えている。
その姿は、あまりにも痛々しく。幽かに声を漏らしながら痛みに喘いでいる彼に、更なる痛みを与え続けるのは、俺も辛かった。けれど、俺はその姿を見届けるんだと、自分に言い聞かせる。
後ろからゆうの腹に、手を回して。息を呑んだゆうを鏡を通して見つめながら、……触れた。
キズは熱を持ち、歪な手触りで。触れているとゾクゾクと寒気が襲ってくる。ゆうが自分の狂気をぶつけた、その痕。どす黒い、ぐちゃぐちゃの渦をこびりつけたその痕は、触れているだけで乗っとられそうになる。
「……う、……ん、」
「体、預けていいよ」
「……ん、」
ゆうのこめかみに、あぶら汗。相当な苦しみが、あるのだろう。けれども鏡から目を逸らさないゆうは、必死に戦っている。
ゆうは俺の声に、少しだけ安堵したように表情をゆるませた。そっと、俺によりかかってきて身を預けてくる。ゆうの体を濡らすお湯が、シャツに浸透してきてじわ、と熱が沁みこんんできた。
――強烈に、熱い。
「は、っ……ぁ、……」
キズの、深いところ。一際深く刻まれた部分に触れると、ゆうの体が強ばった。俺の腕をぎゅっと掴んで、唇を噛みしめて、きっとすさまじいその痛みに耐えている。
「いっ……、……あ、……」
ゆうの瞳にはなみだが滲み、見ているだけでこっちが痛みを感じるほど。それでも俺は手を止めない。ゆうが止めてと言わない限り、止めてはいけないのだと……その苦悶の声にさいなまれながら、キズに触れ続けた。
シャワーの流れる音と、ゆうの掠れた声。それが、浴室に響く。それは果てのない地獄を思わせるようでいて、一本の蜘蛛の糸が見えるようでいて。息苦しく、そのなかに希望を探して、喘いで、もがく。
「……るい、」
「……ん、」
「……ごめんなさい、……ごめん、……ごめんなさい……」
痛みのなかで、溺れている。
ゆうは譫言のように俺に謝罪を繰り返して、少しずつ、体から力をぬいていった。
確かに、この行為はゆうのなかに滞留する闇を、溶かしていた。俺がキズに触れる、その強烈な痛みはゆうの罪の意識に赦しを与えていて、その心を束縛する苦しみを少しずつほどいてゆく。俺は、ゆうのことを赦したいと思っているのだ。簡単にはできないけれど、それでもその意識は持っている。だから、ゆうを救うのは、ゆう自身の心。ゆうが自分を赦すことができるか、それにかかっている。だから、この自傷にしか思えない贖罪は確かに……ゆうを救いに導いている。
「……ゆう、がんばって」
「あっ……、い、……あぁ、……く、……」
響く、ゆうの声。少しずつ、その声色から強ばりが抜けてゆく。
「るい、……」
蜘蛛の糸が、一本。見えたような気がした。
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