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やがて鬼となる母と魄と名付けられた息子との徒然なる日々――【秋の月】
◇ ◇ ◇ ◇
生き地獄のような夜の世界と魔獣じみた奴等から解放されたのは……空が白みかけた時刻だった。
既に三人の魔獣じみた忌々しい奴等はその間抜け面を晒しながら気持ちよさそうに眠りこけており、私はぐったりと畳に身をうつ伏せにしながら……布団すら掛けていない惨めな状況の中で目を覚ました。
――今までにない程の……最悪な夜明けだ。
そして、まるで私を嘲笑うかのように僅かばかり開いている窓の外からは、ちゅん、ちゅんと爽やかな雀の鳴き声が聞こえてくるのだ。
「…………ううっ……」
寝所の中は流石に綺麗に整頓されてるとはいえ、わざとらしく私の側に置かれている粘り気のある特殊な葡萄酒が入っていた空き瓶と――溶けかけて滑り気のある凍っていた柿が入っていた空き瓶とを目にすると、途端に昨夜のおぞましい光景が否が応にも私の頭の中に蘇ってきたため堪えがたい吐き気に襲われてしまい、慌てて寝所を飛び出した。
寝所から一歩出た途端に――私を憐れむ顔で見つめてくる翻儒と呼ばれていた爺の息子とぶつかってしまったが、じろりと厳しい目付きで彼を睨みつけると――そのまま早足で寝所を後にするのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
ぱしゃ……
ばしゃっ……ばしゃ……
王宮の中庭の池で――私は擦れて血が出てしまう程に無我夢中で唇を洗う。
唇だけでなく――全身が削れてしまうのではないか、と思う程に必死で体を擦り付けて汚れを落とすのだ。
「……くっ……う、ううっ……魄――魄……ごめんなさいっ……こんな……汚れた最低な母で――ごめんなさいっ……」
魄は此処にはいないのに……いや、いないからこそ今まで胸の中で圧縮していた弱音を呟いてしまう。その時、ふっ――と見上げた目線の先に――実をつけた柿の木があり、私は再び吐き気を催してしまう。
今まで柿は大好きだったというのに――昨夜で一気に世界が暗転し、私は柿の実が大嫌いになってしまった。同様に、これからは大好きだった葡萄すら――食べられそうにもない。
しかし、いつまでも此処にいて――めそめそ、と童のように泣いている訳にはいかない。魄や木偶の童子が目を覚ます前に――私の寝所へと戻らなければならないのだ。
(早く……早く戻らなければ……魄達が私を待っている……)
と、重い腰をあげて立ち上がり歩き出そうとした私の目に――今度は先程と同様に憐れむ顔をしたままの爺の息子――翻儒が立っていたのだ。
「……何か、御用ですか?」
「あ、あの……あの……これ――使って……ください……」
明らかに戸惑いを感じている素振りで翻儒は私に手布を渡してきたのだ。それを見た瞬間、私が支配されてしまったのは――悲しみでも遠慮でもなく、はっきりとした怒りだった。
「一体……何のつもりなのです!?私に憐れみを向ける事で――貴方も私に見返りを求めるのですか……奴等のように……いずれ私の体を求めるのですかっ……貴方にはあの爺達の血が流れていますものね……ですが、私は……決して貴方達になんか屈しませんよ――いずれ後悔させて……」
「ち、違うっ……違います――俺は、俺はただ……貴方様が心配で……美しい貴方の悲しむ顔など見たくはありませぬ……これで、涙をお拭きになってくださいませ――尹様」
今まで圧縮させてしまっていた気持ちが遂に爆発してしまい、思わず翻儒から差し出された手布を手で振り払ってしまった。
手布を拾いあげてから――ゆっくりと私に近づいてきた翻儒は目に一杯涙を溜めながら再び私へと手布を差し出してきた。
そして、それから少しの間―――私と翻儒は共に今まで誰にも言えなかった己らの気持ちを吐き出しつつ泣き合うのだった。
もしかしたら――私と翻儒はよく似ている、とその時から予感していたのかもしれない。
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