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童子は母の夢をみる【夏の月・起】

◆ ◆ ◆ とある、夏の日を思い出す____。 みん、みんと喧しく蝉の声が響く中で幼い頃の木偶の童子は【別れ】に直面していた。赤ん坊の頃の木偶の童子は出生が不明で村の中でも貧乏人達が集まり生活している《貧民街》の区画の、とある民家の扉の前にぽつん、と置かれていた。雨風に晒され――ほぎゃ、ほぎゃと弱々しく泣き声をあげて無意識とはいえ救いを求めていた木偶の童子を逞しい両腕で抱き上げたのは《貧民街》の中でも一番裕福で村を纏める権限を持つ【王宮専属医師】が暮らしている屋敷で付き人として奉公する楊(やん)という男だった。 幼い頃は、楊と共に暮らしていた木偶の童子だったが__王宮で暮らしている、とある赤守子の男の目にとまり気に入られた楊は半ば強制的に王宮に住み着く事となったため、代わりに【王宮専属医師】の屋敷へと奉公に行く事となったのだ。 「____いいか、でく……今日からこの屋敷が、おめえの奉公先なりや。主様にご迷惑かけねで頑張るんやぞ?おめえと離れんのは寂しいが……仕方ないやな。でく、体には気をつけや」 「…………」 一時とはいえ、出生不明で親のいない自分を救ってくれて共に暮らしていた楊と離れるのは幼子ながらも辛く___声を押し殺しながら木偶の童子は涙を溢す事しか出来なかった。 口は悪いものの、顔つきは美しく《貧民街一の色男》と他の者達から呼ばれていた楊が別れ際に穏やかな微笑みを浮かべたのが__屋敷に行ってからもずっと木偶の童子の頭から離れる事は無かった。 【王宮専属医師の主】が暮らす屋敷へ奉公のために住み着いてから数日後、木偶の童子は風の噂で――楊が王宮で何者かによって殺害された事を耳にした。 偶然耳にしたというよりも、屋敷の主である【尊巍 (そんぎ)】の嫌がらせによって聞かされたといっても過言ではない。尊巍はとても意地悪な男で、屋敷に奉公に来たばかりの木偶の童子を快く思っていなかった。親同然の楊が無惨な最後を遂げた事を木偶の童子の耳に入れれば傷付くのを分かってた上で――卑怯な事に己の忠実な僕を使ってまで嫌がらせを仕組んだのだ。 木偶の童子は再び一人になってしまった___。 今までにないくらい泣きじゃくりながら、夕焼けが包む屋敷の中庭をとぼ、とぼと歩いていた時___どこからか自分の名を呼ぶ声が聞こえてきた。また誰かから意地悪をされるのではないか、とビクッと身を震わせながら恐る恐る声がした方へと歩いていく。 立派な大木の上から___己を呼ぶ声が聞こえていたのだけれど、そのせいで楊が殺害された時の状況が頭の中を埋め尽くす。実際に見た訳ではなかったけれど、大木を見ただけで木偶の童子の頭の中に屋敷の主である下僕らが話していた【王宮の桜の木の枝に意図的にくくりつけられて殺害された楊の最後】という映像が頭の中に無理やり浮かんできてしまい、耐えきれずに木偶の童子は苦しげに呻き声をあげながら身を屈めてしまうのだった。

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