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童子は母の夢を見る【夏の月・起】

◆ ◆ ◆ ふっと気付けば、先程まで雲ひとつなかった真っ青な空は橙と赤とが混じった夕空へ変化していた。 ぐったりと脱力し、呆然と虚空を眺める木偶の童子の耳にカアカアと烏の鳴き声が聞こえてきた。忌々しいと怒りの炎を心の中に抱きつつも奉公先の屋敷の主という決して逆らえない立場の男から体の奥深く根付かされたぬめぬめした白い種が気持ち悪く、吐き気を催した。 しかし、此処に連れて来られたばかりの己が屋敷の主であるあの男の庭を汚す訳にはいかない、と思い直すと何とか堪えてから、すぐ近くにある池へと這うようにして向かって行く。 『わたしは気高く貴様よりも立場も高いαだ。Ωの貴様に子種を注げば……王宮にて《男寵子》として仕える事となった楊同様に淫乱な貴様を孕ませる事も可能だ__その時は……貴様の子もいたぶってやろうぞ』 【男寵子】とは王宮内の守子全般の性処理を行う役職に就く男子達の総称である――と木偶の童子が知ることになるのは、これより少し後の事だが、それを抜きにしても主となる目の前の男が己の育て親である楊を侮辱しているのは下品な表情と笑い声から何となく理解できた。 己と楊を侮辱してくる屋敷の主に対しての凄まじい怒り___。 愛しい育て親である楊を守る事すら出来ない己への情けなさ__。 ぐるぐると渦を巻きながら乱雑に混ざるように色んな【負の感情】が己の心を掻き乱す。そのせいで、爪を立て深く肌を抉りながら洗身をしている事にも気付けない。 そんな事をしている内に、つい先程――恐怖で身を震わせる己にしつこく囁いていた屋敷の主から発せられる呪文のような言葉を思い出してしまい、それを払拭するように尚も一心不乱に白い柔肌を爪を立てつつ擦りあげる。 忌々しい言葉を思い出さないように、何度も何度もわざとらしく水音をたてながら遂には柔肌から血がつつーと流れ落ちたが木偶の童子はお構い無しに荒々しくごしごしと洗身を続けていく。 そして、そんな事をしている内にすっかり辺りは宵闇に覆われていた。木偶の童子が、それすら気付かなかったのは単に身を洗うのに夢中になっているだけではなく心の中に負の感情が渦巻き続いていたからだ。 夜になっている事に木偶の童子がはっきりと気付かされたのは、少し離れた所から照らされる提灯の灯りが己を照らした時だった。 黄色いの花が咲き誇り黒一色の宵闇に浮かぶ金雀枝の低木の脇に立っていたのは、手に持っている提灯の灯りをこちらに向けつつ驚きを露にした凶善の姿____。 「……っ____」 「おい、尹が___お前を探していたぞ……こんな場所で長い間、何をして……っ……」 凶善は驚きの表情を浮かべつつ、そう言いかけた。しかし、すぐに言わんとしていた言葉を飲み込み僅かに気まずそうな表情を浮かべると哀れみを込めた瞳で木偶の童子を一瞥した。 木偶の童子の白い肌は強く擦りあげたせいで赤く腫れ、尚且つ所々に裂傷ができており血を滲ませていたのだ。中には、流れ落ちてしまっている箇所もある。 「…………」 「あ、あの……」 「いい……今は、何も言うな。とりあえず、屋敷に戻るぞ。尹が慌てふためきながら、お前を待ってる……お前を心配してる」 黙ってしまった凶善を目の当たりにして、とりあえず、気まずさから脱するために何か言わなければ____と餌を求める鯉のように口をぱく、ぱくとさせていた木偶の童子だったが、凶善の大きな手で頭をぐしゃぐしゃと撫であげられて尚且つ、彼が身に付けていた上衣を破れて使い物にならなくなった襤褸の代わりといわんばかりに傷だらけとなった体へとふわりと優しくかけられると今まで必死で我慢していた涙が一筋頬を伝った。 凶善は何も言わず、傷ついた木偶の童子を背中におぶりながら屋敷へと向かっていった。 この時、木偶の童子は__ぶっきらぼうで乱暴な凶善に恋心を抱いた。 狂えるような深い、深い____恋心を。

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