66 / 89

童子は母の夢を見る【夏の月・承】

◆ ◆ ◆ 木偶の童子が己と同じように屋敷の主に奉公している仲間(先輩でもある)凶善に対して淡い恋心を抱いて数年が経った頃のこと____。 屋敷の主である息子の尹は召し使いという身分の木偶の童子に対して分け隔てなく優しく接してくれ、父親の前以外では友人としても接してくれていた。 それ故に、木偶の童子と凶善が仕事をする時や――または尹が勉学する時や村の外へ出掛ける時以外は常に三人共に過ごしていた。しかし、そうとはいえ日中は三人共に仕事や勉学に追われているため主に夜にしか過ごせないものの――それでも、三人で夢を語ったり木偶の童子が知らない外の世界の話を尹から聞くのは面白いと感じていたし、同時に欠けがえのない時間だとも思っていた。 両親を亡くし、捨てられて尚且つ育ての親である楊を王宮の中にいる連中によって奪われた木偶の童子にとって聡明な尹や無愛想ながらも本当は優しい凶善と過ごす時間は心地よかった。 季節は夏___。 時刻は既に皆が寝静まっているくらいに更けていたのだが、尹がどうしても二人に見せたいものがあるといったため――日中の仕事を終えて足が棒のようになっているにも関わらず疲弊しきった体に鞭打った木偶の童子と凶善は共に屋敷の中庭へと来た。 もちろん、警護人や屋敷の召し使い達に気付かれないように慎重にだ。夏とはいえ夜になった屋敷の周りは冷たい風が吹いていて少々肌寒い。木偶の童子は、薄着で来てしまったことに対して平気だったのだが隣にいる凶善は小さくくしゃみをしていた。貧困街で、育ての親である楊と暮らしていた時の方が寒かった。年中、襤褸屋に吹きつけてくる隙間風に悩まされていた。その際、楊が必死で己を抱き締めてくれて体を暖めようとしてくれていたの思い出して、涙が出そうになったものの必死で堪える。 ふと、悲しさを吹き飛ばさんと前方を見やった時に一人でいる尹の姿を見つけたからだ。 黄色い金枝雀の低木の側で、尹がしゃがみながら手に持った提灯の光を地面のある一ヶ所に当てながら何かを熱心に観察していた。その様子から察するに二人が来ても気付いていない尹はよほど興味深いものを見つけたのだろう。 『凶善さま、凶善さま……尹様は、気付いていないみたい。何だか、お……か__』 あまりにも熱心に地面に落ちている何かを観察し続けている尹を見て、なんだかおかしくなってしまい思わず笑いそうになってしまった木偶の童子は隣にいる凶善へとひそひそ声で囁く。 しかし、最後まで言おうとしていた言葉をぐっと飲み込んでしまう。 普段は勉学ばかりで神経質かつ完璧主義者の尹が、あれほど夢中になって何かを観察して己達の存在にすら気付かないことに、悪戯っぽい反応を示した己に反して――隣にいる凶善は全く別の反応を示していることに気付いてしまったからだ。 ああ、己が恋い焦がれて狂おしい程に好いている凶善さまは、己ではなく、まさに今、目の前にいる尹へ恋い焦がれているのだ……と、すぐに理解した____。 たとえ、言葉にせずとも分かってしまう。 凶善はおそらくは自分でも気がついていないだろう。 頬が林檎のように赤く染まっているだけでなく 何よりも、木偶の童子がかけた言葉を無視し、そこに存在しているのを忘れてしまったといわんばかりに木偶の童子の方に視線さえ少しも向けてくれない。 ただ、目の前にしゃがみながら何かを眺める尹を無言で見つめるばかりの凶善を目の当たりにして、木偶の童子の心はまるで小さく細い針が何本も突き刺さったかのように、つきつきと痛むのだ。

ともだちにシェアしよう!