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童子は母の夢を見る【夏の月・転】

※ ※ ※ (やはり……事切れてしまっている__あの晩は凶善様が心配をされてしまうからと言えずにいたけれども――この幼虫には……これから生きるための力などなかった……ということ……) 凶善に対しての恋心を自覚し、彼が尹を慕っているのを理解したことからくる傷心のせいで枕を濡らした木偶の童子は、それから何日か経った後で【眠】という脱皮の前段階に突入していた幼虫の末路がどうしても気にかかりいてもたってもいられず、一人だけで改めて屋敷の中庭の金糸枝の側に来ていた。 今日は、どうにも屋敷内が慌ただしい___。 普段から、誰も彼もが慌ただしく動き回って公務をしているが、今日の息もつかぬ程の目まぐるしさは此処に連れて来られたばかりの木偶の童子でさえ怪訝さを抱く程だ。他の使用人達は、朝早くから屋敷内をばたばたと駆けずりまわっていて下っ端の木偶の童子のことなど邪魔者扱いで碌に仕事さえ与えてはくれなかった。 今日は尹様とも、凶善様とも碌に会話さえしていない____。 尹様は自室にいるので分からないが、凶善は使用人が寝る小部屋にて、起きるや否や「今日は特別なことがある」とだけ告げると早々と主人や尹の所へと行ってしまったのだ。 一人残されてしまった木偶の童子は、仕方なしに寝衣を脱ぐと「今日はこれを着るがいい」と忌々しいが逆らうことなど出来ない主人から渡された絹衣を身に纏う。これほどに高価そうな絹衣など今までに身に纏ったことすらない木偶の童子は時間をかけ、醜い幼虫が美しい蝶に変化するが如く着替えを終えた。 その際、ふと__入り口の方からじとっとした妙に強烈で尚且つ嫌悪感を抱かざるを得ないような不気味な視線を感じて、そちらへと目線を動かす、 「……っ……………!?」 屋敷の主人が、着替えを終えた木偶の童子を無表情で見つめていた。 そのうちに、何も言わずに__しかしながら、好奇に満ちたような目線で木偶の童子の顔を値踏みするかの如く見つめ続けていた屋敷の主人は何処かへと去って行ってしまった。 そのため、身を震わせつつ恐怖に怯えるしか出来ない木偶の童子はその部屋から慌てて【眠】という状態となっている幼虫がいる屋敷の中庭へと駆けてきたのだ。 そして、今に至る____。 「哀れ…………凶善様の願いは__叶うことはなかった……せめて、私の手で……」 と、木偶の童子が金糸枝の側で【眠】の状態は脱したにも関わらず、ぴくりとも動かなくなって事切れた幼虫を掬い上げた時のことだ。 「貴様__そのような醜きものの死骸を……如何するつもりか!?」 「ひ……っ…………!?」 微動だにせず、哀れにも事切れただけでなく屋敷の誰からもその存在に見向きもなれなかった【かつては幼虫だったもの】を掬い上げようと身を屈めた木偶の童子の真上から影がさし、ぎらぎらと照り付ける太陽の光が遮られたことに対して訝しさを抱いた。 そのため、咄嗟に木偶の童子は上を見上げるのだが__其処には、今まで屋敷の中で見たことのない童(恐らく年上)が怪訝そうな目で覗き込んできたのだった。

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