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童子は母の夢を見る【夏の月・結】

* * * 明得から告げられた己の使命である【種なる脱皮】を完遂するには、一筋縄ではいかない。 じわり、じわりと相手を毒牙にかける必要がある。 更に、まだ――その方法を行うにあたって精神的にも肉体的にも慣れていない未熟者の木偶の童子には時間をかけつつ行う必要があると共に、心労が重くのしかかってくるのは避けられない。 ましてや、まだその時期が直前には迫ってきていないとはいえ一応は《身重》の体だ。 それ故に、肉体的にみても必ず負担はかかってしまう。 そのため、木偶の童子は屋敷での仕事の合間に人目を忍びながら、うまいこと気分転換をしようと中庭にある小さな池の側まで来ていた。 (こんな場所にも、蝉の脱け殻がある――しかも、以前に見たもののように綺麗なままではなく……虫に喰われ、中身が空っぽとはいえ引きちぎられているだなんて、何て醜悪なんだ____) 木偶の童子はいつかと同じように身を屈め、陽炎が揺らめきを放つ地に落ちて動かぬ蝉の脱け殻に対して、ただ単にその見た目に対して持ちが悪いという不快さとは異なる感情を抱く。 更にいえば、ほぼ同時に――かつて尹と凶善と共に目の当たりにし、脱皮の全段階の状態といえる《眠》化した蝶の幼虫が無惨にも他の虫に喰われている様を思い出してしまい、ざわざわとした何ともいえぬ不快さも抱いてしまった。 そんな不快さなど、すぐに忘れてしまうこととなる。 それは、池で飼われている金魚が「ぽちゃんっ」と水音をたてつつ、白いひらひらとした、ひれを見せつけるかのように軽快に跳ねたからだ。 何故だかは、明確には分からなかった。 しかしながら、とても魅力的に感じて、少しの間は時が止まってしまったかのようにすっかりと見惚れてしまっていた。 急に、真上から陽光が届かなくなり陰ってしまう。 誰かが、池のほとりで座り込んでる己に対して見下ろしてるということは察したものの、逆光となり、相手の顔は咄嗟には分からない。 「その金魚が、そんなに気になる?」 「あっ……尹様____勉学のお時間は終わったのですか?」 「まあ、ね。父上は勉学が生きてゆく上で何よりも大切だとおっしゃっているけれど、実はあまり好きではないんだよ。それより、木偶の童子に――どうしても二人きりで話しておきたいことがあるんだ」 思わず、びくりと体を震わせかけてしまったが、どうにか平常心を保ちつつ、心の底から沸き出てくる動揺をうまいこと取り繕ったために怪訝に思われることはなかった。 そのことに対して安堵する反面、やはり最も憎んでいる相手の息子という極めて慎重にならざるを得ない立場にある尹と平静を装いつつ対面しながら会話していることからくる不安は、なかなか木偶の童子の心から離れてはくれない。 ____尹に勘づかれたりはしないだろうか。 ____此方が何をしようとしているのか勘づいた尹が、あろうことか己よりも親密な関係にある凶善へ話したりはしないだろうか。 「今……父上に御用事があって、王宮から次期王となる御方がいらっしゃっているのは、木偶も分かってはいるよね?」 「は、はい……勿論でございます。ですが、もしや……次期王候補である桜獅殿と何かあったのでございますか?」 不自然に声が震えてはいないだろうか___。 そう思いつつも、今まで身分の低い己に対して分け隔てなく接してくれている尹に無礼な態度をとるわけにはいかない。 だからこそ細心の注意を払って普段通りの態度を装いながら尹に対して接してはいるものの、どこかで変に思われてはいないだろうかと、能面のような作り笑顔を浮かべつつ少しばかり遠慮がちに尋ねてみるのだった。

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