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童子は母の夢を見る【夏の月・結】

* その数日後に【腐った芽】を摘み取るのは、容易かった。 元々、不摂生な生活を日頃から送っていた【腐った芽】にとって不利になるように――もっというなれば命を脅かすような薬の知識を教えてくれたのは、最近鬱陶しいくらいに付きまとってくるようになった希実という男のおかげだ。 今まで通りに「体が楽になりますよ」と善人を装い偽りの笑みを張り付けた仮面を被り、一糸纏わぬ生まれたての姿のまま【腐った種】に杓をして、しこたま酔っ払わせた後に何食わぬ顔で夕餉の残り物へと《彼岸花から抽出した毒液》を混入させる。 毎日少しずつ、こつこつと《彼岸花の毒》を仕込んだせいで【腐った種】の食欲は日を増すごとに落ちていた。そのため、今宵の夕餉の残り物である山菜の煮物に手をつけるだろうかと内心では危惧していたが、それは杞憂だった。 肉といったものには手をつけなかったが、幸いなことに菜物は大丈夫だと判断したらしい【腐った芽】の喉を確実に通過していくのを見て、木偶の童子は後少しで堪えきれなくなってしまう程に全身を駆け巡る凄まじい恍惚さと優越感を抱いてしまう。 (ああ、何と惨めなのだろう……この狭き鳥かごのような醜い世界を支配しているだけで偉ぶっていた、この汚ならしい腐った芽というべき男が……あと、ほんの数分で、ただの物いわぬ物体になるとは――やはり、これは【種なる脱皮】に必要不可欠な過程であり、明得殿のおっしゃることは正しいのだ……っ___) 【腐った芽】に決して悟られぬように、えも言えぬ興奮に耐えながらも、ぶるりと身震いした木偶の童子は木から落ち弱りきった蝉の如く苦悶を顔にあらわにする【腐った芽】が単なる物になるまでの過程をじっくりと観察し終えた。 辺りには、かつて【腐った芽】だった物言わぬ存在の不自然に開いた股の間から、不快な匂いが漂っているが、そんなことは些細なことだ。 それに、そうなることは希実という男から事前に知らされて充分に覚悟していたことだったため今更気にすることもない。 ただ、いつまでも恍惚とはしていられない。 いくら夜半とはいえ、この屋敷の中には何も知らずに呑気に眠りについている【有象無象】がいるのだ。その【有象無象】の気紛れによって計画が狂ってしまうことは避けたい。 【有象無象】の行動の全てを完璧に読むことは不可能ゆえに、太陽の光が拝めぬ真夜中といえども屋敷をふらふらと気紛れに散歩するかもしれないし、更にいうならば世話人である【有象無象】の大群らが屋敷の主の様子を巡視しに来るかもしれないのだ。 (早いこと、これの後片付けをせねばならない……だが、その前に____) 仲間である、【黒子】と【希実】――そして何人かの協力者として明得が金で雇った荒くれ者共(屋敷の中に密かに潜んでいる)と待ち合わせをすべく、一旦はこの場を離れなければならないため、かつては屋敷の主だった物言えぬ物体を寝ている風に見えるべく素早く偽装すると、少しばかり散らかってしまった寝所の内部を整えてから木偶の童子は出入口の襖へと向かおうと立ち上がる。 すると、何かが襖の外から此方を見つめている気配がして、びくりと一度体を震わせた。 ぞわり、と体に悪寒が走り、鳥肌もたってしまっていたのだが木偶の童子はそのことに気付かないふりをした。 しかしながら、それから少しして半ば無理やり気を落ち着かせた木偶の童子が襖をゆっくりと開けても、そこには誰もおらずただ静寂が支配しているだけなのだった。 *

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