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第2話

 仁英の後から、もう一人入ってきた。横分けにした髪型は清潔感があふれていて、真新しいスーツに見合った、若くさわやかな好青年といった感じだ。背は、178センチの戴智より少し高い。王永一族は全般的に身長が平均より高めの者が多く、現当主の仁英も177センチに加えて肩幅が広く威圧感がある。だが青年は背の高さから、その仁英に見劣りがしない。  戴智は思い出した。一ヶ月間の研修期間を経て、新開発部の部長となった戴智のもとに、秘書がやってくると聞いていた。  本来『王永製鉄』では代表取締役、専務、常務にしか秘書がつかず、部長秘書は異例だ。 しかも、その部長秘書を決めたのが王永仁英だというから驚きだ。社長自ら人事に口を出すことも異例だった。 「諸君、今日付けで『新開発部』部長の王永戴智の秘書を務めることになった、久慈東(くじ あずま)だ。よろしく頼む」  丁寧な礼をして、東は自己紹介をする。 「本日より『新開発部』でお世話になります、久慈東です。ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」  久慈――  名前も経歴も一切聞かされていなかった戴智だが、久慈という名字は思い当たる。久慈は王永一族の分家の中でも、かなりの権力者だ。王永は分家も特別で、たとえオメガが産まれようと蔑まれることはない。むしろ、一般家庭のベータやアルファよりも各が上だ。この街の絶対的支配権を持つ、王永一族のアルファと番になるのだから。  一通りミーティングが終わり、戴智と東は仁英を先頭に、戴智の個室に入った。 「戴智、新年の集まりで東君に会ったのは、覚えているか?」  新年の集まり、王永グランドホテルで毎年行われる新年会。その退屈なだけの宴会で、戴智は東が挨拶をしに来たことを思い出した。確か中学から留学をしていて、アメリカの大学を今年卒業するとかで、親類なのに今年初めて会ったばかりだった。  いや、子供のころに会っていたかもしれない。だが、退屈なだけの新年会は子供にとっても退屈で、そんなころに会った親類など特に印象に残らない。  覚えているのは今年の宴会で、自分より年下のくせにやたら周囲の大人たちに溶けこみ、お世辞や上っ面ばかりの笑顔が鼻についた、という青年がいたことだ。 「社長」  戴智は、自分の父親でも会社ではそう呼ぶ。 「あなたの決定に不満を申し上げるわけではありませんが、今年入社したばかりでたった一ヶ月の研修だけで、秘書が務まるとは信じがたいのですが」  どこか軽く見られているような気がした。社長自身や専務、常務の秘書ならば、絶対に新入社員からは選ばない。秘書課は、戴智よりも年上ばかりだ。  仁英は分厚い手のひらで、東の肩を叩く。 「不安になるのはわかるが、東君は在学中に、うちの新事業のために宇宙工学や経営学も学んでいる。研修期間は短いが、秘書課で半年かかるカリキュラムを、彼は一ヶ月でこなしたのだ」  できれば私の秘書にしたいぐらいだね、と仁英は東を見上げて豪快に笑う。  一転して、仁英は真剣な顔つきになった。 「戴智、お前なら気づいていると思うが、東君はオメガなんだよ」  戴智は思わず見開いてしまいそうな目を、歯を食いしばることで堪えた。  無精子症と知り勃起不全になってからは性欲がわくこともなく、そのせいか本来アルファならば気づくわずかなオメガの匂いに、鈍感になってしまった。そのことを仁英に気づかれたくない。 「…それが何か。業務上、特に関係ないように思えます」 “知っていたが、関係ない事柄だ”と言わんばかりの態度で平静をよそおう戴智に、仁英は“やれやれ”と肩をすくめる。 「分家の中でも優秀な久慈家のオメガ、つまり、お前と番になる男なんだよ」 「なっ…!」  番になる。王永本家にとっては、子孫を残すこと。 恐れていたことが降りかかってきた。いつかは婚姻関係を結ばされるだろうと、おぼろげには考えていたが。  反論したところで、仁英の決定には従わねばならない。仁英の決定、それは王永一族の決定だ。 東は自己紹介したときと表情が変わらない。戴智と番になる可能性があるということは、何年も前から聞かされていた。いずれ王永本家の跡取りを産める栄誉を与えられるだろうと、教育させられたためだ。 「さあ、年寄りはここで退散するよ。後は二人仲良く協力して、仕事の上でもプライベートでも、良きパートナーとなるように」  ご機嫌で部長室を去る仁英に何も言い返せないまま、改装されてひと月ほどの真新しい部屋に、二人は残された。  数秒、気まずい沈黙が流れる。だが、気まずいと感じていたのは戴智だけだった。 「戴智さん…いえ、王永部長」  振り返ると、東が爽やかに微笑んでいる。  俺はお前とは番にはなれない――そう言おうと口を開いたとき、東は胸ポケットから小さな手帳を出した。 「本日は午前十一時より、森井化学機械さんの館野様との打ち合わせでしたが、あちら様のご都合が悪くなられたそうで、明後日にしてほしいとのことです。この時間は、各部門とのミーティングに充てました」  戴智もビジネス向けの表情になる。 「午後に予定していた分だな。では夕方の、予算見積もりの打ち合わせまでの開いた時間は――」  東の、男にしては美しい指が、B7サイズのページをめくる。 「昼食後、明日に予定しておりました、工場の視察を入れております。従って、明日以降のスケジュールもすでに変更しております」  仕事の早さに戴智が感心して席につくと、東は手帳を閉じ、胸ポケットにしまった。 「王永部長…いえ、戴智さん」  さっきとは逆に言い換えた。東は真面目な表情も、胸ポケットにしまったのだろうか。革張りの椅子の肘掛けに手を添え、東は小首をかしげて細めた目で戴智を見下ろす。

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