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第11話

 土曜日は、ブランチを食べに行ったついでに、盆休みのクルーズの買い物に出かけた。釣具やクルーザー内で使う消耗品などだ。いつもは一人で買いに来ていた戴智だから、まさかほかの誰かと買い物など、その上旅行などとは夢にも思わず、戸惑いを隠せない。仕事のときとは違い、東に対する接し方もぎこちない。  昨日の“SMごっこ”の影響もあるだろうが、二人で買い物をしている事実が、何ともくすぐったい。  だが、そのくすぐったさも心地よいものになる。  買い物がすんだ後、二人はカフェに入った。ウェイトレスの“いらっしゃいませ”の声に、店内にいた客の一人が顔を上げた。 「村瀬?」 「王永部長…! それに久慈くんまで!」 『新開発部』で、製造担当の係長をしている村瀬だ。戴智の体が一瞬こわばる。戴智と東は部下と上司であるだけでなく、親戚関係にあることは誰もが知っている。休日に二人でいるところを見られたからといって、焦る必要はない。  が、昨日の激しいプレイの記憶がまだ生々しいだけに、知り合いに会うと何となく気恥ずかしくなる。 「お二人はいつも、休日はごいっしょなんですか?」 「いや、今日はたまたま…」  戴智の半歩後ろで、東が微笑む。 「村瀬係長は、どなたかとお待ち合わせですか?」 「な、何でそれを」 「いえ、店員さんの“いらっしゃいませ”の声に反応されていたので、どなたかをお待ちかと」  村瀬は真っ赤になり、アイスコーヒーを飲み干すと、バッグを抱えて席を立つ。 「あ…ああ、待ち合わせのお店を間違えちゃって…。では、これで」  一礼すると、村瀬は会計をすませ、慌てて店を出る。携帯でどこかに電話をかける。 「村瀬のやつ、あんなにおっちょこちょいだったかな」 「仕事はテキパキとこなす方なのに」  その後は村瀬のことには触れず、コーヒーを飲みながら盆休みの計画を立てていた。  その日の夕食は、東が実家からもらったカニ缶を使い、広東風のあんかけ炒飯を作った。 「…うまい…。中華料理店で食べるのと、変わらないぞ」 「ありがとうございます。ここのシステムキッチンのコンロが、火力の強いものから弱いものまであって、優秀ですから」  明らかに東の腕前なのだが、当の本人は謙遜する。 「クルーザーの中で食べる飯が楽しみだな」  東が頬を染める。ふと、戴智がレンゲを口に運んでいたのを止めた。 (まるで恋人みたいじゃないか)  父親が決めた番の相手。それがこうして、自然に食事をしている。そしてその後は―― 「戴智さん」  ふいに名前を呼ばれ、戴智は肩を跳ね上がらせて驚いた。 「な、何だ」 「ジースティ金属ですが…ローラー機の部品を同じ物を使うだけでなく、コーティング剤も同じ物を使うようです」  セックスのことを考えようとしていた自分を恥じ、戴智はオフィスでの顔つきになった。 「…それはマズいな…。ほとんど同じ試作品ができるとなると、いかにコストを下げるか、が問題だな。しかし、どうやってその情報を手に入れた?」  東は口の片方だけを上げて意味深な笑みを浮かべたが、すぐにいつものビジネス用スマイルになった。 「耐久実験を繰り返すため、コーティング剤であるシリコンが、大量に必要です。さらに、中央の主軸部分は硬質セラミックですが、ジルコニアを必要とします」  東はそれ以上続けない。頭の回転が早い戴智なら、きっとそのヒントだけでわかるから。  戴智はスープを一口飲むと、答えを出した。 「…まさか、ジースティが大量輸入していた、と」 「ええ。父の会社で調べていただきました。本来なら、漏洩してはいけない情報ですが」\  隣の市に本社と工場があるジースティ金属は、久慈が経営する貿易会社を経由して、材料を輸入していた。ライバル会社の息がかかった会社とわかってはいたが、近隣で最大手の貿易会社だからだ。 「耐久性や性能を考えると、あっちも同じことを思いつくのはわかる。だが、ここまでうちがやっていることと合致してると――」 「やはり、産業スパイを考えますか?」  料理を食べ終え、冷たい烏龍茶を飲む。グラスをテーブルに置くと、苦々しい表情になった。 「考えたくはないが、現実で起こっているとなると、目を背けられない」 「村瀬さんは…誰に電話をしていたのでしょうね」  皿を片付けながら、東は独り言のようにつぶやいた。 「何? 村瀬が?」 「はい。今日、村瀬さんは慌ててカフェを出ました。待ち合わせ場所を間違えた、と仰ってましたが、店の外でガラス越しに見たときは、別の内容のことを電話で話していましたね」  食洗機に食器を入れる東の背中に、戴智は問いかけた。 「店の外だぞ? 話なんて聞こえないだろう」 「そう、聞こえません。だから、村瀬さんは油断なさいました。私たちに聞かれることはないだろうと。ですが――」  東は振り向くと、唇に人差し指を当てた。 「唇の動きで、丸わかりですよ」  思わず戴智は立ち上がった。 「なっ…! 読唇術か?!」 「ええ。学生時代は充分時間があったものですから、宇宙工学や経済学を学ぶかたわら、読唇術もマスターしました」  他人の唇の動きで、何を話しているのかがわかる高等技術だ。仁英に、王永に就職すると決められたときに、戴智のサポートになるだろうと、自らすすんで学んだ。  感心の吐息をもらすと、戴智は再び腰を下ろした。 「さすがだな…。で、村瀬は何と?」 「“社の者が、ご指定されたカフェに偶然来てしまいました。待ち合わせ場所を変えましょう”といった内容です」  戴智はテーブルの上で肘をつき、両手を組んだ。 「俺たちに合わせられない相手か…。となると、疑わざるを得ないな」  既婚者である村瀬だから、他人に見られては困る相手となると不倫も考えられるが、この状況ではスパイという線が濃い。 「いかがいたします?」  戴智が考えこんでいるうちに、テーブルにはコーヒーとブランデーのカクテルが置かれた。グラスの縁にレモン汁を塗り、砂糖がついたスノースタイルだ。  香りのよいコーヒーとブランデーの相性がいい。おいしいカクテルで上機嫌になった戴智は、答えを出した。 「あいつを泳がせる。面倒なんだが、いい方法がある」

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