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第15話
クルーザーは西に向かって好調に進む。今日の目的地、浜松に着いた。
「久慈! タモを頼む!」
暴れ回る獲物を竿でうまく導き、東はタモでうまくすくった。
赤い、トゲを持つ魚だ。
「よし、カサゴが来た!」
カサゴのヒレには毒がある。分厚いゴム手袋で、戴智は慎重に針を外した。
「カサゴはさばくのが難しいから、俺がやろうか?」
タモの中で暴れるカサゴに手こずりながら、ヒレに肌が当たらないよう気をつけて、氷入りのクーラーボックスに入れた。
「ええ、お願いします。普通の魚ならさばけますが、生きているカサゴは初めてですから」
前日の夜、余ったサンマの切り身をエサに、釣れたアナゴを戴智がさばく。カサゴもヒレとエラを取り、手際よくさばいた。東が衣を作り、天ぷらにした。塩を振ったアナゴとカサゴの天ぷらに舌鼓を打ち、その後も釣りを楽しんだ。
その夜も東は、ベッドで戴智を抱きしめるだけだった。もどかしくなって、戴智がキスをせがむ。そうすると、東は額や鼻の頭、唇にキスをしてくれるのだが、あとは髪や背中を撫でるだけだ。戴智がぎゅっと強く抱きしめると、それを合図に東がキスをくれる。
二人きりで、周囲には誰もいないのに。
戴智が仮に勃起しても持続しないことを配慮してなのか、と考えると戴智の胸が痛む。
もしも戴智が無精子症でなくセックスが普通にできたとしたら、東に発情期になってもらって、すでに妊娠していただろうか。
そんな疑問がわき起こって、東の胸の中で戴智はじっと考える。考えごとに集中していて、いつの間にか東の背に回っていた手から力が抜けた。
「? 戴智さん、どうしました?」
考えこんでしまった戴智を心配そうに、優しい瞳が顔を覗く。戴智は伏し目がちに答えた。
「…いや、もしも俺が無精子症でなく、ちゃんと勃起していたら…父の言いつけどおりに、お前を妊娠させていたんだろうか…とな」
実際には、仕事で大きなプロジェクトを抱えている。産休を取ることを計算すると、今年中の妊娠は無理だ。
「戴智さんはどうなんですか? 僕と番になることに関して」
とっさに頭に浮かんだのは、“父が決めたことだから”。東に以前、父の言いなりでいいのかと問いただしたことがあったが、自分も同じだ。
結局、誰一人として、王永一族――とりわけ、仁英の意向には逆らえない。姉の一奈も、結婚を予定している相手が仁英に認められなければ、別れさせられる。
先を読む父のことだ。家柄や能力だけでなく、性格などを考慮しても相性がよい、そう考えての結論だ。だから、父の意向どおりにしても間違いはない。
「多分、何も考えずに番になることを受け入れてたかもな」
「僕は――」
東は抱きしめる手に力をこめた。
「戴智さんを愛していますよ。確かに仁英伯父様の決めたことですが、この上ない幸運だと思っています」
「もしも、俺が…王永から勘当されたら」
ついてきてくれるのか、そんなプロポーズみたいな言葉が出なくて言いよどみ、戴智は東の胸元に額をすり寄せる。
「そうなったら、僕はこっそり王永市以外の病院で避妊手術をして、“妊娠できない体でした”と、一族から追い出してもらいます。そして戴智さんについて行きます」
代わりに言葉を繋げてくれて、戴智は安心してさらに額を擦り寄せる。
「あなたの子供を産んでみたかったのですが…、ものは考えようですね」
東の意図がわからず、戴智は顔を上げて東を見上げた。
「出産時の、痛い思いをしなくてすみました」
そう言って微笑む東は、どこが無邪気に見える。
「…お前でも、出産は怖いと思うのか?」
「当然ですよ。想像を絶する痛さだそうですからね」
年齢のわりに落ち着いて、頭がよく何でもこなせる東でも、怖いものがある。
戴智の抱きしめる手に力が入る。
「よかった…お前にも怖いものはあるんだな」
東が戴智の髪にキスをする。
「もしかして、僕のことをロボットか何かだと思ってませんか?」
「そうだな。怖いもん無しの、無敵のロボットかと思った」
そんな冗談を言い、戴智はニヤリと笑う。東の唇は、耳たぶや首筋をかすめてくすぐる。そのうちくすぐったさに、戴智が声を出して笑う。
「わかったわかった、悪かったよ」
いたずらをやめた唇はまた、髪に優しくキスをした。
それが心地よい。昔、肌を重ねた相手とは、こんなじゃれ合いをしたことなどなかった。互いの欲望のままに体をむさぼり、絶頂を迎えた後は、他人として過ごす。語り合いなどいらない、ぬくもりもいらない。
それが今では、東のそばにいて、触れていることが気持ちいい。
「久慈…、いや、東」
初めて下の名で呼ばれ、東ははにかんだ笑みを浮かべた。
「誰かに対して、こんな気持ちになったのは初めてだ」
いったい、どんな気持ちなのか。東はそんな野暮なことは聞かず、ただ黙って戴智の背を撫でていた。
二日目の夜。明日も早朝に起きて釣りをして、西に進む。二人はダブルベッドで、静かな寝息をたてた。
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